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kanpai 2035

「それでは、高橋さんのご結婚を祝して、kanpai。」

「kanpai。」

「kanpai。」

「kanpai。」

「kanpai」すると、みんなが笑顔になる。

昔は「乾杯」と言っていたようだ。
杯を乾す、つまり、飲み乾す。お互いの杯に注がれた酒を飲み乾して、うれしいことを共有したのだ。飲み乾すと、次の酒が注がれる。また、飲み乾す。酒が注がれる。また、飲み乾す。この繰り返し。うれしいことを永遠に繰り返すヨロコビ。

それも昔の話。古き良き時代、2020。
コビド19が、新型コロナウィルスと呼ばれ、流行り始めた年。

今は、2035年。
あれから15年経ち、「乾杯」は、「kanpai」になった。

「kanpai」の語源は、英語らしい。
「Can I pay it for you.」
直訳は「わたしはあなたの分を支払うことができますか。」。「Can I pay」から「kanpai」に。いささか強引ではあるが。

お互いに杯を上げて、つぶやくように言うのがマナーだ。大声を出さない。
「kanpai」
「kanpai」
「あなたの分をわたしは支払うことができますか。」
「あなたの分をわたしは支払うことができますか。」と言ってることになる。

それは、「わたしはあなたの分を支払い、あなたはわたしの分を支払う」ということである。そこには、相互扶助の精神が生きている。分断され混沌とした時代に生まれた「kanpai」。

「kanpai」の席で、酒を自分で自分に注ぐようになってからは、余計に相手を気遣うようになった。料理は大皿から随時取り合わない。
大皿の担当を決めてつぎ分けるのだ。まるで給食当番みたいだ。この皿はわたしがつぎ分ける。次のその皿はあなたがつぎ分ける。平社員から社長まで順に担当する。美しいつぎ分けは称賛される。料理が乗っていた大皿はどんどんつぎ分けられていき、テーブルの上には小皿が並ぶ。

大皿の盛り付けられた料理を目で楽しむことは減ったかもしれない。
でも、小皿への盛り付け方は、会の楽しみの一つになっている。みんなが少しずつつぎ分けて、一つのプレートができる。楽しみは見つけられるものだ。

会の進行も変わった。

まずは「kanpai」
そして、つぎ分ける。
それから、食べる。
おなかが落ち着いて、話す。
司会が、様子を見ながら勧めていく。
「お食事の時間はあと5分ほどにいたします。心のこもった料理、最後までご堪能ください。」
食品ロスも減少しているらしい。

最後は、お勘定。
みんなお互いの分を出す。相手をもてなしている感覚。また、相手にもてなしてもらう感覚。
「ありがとうございます。ご馳走さまです。」

長い箸の国のお話を思い出させる。
長い箸を使って自分の分だけを食べようとする国は苦しむ。長い箸を使って相手に食べさせようとする国は幸せに満ちている。

自分は相手に、相手は自分に。

人との直接のコミュニケーションが難しくなり、世界は冷たくなった。

そんな時代に「乾杯」は「kanpai」になった。

新しい価値観で見つめる柔軟さがあれば、それは、なかなかあたたかい。




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