見出し画像

現在窮乏、将来有望

挨拶

どうも。
年末が近づくと久しぶりに仲間と会うことが増え、
今年の自分を評価できる良い機会に感じます。

さて、今日は今までの決断について、綴ります。



苦労のない人生

”いやー、しょぼい。
ここまでしょぼいと今までの自分は何をしてきたのだろうか。
書いている時思わず笑いがこみ上げてきた”


大学の時に書いたブログの自己紹介でこんなことを書いていた。

私はそこそこ裕福な家庭の三男として、育った。
上に2人の兄、下に年が離れた妹がおり、
比較対象がいたことで、要領よくこれまでの人生を通過してきた。

勉強面では、
4歳にして、小学校受験を行い、そのまま高校まで進学した。

大学受験においても、
効率が良かったのか、そこまで必死に勉強しなくても、
希望の大学に進学できた。

幼少期から続けていたサッカーにおいても、
小さい時から体が大きく、身体能力もずば抜けているとは言わないが、周りに比べると良い方だったため、
そこまで努力をしなくてもそれなりの結果を出せていたように感じる。

性格においても、争うことが好きではないし、
人間関係においても、できるだけ敵を作らない人生を送ってきた。


器用貧乏という言葉は、自分に適している言葉の一つかもしれない。
1番は取れなくても、上位層には食い込める。そんな人生だった。
周りから見ると、器用で羨ましいと思われていたのかもしれないが、
自分的には、本気になることが少ないしょぼい人生だと感じていた。

”何も面白くない人生じゃないか?”

いつしかもう1人の自分がよくこんな言葉を語りかけるようになっていた。


苦労を選んだ決断

私は進路という点において、人生で2度の決断を行なった。

大学進学時と独立した時だ。

大学進学時は、医学部進学を希望し、センターも標準点を通過した後に、結局は体育学部進学を希望した。
当時、担任の先生にも、親にも驚かれたことを覚えている。

あまりに突然。
しかし、それはずっと感じていた容量よく生きる自分を否定したかったからだ。
言い訳をなくして、自分の限界に挑戦をしたい。
そう思って、退路を絶った決断だった。

独立をした時もそうだ。
特に努力をすることもなく、大手企業に入社し、
将来がほぼ約束されている企業に入った。
もちろん、競争が激しく、めまぐるしく状況が変わる世界に圧倒されていたが、2年も経つ頃にはそんな人生に何の価値を味わえなくなっていた。

自分の人生は、特にお金で困ることもなく、
世間一般的に幸せな家庭を築ける人生なんだろうな。
まるで他人の人生を見ているような感覚だった。


そんな時に、突然の独立の誘いが来た。
ほとんど何も考えずに口から、”面白そうだ”と返事をしていた。

今思うと、心の奥底では、
自分が壊れてしまうぐらいの努力をしてみたい。
余裕がある状態ではなく、追い詰められた時の本性を知りたい。
苦労をしたからこそ見える景色が見たい。
1人では何もできない自分だからこそ、この誘いは逃してはいけない。
そう思って、一歩を踏み出した。


結びに

まだまだ道半ばではあるが、
今後の決断の度に面白いと思える方を選べる自分でありたいし、
それを正解にできる人生にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?