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私がnoteを本気で書き始めたわけ

どうも。
1年前とは比にならない忙しさで卒倒しそうな者です。
やはり人間1人の力はちっぽけだと感じます。

さて、今日は徐々に投稿を増やしているnoteの裏側について、書きたいと思ってます。


9月下旬。
久しぶりに地元に帰省し、実家で兄と談笑をしていた。
他愛もない話で盛り上がっていると、そこに学期末のテスト勉強に追い込まれている妹から数学の問題を解いて欲しいと依頼が来た。

本人曰く、解説書がない問題らしく、
解答を見てもなぜそうなるのかが全くわからないとのことだった。

数年振りに数学の問題を解けと言われ、少し焦ったが、
過去の数学への自信を思い出し、とりあえず問題を解いてみることにした。

その問題は因数分解の応用篇であり、
確かに一目見ただけでは解けない問題であった。

5分経っても解けず、
負けず嫌い且つ数学が得意だった過去の栄光を捨てきれない自分はどうにか問題を解き、妹にどのように解いていったかを説明していった。

「なるほどね〜。でも、まだまだ解かないとといけない問題がいっぱいあって、辛い…」
と言って、妹は今にも泣き出しそうな顔でこちらを見てくる。

久しぶりに正解を導く達成感を味わったことで、一種の高揚感を味わっていた自分は何の気なしに
「勉強はやればできるし、大人になれば今の苦労なんて忘れてるよ」
と励ました。

「そうは言っても…」
妹としては納得いかなかったのだろう。
ついに涙が溢れ出した。

そんな妹に兄が
「〇〇(妹)は今大変だよな。俺らはもう過ぎ去った苦労を忘れてるから、こういうことが言えるだけだもんな」
と言って、妹を慰めていた。

この時、兄の言葉にハッとした。

”過ぎ去った者の言葉より、今を生きている者の言葉の方が価値がある”

人は重要でない過去の出来事に関して、忘れるようにできているという。
これは、情報を蓄積しすぎると、脳が非効率化してしまうことを防ぐためで、情報量が指数関数的に増えている現代においては、その傾向はより顕著だろう。

今、感じていること、考えていることを残すことは
10年後の自分が振り返った言葉よりも価値のあるのではないだろうか。
”今の蓄積”の価値を強く感じた瞬間だった。

これが私がnoteに今の蓄積をしようと思ったわけである。
過去に、自分の文章力を高めたいと思って始めたnoteだが、長続きはしなかった。
本気で今を生きているからこそ、価値があるnote。
さらに、価値を高めるためにも、もっと多くの経験をしていきたいと感じる今日この頃である。

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