【年齢のうた】紅麗威甦●「15歳で”オバン”と言われます」に透ける昭和の不良の影
寒くなった~。今年の秋は短い。
先日はコールドプレイを観ました。素晴らしかった!
6年ぶりの来日で、僕個人は5回目。言われた通りにウォーターボトルを持参して、その水を飲みながらでした。高いエンタメ感の中にメッセージ性も込められていて、その案配というか、優しさのスタンスが彼ららしいと感じたものです。ロック・バンドとはちょっと違うけど、彼らの表現する世界はそんな範疇を飛び越えてすごいです。
ゲストアクトのYOASOBIも良かった。ikuraの歌声には力強さとキレがある。今年「アイドル」を生で聴けて、良かった。
さて、今回は紅麗威甦。グリースと読みます。若い人はどのくらい知ってるかな。
銀蝿一家からデビューした紅麗威甦、ヴォーカルは杉本哲太
ロックバンド、紅麗威甦(グリース)。
この界隈をよく知らない人には、まずは次の映像と曲から。
そう、数年前にドラマと映画になった『今日から俺は‼』。原作は昔の、同名のコミック。
この音楽で脚光を浴びたのが、横浜銀蝿と銀蝿一家(ファミリー)だった。
この横浜銀蝿というバンドについて。彼らは80年代初頭に日本中を席巻するほどのヒット曲を放ち、とくに若い世代の間でブームとなるほど、大いに人気を博した。
続いてこのバンドの周囲からは、さまざまなバンドやシンガーがデビュー。その誰もが、当時の不良たちのライフスタイルや心模様をポップでシンプルなオールドスタイルのロックンロールに乗せて、唄っていたのである。
先ほどの『今日から俺は‼』の主題歌になった「男の勲章」は、一家の一員である嶋大輔が1982年に発表した2枚目のシングル。当時も高いセールスを残したが、先のドラマ化が2018年だったので、36年もの時を隔てての主題歌抜擢となった。
下記は2003年の嶋によるセルフカバー版だ。この歌の作詞作曲は、銀蝿のギタリストであるJohnny。
こちらは「男の勲章」を、40周年を迎えた時の横浜銀蝿がカバーしたもの。
1980年結成の横浜銀蝿は、今でも活動を継続している。
このように銀蝿一家は不良少年あるいは少女の生活を唄うという、とてもコンセプチュアルな音楽を鳴らしている。コミックソングのような曲もあり、それらはノベルティソングと言っていいのではないかと思う。
ここで、80年代に彼らに支持が集まった背景をちょっと考えてみる。
ソれ以前の70年代から日本の若者たちの間では、ヤンキー文化が盛んになっていく流れがあった。時代的には受験戦争や校内暴力など、学校教育の現場では問題が多かった(今は今で、別の観点での問題が多いが)。さらには各地に暴走族も存在するなど、荒れる若者たちがあちこちで大人に反発していたのだ。
おそらくそうした状況が関係していると思われるが、その頃から日本の音楽シーンでは、不良の心に寄りそうような音楽が定着する傾向があった。70年代のうちはダウンタウンブギウギバンド(宇崎竜童)、そしてキャロル。キャロルからは舘ひろしのクールスが派生していったし、何よりもそのキャロルからは矢沢永吉とジョニー大倉という優れたアーティストが旅立っていった。
もっともこうしたバンドやアーティストたち自身に、不良的な資質があったことは間違いないとしても、実際にそこまでひどい不良はいなかった。そもそもほとんどは20代になってのデビューばかりで、不良少年の心を唄う楽曲にしても、ツナギや革ジャンなどの衣裳、リーゼントの髪型にしても、言ってしまえばコスプレ的な部分もあったはずである。
ただ、もちろん、そこに彼らの真剣な姿勢があったことも間違いない。
やがてこうした音楽が若者に大いにウケることとなり、その歌たちは不良少年少女の心のよりどころとして響いたのは確かだった(当然すべてが売れたわけではないが)。それはその歌が、サウンドが、本当にそうした子たちのリアルさ、切実さに触れたからだろう。
このように不良への共感を示したり、その生き方に寄りそうような音楽は、日本のシーンの底に流れるようになり、定着していったと僕は考える。この21世紀においては街中で、古典的な不良というか、いわゆるヤンキーは見かけなくなったものの、こうした不良性を表現する音楽は別の形で受け継がれ続けていると思う。
話は80年代である。
このディケイドの最初に日本の不良たちの心をガッチリとつかんだ存在が、横浜銀蝿だった。僕の友達にもこのバンドのことを大好きな連中がいて、彼らが中学校の教室でレコードの貸し借りをしていたのを覚えている。
そして今回触れる紅麗威甦は、この銀蝿一家のバンドなのである。
ちなみに今回のアイキャッチ画像は、彼らのデビューシングルのジャケット。
このバンドでリードヴォーカルをとっていたのが、のちにとてもいい役者へと成長していく杉本哲太だった。
先に紹介してしまうと、杉本哲太はソロとしても作品をリリースしている。これは1982年のシングル曲。この唄い出し部分のセリフを、氣志團が「One Night Carnival」でオマージュしている。
紅麗威甦というバンドは、活動当初からそれなりに人気があった覚えがある。といっても自分は歌番組で何度か観た程度だったが、ともかく銀蝿一家の正統な弟分という印象を受けた。
ただ、徐々にこのバンドの名前を聞く機会は減り、そのうちに解散していたのを知ることになった。
なお、杉本以外のメンバーは、今は紅麗威(グリー)というバンド名で活動している模様。
しかし「四十の幻想」とは……(今はもう50代になっているだろう)。当時からこの界隈は、こうしたユーモアのセンスがあった。
不良たちの姿が重なる…映画『積木くずし』挿入歌
さて、紅麗威甦には、自分にとって忘れられないシングルがある。「15歳(じゅうご)で”オバン”と言われます」という曲だ。
1983年8月にリリースされたこの曲だが、僕はその頃、紅麗威甦の近況をとくに知らない状態だった。そんな中、行きつけのレコード店のラックにシングル盤が並んでいるのを発見したのである。
そこで、いきなりこのタイトルを見た。衝撃だった。
15歳。それで、オバン。
15歳でおばさん! だと!?
念のために説明しておくと、「オバン」とはこの時代に定着したおばさんの呼び方である。もちろんおじさんのことを指す「オジン」も存在する。
15歳で、オバン。そんな価値観の文化があることがかなりの驚きだった。それって、どこの不良? ヤンキー、の世界? と。
しかも肝心の楽曲は銀蝿一家のオハコのロックンロールではない。歌謡曲というか、ほとんど演歌である。
紅麗威甦にとっては5枚目のシングルで、1983年8月の発売。ただ、結果的にはこれが彼らの最後のシングルになってしまっている。
そしてこの曲は、映画『積木くずし』の挿入歌だった。
『積木くずし』は80年代序盤に、俳優の穂積隆信が自らの家庭をモチーフに書いた作品。不良になってしまった実の娘との物語を描いており、これが社会的に大ヒットしたことで、同作はドラマや映画へとなっていった。ただしその過程にさまざまな問題もあったようで、それも相まっていっそう話題になっていた覚えがある。
ドラマの『積木くずし』は、高部知子(当時わらべ)の主演で高視聴率を稼いだのちに、映画化。ただ、高部が起こしたトラブルというか事件によって、映画の主役は渡辺典子に交代している。
このトレイラーでは、島倉千代子の主題歌しか流れないのが残念。渡辺典子はなかなかの熱演をしてそうだ。
「15歳(じゅうご)で”オバン”と言われます」はこのストーリーをベースにして書かれているようだ。
ただし唄っているのは杉本哲太ではなく、ドラマーの桃太郎というメンバー。どうもこのバンドは杉本がメインヴォーカルでありながら、ちょっと甘い声質の桃太郎もけっこう唄っていたようだ。
それについては、このnoteでも分析されている。
さて、「15歳(じゅうご)で”オバン”と言われます」はコテコテの歌謡曲、いや、もはや演歌的ですらある曲調である。作詞は横浜銀蝿のリーダーにしてドラマーの嵐(らん)ヨシユキ、作曲はベースのTAKU、アレンジは銀蝿で、彼らが全面参加した楽曲。とてもきっちり作られている印象だ。
サウンドはロックというか、GS(グループサウンズ)の匂いもありつつ、後ろにシンセも入れるなど、うまく音作りがなされている。深く言及するほど掘り下げていない自分だが、横浜銀蝿はこのように、イメージ以上に音楽的なしたたかさがあるバンドだと感じる。
このウェットな、お涙ちょうだい系のメロディを、桃太郎は切々と唄っている。映画に寄せて、あえてこういう曲調にしたのだろう。ここまでやってしまうのは銀蝿一家なりのユーモアのひとつとも解釈できるし、映画のための曲だという割り切りもあったということだろうか。
それにしても、ほんとに15歳でオバンと呼ばれるのか? いくらなんでも早くないか? 島根の片田舎に住んでいた自分なんかは、このタイトルと歌詞に、何度もそう思った。それが本当に『積木くずし』の主人公が生きていた世界の感覚だとしても。
もっとも、それから何年もあとに、関西でかなりの不良と言える学生生活を送った人と知り合うことがあった。話を聞くと、周りは相当な環境だったようで、「みんな13歳ぐらいで、当たり前に悪いことやってたよ」と教えてくれた。そうか、では15歳でオバンというのもウソではないのか、と思ったりした。
自分としては今この曲を聴くと、80年代当時の不良たちの影が重なって思い出されてしまい、懐かしく、ちょっとせつないような気持ちになる。高校ではヤンキーに近いような友達もいて、仲のいい奴もいたことを思い返した。
現在の世相では、とくにネットの中では、元不良だとか元ヤンキー、それに「やんちゃ」という表現を不用意に使うと、問答無用でバッシングされる風潮がある。お前はそうだったかもしれないが、それでイヤな思いをした、迷惑を被った人間がどれだけいると思ってるんだ! 横道にそれず、地道に、マジメに生きてきた人間こそ立派だろう! と。
その被害者の言い分は、理解できる。たしかに自分に迷惑だった場面も、実際に困ったことも、あった。
ただ、かと言って、あの頃の不良たちのことを全否定する気にもなれない。いろいろな育ちや家庭の子がいたのは知ってるし、かたや、当時はそうなってしまうくらい学校や教育の現場で行き過ぎていることもあったし(もっとも、今は今で……以下略)。
「15歳(じゅうご)で”オバン”と言われます」から、ちょうど40年。今はどうだろう。「15歳でオバン」的な物の見方が進行したような印象は、とくにない。まあ場所や環境によっては、あるのかもしれないが。
ただ、ひとつ。自分が思うようになったことがある。
この歌は不良がモチーフで、それも舞台が昭和だけに、こうした楽曲になっていることは重々わかっている。その上で言っておきたい。
この歌詞には、曲のタイトルと同じ歌詞のあとに、だから急いで生きるのさ、という箇所がある。
急いで生きること。生き急いでしまうこと。
僕としては、若い人ならば、どんな状況であってもそうはしてほしくないと、強く願う。
しがみついても、何があっても、生きようとしてほしい。決して生き急ぐなんてことは、してほしくない。これはもう、親目線みたいなものだ。
そう、親世代の自分から、すべての若い子たちに対しての、切なる思いである。