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奈良と祈りと物語


斑鳩の秋の夕暮れ

奈良という物語

観光地としての奈良

今年はいつまで続くかと思われた暑さが長引き、初秋という風情を味わう間もなく、いきなり深まった秋ですが、観光地である奈良にもたくさんの行楽客といっていいのか、奈良以外の住居地の方々がいらしています。

自院のあるならまちには、英語圏以外の私には判別不可能な言語圏の国からの観光客もあふれかえっていますし、自宅のあるここ斑鳩にも、他府県のナンバーをたくさんお見うけするようになりました。

とくに、法起寺周辺のコスモス畑では、カメラマンの方々が早い時間から場所取りをされていて、のんきに犬を連れて散歩をしていると、その真剣なまなざしに、邪魔しているんじゃないかと、思わず自己規制して引き返すほどの人の列です。

このあたりは法隆寺地域の仏教建造物として、世界遺産に登録され、田園風景と共に法起寺の三重塔は重要な風景の構成要素です。

わたしがとくに惹かれるからかもしれませんが、風景の中に仏教建造物が溶け込んで絵になっていることにかけて、量ににおいても質においても奈良を凌駕する県はないのではないでしょうか。

私は20年以上京都に住んでいましたが、確かに寺社仏閣は無数にあり、有名寺院も多いので、身近ではありましたが、日常に足をとめて見惚れる…というようなことはありませんでした。

それはあまりに京都は高度に都市化されていて、地価も高くなりすぎ、お寺といえどもその都市化の中で生き抜くには、境内で駐車場を営んだり、ホテルやマンションと共存したりという戦略にならざるをえないので、ビル群に埋もれてしまっていたということでしょう。

奈良は万事がおっとりしています。
土地も京都に比べると安いのもあるでしょうし、とにかくお寺の境内が雄大でのんびりできる空間がいくらでもある感じ。

効率とか、経済合理性とかはまったく置き去りにされている感じです。

そして都市化の波も、もちろん欲をいえばきりがないですが、なんとか食い止められ、人の手の入らない、経済的にはなにも貢献しない空き地というものが、お寺の周辺には残っていることが多い。

そして寺社仏閣にせよ、古墳にせよ、とにかく歴史的価値のあるものが無数にあるので、一つだけなら地域の方々の意識が集中して、集権的に守ろうという動きになるのでしょうが、わたしからみると、おそろしく散漫で分権的です。

それが貢献して、手つかずの自然というよりは、適度な人の暮らしと、世界遺産が同じ風景のなかにおさまるという、しあわせな景色が、奈良にはまだまだ残っています。

見慣れているものは、どんなにすごいものでも当たり前になっていくのでしょうが、それでも私は日ごとにかわる季節のうつろいとともに、何百年という単位で時代を経てきたものを見るたび、敬虔というようなひれ伏したいような気持になります。

猿沢池と興福寺五重塔

祈りの地としての奈良

私は斑鳩に住み、法隆寺の塔をみながら出勤し、自院は車で30分の興福寺や猿沢池ちかくに通っているので、毎日世界遺産に囲まれて暮らしているといってもいいと思います。

6年前に開業するときに「ならまち月燈」と名付けたのは、この奈良のならまちという町の土地の力を借りたいと思ってのことでした。

ならまちというのは、これもまた世界遺産である元興寺さんの境内地であった場のことです。

奈良は神仏習合の地であるので、古い町並みのそこここに小さな祠や、お地蔵さんや、神さま仏さまが無数におわしますところです。

親切に立て看板がかけられているところも多いので、それに目を通して歩いているだけでも、一日楽しく過ごせてしまうでしょう。

そして今年も10月28日から正倉院展が開かれますが、正倉院という存在がまた壮大な物語です。
光明皇后が聖武天皇のご遺愛の品をお納めになり、そして、東大寺に伝わる品々それぞれに物語があるのですから、その年に出陳されるお品それぞれの芸術的骨董的な価値もさることながら、その品にまつわる人々の物語に、わたしのこころは揺さぶられます。

わたしは、ちゃんと読み通したことがないので、語る資格はないですが、日本書紀、古事記、万葉集という、奈良にゆかりの書物もまた当時懸命に生きた人々の、それぞれの物語であるという理解をしています。

それぞれの物語がよりあわさって、日本の国造りという大きな物語が構成されている。

そのそれぞれの物語の中心にあるのは、祈りです。
「祈り」だとわたしは思っています。

もちろん、そのテキストから読み取るものは人によって違うはずだし、どんなメッセージを受け取るかは、その人のおくってきた人生による・・でしょうが、私はいつも、ああ、祈りがここにもある…と思うのです。

どんなに科学が発達しても、高度な医療が行われても、救えないいのち。

遠くインドや中国から命がけで渡来したもの、渡来した人、崇高な目的があっても、ただのエゴであっても、どんな高貴なうまれであろうと、望んだすべてのものが手に入るわけではない。

そういうときに、古来からひとは祈るしかなかったんだと思います。

それは何百年経ち、あらゆる先人の努力によって文明が発達しても同じです。

スマホやPCをクリックするだけで、地球の裏側からでも、どんな商品でも取り寄せることができるのに、目の前のひきこもった息子の笑顔をみる方法はわからない。

息子のことどころか、自分のことでさえ晴れ晴れと笑顔で機嫌よく日常を送っていたのは、いつのことだっただろう…。

院の中で、患者さんは色々な物語を語ってくれます。
新しい時代の新しいお悩みのようにみえて、やはり古代の人々が悩み苦しみ辛いと慟哭してきた悩みとなんらかわらないお悩みであることがほとんどです。

指圧の施術をするということは、いらっしゃる患者さんのおからだの声に耳を傾け、感情の断片を物語として理解するということでもあります。

それを生まれた兵庫ですることなく、長く住んだ京都でするのでもなく、奈良ですることになったということが、私にとっては大きな意味をもつ物語のような気がして、そのことについて気が付いたら考えています。

でもやはり、そういうことは考えることではなく感じることなんでしょう。

圧倒的な神の手も持たず、センスのよい治療メソッドもない私には、ただただこの奈良の土地の力の中で施術できることが有難く、ひたすら祈りながら、神様仏様の力をお借りしながら、手掌をあてる毎日なのです。


最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。