第20回_図書館総合展_20181030_パシフィコ横浜__1_

図書館の未来 ~図書館総合展の見学から~

前置き

タイトルは「未来の図書館」と迷ったが、以下を考慮し「図書館の未来」とした。
未来の図書館・・・今は存在せず将来建造されるかもしれない図書館。現存する図書館には関係なく、空想上の存在。
図書館の未来・・・現存する図書館が将来どう変わるかの予測。現存する図書館に関係する、リアルな話。

現存する図書館を利用する人や運営する人に関係する話だと宣言した上で、本文に進みたいと思う。

本文

まずはみなさんに質問。以下の質問文について「はい」か「いいえ」で答えてほしい。

質問文:知りたいと思う情報には、いつでも、どこでも、だれでもアクセスできるようにするべきだ。

上記質問文について補足すると、
・「知りたいと思う情報」とはジャンルを問わない。政治、経済、科学、スポーツ、ニュース、ゴシップなどなど。また情報の形も問わない。文章、音声、絵画、写真、映像、webページ、などなど。
・「いつでも」とは時間的制約を受けない(24時間365日、情報にアクセスできる)ことを指す。
・「どこでも」とは空間的制約を受けない(情報を知りたいと思う人がどこにいても、情報にアクセスできる)ことを指す。
・「だれでも」とは貧富の差や身分による差別を受けない(情報を知るために金銭を払ったり権利を得たりしなくても、情報にアクセスできる)ことを指す。

質問文に対する「はい」か「いいえ」は決まっただろうか。

おそらく2018年を生きている人であれば、「だれでも」に抵抗を示して「条件付き『はい』」を選ぶ人が大半を占めるかと思う。「知りたいと思う情報」「いつでも」「どこでも」を否定する人は少ないだろう。「だれでも」は、個人情報だったり、子どもに見せたくない情報だったりを隠したいという思惑が働くだろうし、入場料をとる施設で働いている人だったら「無料で入場されたら商売あがったりだ」という声もあるだろう。

ちなみに個人情報についてクローズアップされるようになったのはインターネットが普及してからだと思うのだが、公立図書館が普及した20世紀中頃に上記の質問文を出していたら、条件もつかずに「はい」を選ぶ人が多かったのでは、とも思う。そして遠い未来の西暦3000年くらいの人に上記の質問文を出したらどうなるだろうという興味もある。もしかしたら個人情報という概念や個人という概念が西暦3000年には消滅しているかもしれない。人類が絶滅していないかも気になるが。(noteの運営会社が西暦3000年頃までこの記事を公開しておいてくれれば、その時代を生きている人がこの記事にコメントをくれるだろうと期待している。)

もしかしたら「いつでも」に抵抗を示す人もいるかもしれない。特に現役の図書館関係者は、図書館の営業時間外に利用者に押しかけられてはたまらないから、「いつでも」とは言い難いだろう。

さて今回の記事は上記質問文に対して「はい」または「条件付き『はい』」を選んだ人に向けて書いた。では本題に入ろう。

2018/10/30~2018/11/1にパシフィコ横浜にて開催されている #図書館総合展 を初日のみ見学してきた。毎年この時期に開催される図書館業界最大級のイベントで、私は今回初の現地見学である。

図書館総合展はおおまかに、会議室でプレゼンターが発表を行うフォーラムと、広いホールに複数の企業や団体がブースを並べて商材や活動成果を展示する展示会に分かれている。図書館に限らず、大きな会場を使って行う展示会の定番パターンである。

2018/10/30には開会式から拝聴し、以下のイベントを見学した。
イベント1:フォーラムの2つのセッション
 イベント1-1:「人をむすび、地域をおこし、未来をひらく」ソーシャルイノベーションを醸し出す図書館へ
 イベント1-2:AIやクラウド技術は図書館をどう変えていくか ~国立国会図書館の次世代システム開発研究室の実験事業、関連研究から
イベント2:初参加者ツアーにツアー客として参加

図書館総合展を見学した目的は下記3点である。
①そもそも図書館業界の展示会というものでは何が展示・紹介されるのか、という問いへの解を得る
②最新の図書館業界のトレンドを知る
③図書館を含めて公共サービス全体が抱えている問題である「その施設に足を運ばなければ施設が提供するサービスをフルに利用できない」という点への解を得る

特に重視しているのは③で、私は以前「図書館とは」というnoteで、図書館がいかに優れた施設であるかを述べ、みなさん図書館に行きましょう、と提唱したのだが、実はここに図書館が抱えている大きな問題がある。最寄りの図書館にせよ移動図書館にせよ、図書館が抱えている情報にアクセスするには、利用者が図書館の場所を事前に知った上で、そこへと移動する必要があるのだ。すなわち、利用者が二足歩行できるか車椅子を使いこなすことができるだけの身体能力があり、なおかつ「図書館に行こう」という意欲がなければならない。

そんなことを言うと現役の図書館職員から「学校にブックトークに行ったり病院訪問して入院患者に本を届けている」「図書館に来られない人のために本の貸出を郵送でもやっている」というような"外向け活動やってます"の反論が来るのだけど、それって図書館に直接行くことで利用できるサービスの一部を提供しているだけで、結局は「もっと本を読みたければ図書館に来てね」となってしまうわけだ。図書館という施設に全く足を運ばずに、図書館という施設に足を運んだ人とまったく同じサービスを受けることは可能なのか、というのが上記の③である。

そしてこの③は、冒頭の質問文と密接に関係している。大量の資料を抱える図書館には営業時間と所在地があり、営業時間内にその所在地に行かなければ資料が持つ情報にアクセスできない。これでは「いつでも」「どこでも」とはいかない。

③を「図書館を含めて公共サービス全体」としたのは、役所の窓口も同様の問題を抱えているからだ。しかも何か手続きが必要であれば、専用の用紙に手書きで記入が必要である。今どき、銀行はFintechを合言葉に窓口業務をスマートフォン上のアプリで完結するように実装しているし、身分証明が必要な場合は運転免許証などの証明書をスマートフォンのカメラで撮って送信するだけで身分証明が完結するwebサービスもある。そんな時代に「窓口まで来てこの用紙に必要事項をペンで書け」なんてことがまかり通っているのである。どうせ用紙に記入されたものを職員がパソコンで打ち込むのだから、手書きなんて判読に難しいものはやめて完全ICT化すべきだと思う。余談だけど日本の経済が伸びないのは手書きにこだわってICTを活用していないサービスが幅を利かせているからだろう。

さて図書館総合展を見学して結局どうだったかというと、残念ながら③への解は得られなかった。

展示会では移動式書架や見た目のかっこいい書架が展示されており、図書館という施設を豪華かつ便利にする目的であれば確かに役に立つのだろうという商材が展示されていた。イベント1-1のセッションでは2018年にオープンした雲の上の図書館が紹介され、木を中心とした美しい内外装や特徴的な蔵書配置がアピールされていた。

でも見た目の美しさって図書館という箱に来てもらうことを目的とした活動であって、箱にたどりつける人や普段から箱の中にいる人しかうれしくないのである。雲の上の図書館、面白そうだから行ってみようかなと思ったのだが、図書館までのアクセス方法を見てあきらめた。まず仙台民にとって四国へ行くのが容易ではないのだ。2018年11月時点で、仙台空港から四国の空港への直通便がないのだ。しかも空港からがさらに遠い。よほどの観光好き旅行好きであれば行くのかもしれないが、私にはそれだけの意欲はない。

イベント1-2のセッションはタイトルに「クラウド技術」とあるので、事前に少しだけ期待していた。クラウド技術は「いつでも」「どこでも」を実現できる技術だからだ。でも残念ながらクラウド技術を前面に打ち出したソリューションで興味を引くものは出てこなかった。どうも国立国会図書館ではAIに属するディープラーニングと画像を組み合わせた研究が流行りのようで、デジタル化した歴史的資料(原著を撮影しただけの、変色した紙に薄れた文字が載っている画像)をAIを使って鮮明な文字にしたり、歴史的資料のなかで絵が描かれている箇所を検索対象として画像検索ができるようにした、という報告が行われた。もちろんこれもすごい技術ではあるし、将来のために必要な研究ではあると思う。鮮明な文字になればOCRの精度が上がってテキスト化しやすくなるし、テキスト化ができれば音声で保存するということもできる。画像検索ができれば「亡くなった親族の形見の白黒写真で戦時中の集合写真のようなのだけど、これがいつどこで撮られたかわかる?」という謎を解明するツールに使える。ただ、私が知りたかった情報ではなかった。

以上が図書館総合展を見学した感想である。

そしてここからは想像だが、図書館という箱に来てもらうことを重視している図書館関係者が、日本中に結構な数でいるのだろうと思う。たとえば自治体の首長で図書館建造に積極的な人は「図書館という箱に人を呼び込むことで観光客が自治体に金を落としてくれる」と期待している面もあるのだろう。それならば見た目のキラキラした、インスタ映えする図書館は効果があるのかもしれない。また日本中の公立図書館は毎年度に統計をとっているのだが、その中身は「来館者数」「登録利用者数」「貸出冊数」といったものだ。図書館という箱に来て利用者登録が多く、貸出が多い図書館こそ価値があると考えている人がいるのだろうと思う。

ただ、この記事を読んでいるみなさんが、冒頭の質問文に対して「はい」または「条件付き『はい』」を選んだならば、図書館という箱に来てもらうことは重要ではないと気づくかと思う。図書館が豊富な情報資源を抱えるのは素晴らしいことだが、重要なのはその情報資源にいつでもどこでもだれでもアクセスできることだ。

さてここでようやく、この記事のタイトルに掲げた「図書館の未来」の登場である。私が考える図書館の未来は、図書館が抱える豊富な情報資源にいつでもどこでもだれでもアクセスできる状態だ。究極的には利用者が図書館の存在を気づかずに、図書館のサービスをフルに利用できる状態だ。

私が考える具体例を以下に挙げる。
・今すぐ実現できる簡単なことは、図書館内で定期的に行われる読み聞かせの会を撮影して公開することだ。たとえば地域のテレビ局やラジオ局とタイアップして番組で公共の電波に流すでもいいし、ビデオ撮影してYouTubeに公開するでもいい。YouTubeであればスマートフォンでも再生できるから「いつでも」「どこでも」「だれでも」が満たせるだろう。
・自宅で家事をする主婦がスマートスピーカーに「『かちかちやま』の読み聞かせをお願い」と声をかけたら、スマートスピーカーは図書館の音声資料にアクセスして「かちかちやま」の音声を流す。これならば利用者である主婦は図書館の存在を意識しない。将来的には音声入力を受け付けるスマートテレビが普及するだろうから、主婦がテレビに声をかけたら絵本の画像と音声が自動再生される時代も来るだろう。スマートテレビを待たなくてもiPadとSiriでも実現できそうだ。
・VRで仮想空間上に構築した図書館。VRゴーグルをかければ目の前には書架がずらりと並び、背表紙をブラウジングできる。VRゴーグルを持ち歩けばいつでもどこでもその図書館内を歩くことができる。VR環境内の映像をいじるだけで館内のインテリアを変えられるから、季節行事にちなんだものを配置することもできるだろう。

上記の通り、いつでもどこでもだれでも図書館を利用することを念頭に置くと、図書館の建物自体を豪華な見た目にする必要はない。利用者が館内に入ることなく情報資源を利用できる状態になれば、図書を整頓する必要もない。情報資源がデジタル化できて冊子体の形でなくなれば、場所をとる書架も、書架を設置するための広大な敷地も必要はない。

ここまで読んでICTに詳しい人はピンと来たかもしれないが、究極的にはすべての情報資源はデジタル化され、図書館はサーバが並ぶデータセンターになるのだ。データセンターというものはインフラ系エンジニアでなければ普段足を運ぶことはない。だが利用者はデータセンターというものを意識せずにデータセンターを利用しているのだ。(おそらくこのnoteだって、実体はどこかのデータセンターのサーバ上に存在するだろう)

図書館がデータセンター化すれば、図書館という箱の所在地がどこかなんて意識しなくてよくなる。利用者が直接来ない箱なのだから市街地から離れた立地でも困らないし、内外装は地味で構わない。利用者は情報にいつでもどこでもだれでもアクセスできるのだからいいことずくめだ。

ところが事はそう単純には運ばない。実は図書館というものはデジタル化の波に翻弄されつつも微妙な、危うい立ち位置に存在するものなのだ。
・紙の塊を束ねた「本」を信奉する勢力が結構な数で存在する。特に生活がかかっている製紙業界や製本業界、そして出版業界だ。また利用者の側にも「画面ではなく紙で見ないと理解できない」「書架の間を散歩することが健康の秘訣」「大量の紙をペラペラとめくることが至福のひととき」「古びた紙とインクの香りこそ至高」という人もいるだろう。
・1冊の本をデジタル化すればその本の情報を同時に複数人で参照できる。紙の本と違って「一人目に貸したら返却されるまで二人目が読めない」ということがなくなる。ということは返却なんてしなくてよくなり、読みたい人は未来永劫、その本のデジタルデータを所有し続けることができるはずだ。技術的視点から見ても、デジタルデータは保存媒体が健全であれば突然消滅することはない。ところが現存する電子図書館では著作権の問題がない著作しか未来永劫所有することが認められていない。渋谷区電子図書館では貸出後15日が過ぎると貸出資料を自動削除するし、大阪市立図書館電子書籍 EBSCO eBooksでは他の人が閲覧中の電子書籍は閲覧できないようにガードをかけている。「所有させませんよー頒布してませんよー出版業界に迷惑かけてませんよー」と主張するために、こんな手の込んだ仕掛けを施しているのである。エンジニアとしては機能実装の観点から「文系人間どもが余計な手間かけさせやがって」と言いたくなるところだが、図書館は出版業界に嫌われたら存続できない。

そんなわけで現代の図書館は紙とパソコンと視聴覚資料再生機が同居する微妙な立ち位置にあるのだけど、将来はスマートフォンかそれに代わる端末が普及して「図書館はこの端末に入ってる」という時代が来るのだろうと思う。今回見学した図書館総合展ではその片鱗は見られなかったけれども。

では最後にもう一度、質問文を載せて〆とする。以下の質問文について「はい」か「いいえ」で答えてほしい。

質問文:知りたいと思う情報には、いつでも、どこでも、だれでもアクセスできるようにするべきだ。


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