【雪国ワーホリ日記】 心のふるさと
同じく北緯37度に位置するサンフランシスコとは全く異なる世界がここ南魚沼にはあります。豪雪地帯として半年近くものあいだ雪に覆われるこの地。縄文時代から雪と苦楽を共にしてきた数千年の歴史が、人間と雪が共存する知恵を授け、今もなお太古の教えが生活に根付く文化圏。
景色や文化、生活、人など “異日常” 溢れるこの雪國・南魚沼で、暮らしながら学ぶプログラム「雪國ワーホリ」。実際に訪れている若者の声を届けていく企画連載「雪国へ、ゆく」が始まります。
今回は,高橋 響介(たかはし きょうすけ)さんの滞在記を紹介します。この春から東京に進学する前に雪国を訪れた高橋さんが,ここで「古里」をどう考えたのか,ぜひご覧ください。
高橋 響介(たかはし きょうすけ)
新潟県出身 / 東洋大学
■案外そういうところに幸せの青い鳥
「なんとなくそこに行く、気づいたらそこにいる。」
それがふるさとだと私は思います。
ーー 特別でありながら、当たり前な存在。
ワーホリの中で感じたことを新たにできた仲間と共有し、夜中まで考え方や感じ方の違いを味わう。
そうやって自己開示をし合えたのは南魚沼市と兼続庵に
「ここならきっと自分のことも受け入れてくれる」
という安心感があったからだと思います。
それを人が温かいと言うのかもしれませんが、もっと不思議な気持ちです。
南魚沼は心の中にあって、
南魚沼は私の一部に、
私は南魚沼の一部になっていたんだと思います。
悲しいとき
辛いとき
苦しいとき
心のふるさとがふわふわと空の上へ飛んでいかないように留めてくれます。
それは場所とは限りませんが、
帰る所があるという安心感と義務感が「生きなきゃ」と思わせてくれます。
「あれがしたい」「これがしたい」を叶えてくれる自由と利便性が都会にはあります。
でも、しんどいときにふるさとがないと、自分を地面に留めてくれるものがないような気持ちにもなります。
鳥のように自由になりたいと言っても、とまる木も帰る巣もなく、ずっと飛び続けることはできません。
地面がないと、自分がどこへ飛んでいるのかも、なぜ飛んでいるのかも、わからなくなってしまいます。
自由になった現代、私は生きているのかいないのかわからなくなるときがあります。自分の代わりなんていくらでもいるんだと思ってしまったり。
私は不便だから、人付き合いが面倒だからという理由で地元を離れた面があります。
でも、案外そういうところに幸せの青い鳥がいるかもしれないと感じます。
飛ぶのに疲れてしんどくなったとき、
僕はきっとまたここにいます。
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