【実録】僕の躁鬱記録

いいことは何度思い出しても思い出し笑いをする材料になるけど、悪いことは、その時は猛烈に自分を蝕み寝ることさえ遮断させるパワーを持っていたのに、時と共にいい意味で風化し、忘れる。人間の脳は本当によくできているな、というお話を。ヨシモト自身の体験したノンフィクション話です。


ふとその悪夢を思い出す時があって、これも自分の人生の1ページだと思って、ここはなんとか記録しておきたい。


26歳の頃。大手広告代理店、二年目の頃。

僕の所属していたチームはコンペに勝ちまくり、仕事量は1億、2億、3億と、紙面上ではなんだかわらかないぐらいに金額が膨れ上がっていっていた。


仕事が多いのは構わない。だけど、僕にとって自分の”サイズ”と、周囲が僕に求める”サイズ”がどんどん合わなくなっていったことが、まずは問題だった。


元々、その会社の看板は重厚でたいそう立派なものだった。僕がその会社に入ったというだけで、その日から親戚の目つきも変わった。それがそもそも僕には気持ち悪かった。自分は何も変わっていないのに、周囲から”偶像”を押し付けられている感じがした。


24時間働いていた。朝まで資料を作り、シャワーを浴びに家に帰って、身なりを整えてプレゼンに行く。その帰りに漫喫に行き少し眠る。そしてまた会社へ行く。


身体的には、まずは鼻血が出た。次に耳血が出た。人は過労状態になると、その人の”弱い所”から影響が出るという。確かに僕は昔から鼻炎持ちで、”耳鼻科”にはよくお世話になっていた。まさに、鼻と耳から、出血した。


その頃は家に帰れないことに腹をくくる日々が続いており、深夜1時くらいに外にラーメンなどを食べに行き、コンビニでスタバのエスプレッソとモンスターなどのエナジードリンクを両方買い、食後にエスプレッソを、そして会社でモンスターを飲み続け、僕は眠ることをやめた。


心は体よりも疲れ果てていた。上司にはいつも詰められ、やり直しを言い渡され、何よりも僕の仕事のあり方を否定された。小さな案件にも取り組む僕に、「お前、いつまで”消費税”みたいなシゴトしてんの?」と言われた。億の仕事をしない奴はヒトでなし。だいたい三千万以下の案件はそんな扱いである。そんな価値観の違いさえ、僕の中に入ってきて、それまで生き方そのものを搔き乱された気がしていた。


そんなある日、事件が起こった。

心のコップの水が、その表面張力を失い、零れた。


いつも通り帰れないことを決め、外でメシを食った。コンビニにも行った。もはやルーティンであった。そして会社に戻った。

でも、いてもたってもいられなくなって、僕はトイレに駆け込んだ。でも呼吸がうまくいかない。外に飛び出した。


都会というのは本当に不便で、隠れる場所がどこにもない。ビルの間に隠れようと思っても、そこにはホームレスという先約がいる。数えるほどの公園のベンチに座っていても、人目には確実に触れる。マン喫だって、上部は筒抜け。


おもっくそ自分をさらけ出せる場所なんて、何処にもない。



友人に電話しようと思った。


一人目はいつも連絡をしている友人。茶化した感じで笑われながら、あんたはあんたでいいから、と励まされ、電話を切った。


まだ足りなかった。


二人目はいつも連絡をしない友人。久しぶりで申し訳ないけど、辛くて電話したというと、よっぽど辛かったのだろうと大いに慰めてくれた。1時間ほど電話していたかもしれない。時間の経過を忘れた。


それでも、足りなかった。


何が足りないかってそのとき瞬時に考えた結論が、もし僕がここで死んだら、その原因や経緯はなんだったのか、誰かには知っていて欲しかった。でないと原因不明の死として片付けられ、僕の人生はきっと、この広い世の中では案外すぐ終わる。なかったこととして処理される。それは考えただけで惨めだった。初めて『死』を意識した。


三人目。両親に電話をした。

深夜にも関わらず、母は電話に出た。

いやむしろ深夜に息子から電話が来るなんて、よほどのことだろうと思ってすぐに出たんだろう。


どうしたの!?と驚いた声で僕に問いかけた。そりゃそうだよな、どうしたとフツー思うよな、いま自分がやってることって鬼畜だよななどと、考えがあらゆる方向に及んだら、どんな感情(トーン)で声を出していいかわからなくなってしまった。


いや。あの。その。

その時点で僕は既に言葉を失いかけていた。


「辛くて。」

「何が辛いの?」


僕は何も返せなかった。


やっと出た言葉は、


「何が辛いかわからないことが、つらい。」


その後は涙でどろどろの声を、ただひだすら母に聞かせてしまった。

都会の真ん中でひとり泣く息子。これでもかと心配をかけていて申し訳ないはずなのに、僕の溜まっていたものがヘドロのようにとめどなく出てきては、ますます申し訳なさが増していった。本当は電話を切りたかったけど、それ以上に、僕の危篤を誰かに伝えたかった。


母は電話越しであたふたした様子だったけど、なんとか咄嗟にひとつだけ約束してくれと僕に言った。


「明日の朝一であんたを迎えに行くから、それまでは少なくとも生きていなさい!わかった!?」


と。


僕は、既にヘドロが止まらない状態に陥っていた。口。目。鼻。耳。ありとあらゆるからだの穴から汚物が出ていたと思う。呼吸もままならない。そんな極限の自分を、電話越しとはいえ母に感じさせてしまった悔しさも交錯しながら、やっとの思いで、


「はい」


とだけ伝えた。


絶対よ!明日の朝、車で行くからね!連絡するからね!気を確かにね……


どれくらい時間が経過していたかわからないけど、案外短い時間だったと思う。僕は辛いと泣き出し、母は明朝迎えに行くから生きててくれと伝え、僕ははいと答えた。たったそれだけのやりとり。一瞬の出来事のように思えたが、僕は"詰り"をやっと少し出せたようで、少し我を取り戻した。



明朝。母は父と共に田舎から本当に飛んできた。

一人暮らしのマンションから無表情で出てきた僕を、母はくるむようにかばい、車に乗せた。まるで容疑者が電話で自首して、警察がパトカーで自宅まで迎えに来て、なるべく人目につかないように、容疑者を刺激しすぎないようにかばっているみたいかもなとか思って、少し変な笑いをしてしまった


そこからはあまり覚えていない。もう記憶から消したいのだろう。

なんとなく覚えているのは、父も母も僕を憐れむ目でみながらも、僕を無事に確保できたことに安堵しているようだった。特に僕に、どうしたのか、とも聞かず。

僕は軽い失語症になっていたように思う。言葉を発するのが怖くて、何か言葉を発すればそれは自分に刃となって返ってくるような気がして、何も言葉を発したくなかった。


でも、「なにか食べたい」と僕が言ったら、母はそっか、と返事をくれたし、「おいしい」と僕が言ったら、よかったね、と言ってくれた。この二言は、発しても誰も傷つけないかなと思って、発してみた。やはり誰も傷つけなかったようで、少し安心を取り戻した。


前日泣きじゃくったとは思えないくらい、実家では涙も感情も何もなくなっていて、まるでくたびれた古くてこわい人形のようだったと思う。きっと親だってつまらなかったと思う。見たくなかったと思う。


この”事件”はたまたま金曜の夜から土日にかけて起きた。金曜に僕が壊れ、翌日が土曜だったので家族は飛んでこれた。そして寝て覚めた日曜の朝、やはり僕は月曜のことを考えだしそうになっていて、かなり嫌悪感を抱いていた。でもそのへんの時間軸、曜日感覚も、あとになって段々と理解してきた。


でもそのとき、これで僕は『自分はこういう(危ない)状態にあります』ということを、少なくとも両親にはちゃんと見てもらえたわけで、これからなにかがあっても、少なくともこの日にはこんな状態でありました、とちゃんと両親が誰かに伝えてくれるだろう思った。それだけでも僕の安心材料のひとつになった。”生きていた証”ってよく言うけど、こういうことなのかなと。

こうして僕は心のコップの水を少しだけ放出できた。それでもしばらくは予断を許さなくて、少しでも揺れると、また水が溢れた。実際に何度か揺れた。いつまた爆発するかもしれない状態ではあった。



時間が大分過ぎての今、僕はここまでの状態になることはなくなった。自分のコップの量をある程度自分で把握できるようになったから。こうした自分の一面を発見できたこと、そしてそれを大切な人に生々しく見せてしまったことは、結果として今の僕の心の安定に繋がっていると思う。


人ってそんな急に強くなったりはしなくて、僕の言葉でいう『心のコップ』のキャパシティが急に増えたりはしない。やっぱりどこかまで来たら確実にそれば零れる。必ず。誰しも。


大切なことは

■コップにストレスという水を入れ過ぎないこと。

■コップからストレスの水をちゃんと抜くこと。

理科の実験でもやったように、抜けていく水よりも入ってくる水が多いと、その水はいつか必ずコップから零れます。それこそ精神的なダメージがやっと顕在化する瞬間。僕のこの昔の体験のように。でもその予兆は鼻血や耳血として出ていたのに。


まずは日頃から自分のコップの状態とちゃんと向き合うこと。僕はいまでも「あー、コップ溜まってきたなーやっべーそろそろ抜かなきゃ」とか思います。そしたら対処します。ストレスから逃げます。逃げ切れないときもありますが・・・


そしてそのコップの水が零れそうなら、誰かにSOSを出す。助けてくれる人は必ずいる。



『明日朝までは生きてて!』

いま思い出すとネタのような一言ですが、母が必死に言ってくれたこの言葉、いまでも胸に残っています。

人様に生かされました。


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