見出し画像

かつて通っていた小学校が大人になって小さく見えたのは、身長が伸びたからではなかった。

自分の通っていた小学校を久しぶりに見て、思うこと。

「こんなに小さな校舎だったんだなー」
「こんなに狭い校庭を走り回っていたんだなー」

皆さんも一度は感じたことがある感覚だと思います。
これ、いったい何故だと思いますか?
ぱっと思いつくのが…

あの頃は小さかったから。

でもおそらく、それは違います。

私の知人がこんなことを言っていました。

「あの頃、もう今と同じ身長だったけど、やっぱり当時は大きく見えたよ」

つまり、そういうことなんです。
「身長が大きくなったから校舎が小さく見える」のではない。

では、どうしてなのか。

おそらく、もっと大きな建物をたくさん知ったから、でしょう。

小学校よりは、中学の方が大きい。
中学よりは高校。そして高校よりは大学の方が大きい。
たしかに私自身、大学入学時には、その敷地の広大さに驚いたものです。

さらに、学校より大きな建物や施設も、世の中には数多くある。
それらを知らなかった小学生時代と、知っている今。
この「世界観」の違い。

これが、「大きく見えていたものが小さく見える」の正体だと私は考えます。
言い換えると、大人になって世界の広さを知った、ということ。

ところで今、不登校の子どもたちがたくさんいると聞きます。

「学校が世界のすべて」と考える子どもたちにとって、その学校が「過ごしにくいところ」だと感じることは、言うなれば「世界は過ごしにくい」のと同義なのでしょう。

大人にとっては小さく見えている小学校が、彼らには大きく見えている。
その中で、苦しんでいる。
では我々大人は、いったい何をすべきか。

いじめを世の中からなくすことは、おそらく大人にもできません。
学校を、子どもたちの過ごしやすい空間に変えることも、簡単ではないかもしれません。

そんな中で、できること――

――世界の広さを教えてあげる。

これだけは、できるはず。

学校が過ごしにくい?
その学校って、実は世界のすべてではないんだよ。
他の学校だってあるし、学校以外の場所もたくさんある。
仮にその学校を続けるとしても、その期間は、長い人生の中の、ほんの一瞬なんだよ。
世界はどこまでも、広がっているんだよ。

子どもたちよりも広い世界を知っている私たちができる、唯一のことを、丁寧に、やってあげたいなぁ、と思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?