子どもの「何のために勉強するの?」への答え。

「勉強って楽しいんだよね」これが大人の口から出てくるようになれば最高だが。子どもは「えー、勉強つまんないけど」と言う。

とはいえ「勉強って何のためにするの?」に対する答えが「楽しいんだよね」で、子どもは納得しないだろう。自分も教師だったのでこれについては色々と考察した。よくある回答例としては「将来役に立つ」「可能性を広げる」「いい高校/大学に行くと選択肢が広がる」「頭を鍛えるのに大切」「必要な教養は我慢してでも身につけないといけない」「論理的思考を育むため」などだろうか。どれも正しい部分があるが、これで納得できるのは、ある程度自律心がある子どもか、我慢できるくらい成熟している子ども、もしくは先生の言葉をある程度咀嚼できる子どもだろう。問題なのは、自分を律することが苦手だったり、成熟しきっていない子ども、理解がそこまで追いつかない子どもにどうやって勉強に取り組むように持っていくか。これこそ、もう昔の人の言葉通りで「好きこそものの上手なれ」だ。好きにさせることが最も効果的。じゃあどうすれば好きにできるのか?結局最初に戻ってくるのだが「楽しくさせる」こと、これ一択。手段は何だっていい。「楽しい」という感情を入り口にして動き出すと、もうそこからは自動的に進み出すようになる。放っといてもそのことをやり出すようになる。そうすれば、もうこっちのもの。だって自分で好きでやっていくんだもの。その状態でこちらが新たな情報を与えると、そりゃあ興奮するし「もっともっと」と学んでいく。これが目指すべき状態。

教師時代このことに気付いてから授業の方向性が決まった。授業はエンターテイメント、教師は(したたかな)エンターテイナー。いかに楽しく過ごさせ、その中で子どもが気づかぬうちに学んでいる状態にするか。楽しいことしてたら、いつの間にか必要なこと身についていた、という状態にどうやって持っていくかが授業の研究ポイントだと気付いた。子どもが授業の合間の休み時間に「あ〜次英語かぁ…(嫌だなぁ)」と思わせないようにすること。そんな精神状態で与えられた情報が効率的に頭に入るわけがない。「お、次英語やん♪」こうさせれば勝ちだ。まあ、実際どれほどできていたかわからないが・・・教え子に会う機会があれば、聞いてみたい・・・(怖い)一応アンケートでは自分の受け持っていた生徒は8割が英語が好きという回答をしてくれていたのだが。。よくあるのは、教科書の内容をいかにうまく、わかりやすく生徒に伝達するかということを研究しがちだが、今の時代、そこが授業の最重要の研究ポイントではない。いかに能動的な精神状態(「次、英語かぁ嫌だなぁ」とさせない)で授業に臨ませ、授業を楽しく過ごさせつつ必要なことを組み込むようしたたかに計画し、それを繰り返すことで教科を好きにさせ、あとは自分で勝手に学んでいくというサイクルを作る。そのサイクル全体をデザインすることが重要。(クラス運営等をうまくしないと人間関係に苦しんでいる状態では何をやっても辛いままなので、それはそれでもちろん必要)この「子どもの動き全体を考えて授業を設計をする」という考え方は、わかりやすい説明ならいくらでもネットで見つけることができる今の時代だからこそ、特に必要だと感じている。人がリアルに存在し、教員がライブで授業を行うという意味を考えると、学校でしかできないことということがだんだん浮かび上がってくるはず。

最初に戻るが「何のために勉強するの?」という質問に対する答えは「そんな質問をさせない」だ。(あくまでも勉強に向かわせる手段として。勉強の意味を考えさせること自体はいいことなので。)勉強が嫌でそういう質問をしてくる子どもが、大人の説明を聞き、納得して「そうか、やっぱり勉強って大事なんだよな!よし、頑張ろう!」となるケースは稀だ。よくて「そうか・・・そんなもんか」と自分の中で反芻しているくらいか(繰り返すが、それはそれで大事)。月並みに聞こえるかもしれないが「楽しくさせる」、これが勉強をやりたくない子どもに対する答えだ。その勉強をしている時間が楽しいと思えるようにどう工夫するか、これが大人が知恵を絞るポイント。「勉強が楽しくなっちゃう本」(QuizKnock著)では、楽しさの要素を言語化する、と書いてあったが、それも好きになるため、楽しくなるためにはいい方法だと思うが、これはこれで高度な作業でもあるので、大人と一緒にすることが望ましい。「何のために勉強するのか」に対する納得できる回答を考えようと知恵を絞っても案外コスパが悪い。いかに学びの中に、ゲーム性や発見の瞬間、協力して達成する楽しさなどをちりばめ、学校以外の場所でそのことを考えたり、触れたりするようにデザインするかだ。自分自身が行ったことをまた別の記事でまとめていく。


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