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【年齢のうた】矢沢永吉●フジロックに永ちゃん降臨!そして「YOKOHAMA二十才まえ」について

FUJI ROCK FESTIVALに行ってきました。

僕は1997年の初回からほぼほぼ行ってまして、10年目からは家族で参加しています。もっとも、今は前夜祭から入り、初日の夜まででもう帰ってきちゃうスケジュールにしてるんですが。

今回は主にそこで観た永ちゃん、矢沢永吉について書きます。

その前に、訪れた2日間の簡単な振り返りをします。

フジロック2023、大盛況の前夜祭とフェス初日

今年は天候に恵まれたぶん、日中はとにかく暑かったですね。わが家は新幹線で越後湯沢駅から苗場入りです。

ただ、前夜祭は夕方からなので、その開場前から並び、まずは苗場音頭。
ここでは熟成豚やつくね串などを堪能しました。

熟成豚の串焼きに
舌つづみをポンポン

音頭の真ん中にいるスマイリー原島さんの「4年ぶりにフルスペックで行われるフジロック!」という言葉を聞き、そうか、今年はマスクなしでOKで、飲酒も声出しも、それにPALACE OF WONDERも復活してるんだよなぁと思い返す。思いがけず見れたサンディーのステージも良かったな。苗場のフラダンス隊を引き連れていて。
そして、花火大会。

たまやー!
ホラ貝の響きも最高でした

やがてDJ MAMEZUKAのYMOリスペクトなプレイを聴きながら、ライヴは中国出身のシンガーであるLEXIE LIU、インドからのジャズロックバンドのJATAYU、そして沖縄のハードロックバンドの紫を、いずれも初生体験。ここで紫を見れるとは! そういえばずいぶん前に外道を見たのもフジロックだったな。
そんな前夜祭の最大の驚きはさくらサーカス(SAKURA CIRCUS)のパフォーマンスでした。啞然茫然。和歌山が拠点? こんなすごい人たちが日本にいるんですねー。フェスの間は先ほど書いたPALACEに出るらしいと聞き、納得。とにかく驚愕の集団!

大道芸をちょこちょこ見ている者としては
かなりハイレベルとお見受けした

ほかにはOASISエリアで加納真実さんの「仮面舞踏会」を堪能。今回は中島みゆきの「あしたバーボンハウスで」を使ったバージョンでした。


そこから明けて、フェス初日。空は、もしかして降る?という天候。てるてる坊主と一緒に晴天を祈願します。


ホテルが部屋に
てるてる坊主を置いてくれてたのです

結局この日降ったのは、ほんのちょっと。まあ~、とにかく暑い一日になりました。


阪神タイガースのミエセス選手ばりの
ギャルピースをする筆者。
朝のうちは元気だった…

しかし今回のそれぞれのお店では、電子マネーの不具合が深刻でしたね。オールキャッシュレスという決まりだったのが、翌日からは現金OKになったそうで、そりゃそうでしょ。通信環境の問題ですかね。おかげでこっちは買いたいものがなかなか買えず、ライヴの開始に間に合わなかったり、買うの諦めたり、でした。

ライヴは、まずRED MARQUEEの鋭児、GREEN STAGEのFEVER 333の轟音を抜けて、たどり着いた先はWHITE STAGEのYONA YONA WEEKENDERS。彼らの演奏の爽やかだったこと。
その後すぐそばのところ天国で大道芸を見てる頃は、身体が河原の石に焼け付くんじゃないかってくらいの灼熱っぷり。
そのままWHITEで観た思い出野郎Aチームは好演だった。日常のせつなさや悲しみを晴らす感覚があり、その中に、じゃがたらやMUTE BEATといった80年代のファンクネスに通じるものも見せてくれて。暑さで溶けそうになりながら、ちょっとグッと来た僕。よく知られてる曲やEテレの『シャキーン!』で見てた以上の良さを感じました。

それ以降はGREEN STAGEとRED MARQUEE、苗場食堂を行ったり来たり。ROUTE17のロックカバー大会、KEYTALKのダンスロック、おっさんパンクのアイドルズの大熱演、藤本夏樹(Tempalay)のサイケワールド。

一番楽しみにしていたのはイヴ・トゥモアのパフォーマンスだった。家族との約束があったから全部はとても観れなかったけど、暗黒感の奥に光のようなものを込めたカリスマ性が圧巻。またの機会があれば、ライヴをしっかり体験したいアーティストです。

そしてGREEN STAGEに戻って、矢沢永吉。そのあとのイースタンユースの緊張感たっぷりのライヴも、美声が苗場の森に浸透していくようだったダニエル・シーザーのメロウなステージも、素晴らしかった。今回のアイキャッチは、そのダニエルの時の夕焼け空です。


さて、永ちゃんです。今回は家族で彼のライヴを見ようと決めていました。

僕は永ちゃんにインタビューをしたことがあります。もう20数年前ですが、雑誌『音楽と人』にて。こんなやり取りをしたものです。
「評論家の人たちには、僕のサウンドをもっと語ってもらいたいね」
「そうですか? では責任をもって言いますけど……」
「ええ(笑)」
「矢沢さんの音楽って、洗練されていますよね? とても」
そう言うと、「洗練されてますよ!」と満面の笑みで返してくれた永ちゃんでした。
とにかく人間力がすごく、現場にいた人みんなが引き込まれてしまい、彼が帰ったあとも撮影スタジオにはその余韻が残って、みんなで笑顔で話した記憶があります。

永ちゃんに関しては、近年は雑誌『昭和40年男』でキャロルや自伝『成りあがり』について執筆しました。これは僕というより、編集さんがこの頃の永ちゃんに対して異常にこだわっているため。

ただ、僕はライヴを観るのはひさびさで……2010年のRISING SUN ROCK FESTIVAL以来、13年ぶりです。

似ている説が出たYAZAWAとYUZAWA

フジロックに備える本人の動画も観て、楽しみにしていました。

ライヴの直前には、白スーツに身を包んだ永ちゃんファンの男性たちが歩いているのを見かけました。その肩にはもちろん大きなE.YAZAWAタオル。ステージ前からは、おそらく彼らによる「永ちゃん! 永ちゃん!」のコールも聞こえてきます。

そして始まったのです。7月28日、17時、GREEN STAGE。FUJI ROCKで初となる矢沢永吉のパフォーマンスが!

名曲の連打!「ヨロシク!」苗場の空を乱舞するタオル!「ロックンロール!」


1. カモン・ベイビー(キャロル 1974年)
2. 黒く塗りつぶせ(1977年)
3. SOMEBODY’S NIGHT(1989年)
4. ルイジアンナ(キャロル 1972年)
5. アリよさらば(1994年)
6. チャイナタウン(1977年)
7. 止まらないHa~Ha(1986年)
8. トラベリン・バス(1976年)

ご覧の通り、永ちゃんの歴代の名曲をギュッと凝縮したセットリストである。
まずはバンドの演奏がスタート。ドラムスはトライセラトップスの吉田佳史で、タイトなビッグサウンドがじつにいい。
そして、ほどなく登場した永ちゃん。スーツ、パンツ、靴、みんな真っ白! 黒いのは髪の毛のみ!(ただし実は染めてると去年のライヴで言ってた覚えあり)。先月の沢田研二とはまた別の真っ白っぷりだった。

最初はキャロルの曲からじわじわっと入り、この1曲目を唄い終えると、MC。

「みなさん、ようこそいらっしゃい。どうも! はぁ~(感慨深そうに息)、フジロックでまたこうやってみんなに会えたよ! 今から矢沢見せます! 一緒にいきたいと思います、ヨロシク!」

この言葉の「また」は、その前の「フジロック」を指しているのでなく、「こうやってみんなに会えたよ」ということにつながっているのだろう。なにせ永ちゃん、フジには初出演なのだから。
次の「黒く塗りつぶせ」は僕のフェイバリット。2番の、まるで犬ころみたいさNight&Day~のところが粗野で、最高である(作詞は西岡恭蔵)。
それから「SOMEBODY’S NIGHT」と重めのロックが続いて、再びMC。

「矢沢、あと1ヵ月で74歳になります。(客席どよめく)驚かないでくれよ。海の向こうには70超えてもロックンロールしてるのが、ミック・ジャガーから何から、いっぱいいます! でもストーンズにできて、矢沢にできないわけないだろう!? ちょっと、言っちゃった(笑)。そんな感じで、これからも唄い続けていたいと思います。次は矢沢の初期のナンバー、紹介します。ヨロシク!」

今度は、これまたキャロルの「ルイジアンナ」。完全にオールドスタイルのロックンロールで、永ちゃんの歌もバンドの演奏もシンプルで軽快。その途中で50’S的なファッションの男女のダンサーが何人から出てきて、ササッと踊って、すぐに消えた。あの短い曲の間奏なので、20秒くらい? そのためにメイクアップしたダンサーたちを連れてきたの?と驚く。そういえばコーラスの女性陣も何曲かだけの参加だったりと、バッキングメンバーの起用もぜいたくだ。そんなところにもE.YAZAWAらしさを感じる。

ライヴ中の永ちゃんは声量たっぷりのシャウトを決め、時にマイクスタンドをぶん回し、ステージのはじからはじに駆けたりと、見せ場の連続。時おりのMCも何を話すんだろう?と思わせるチャーミングさである。「アリよさらば」は昨日の前夜祭の前にDJが流していて、「この曲、永ちゃんは本番でやるかな?」と思っていたが、やってくれた。ヒットシングル多めのセトリである。

乗ってくれ♪ と言われる前から
ノッているGREEN STAGE

そろそろバラードかな?と予想したところで、「チャイナタウン」。横浜の歌だよなぁと思ってたら、本人もその時代の自分のことを話す。18、19、20(才の頃)……と。
このMCの前にスマホで時間を確認すると、まだ17時23分。タイムテーブル上の持ち時間は17時ちょうどから18時までの1時間で、ここまで演奏されたのは6曲。まあキャロルの曲もあるからそりゃ短いよな、まだ半分も来てないのかーと思ってたら……このタイミングで「止まらないHa~Ha」のイントロが! 早くも! スタッフからハットを受け取って、サッとかぶる永ちゃん。え? もうクライマックス!? と思ったこちら家族は全員、急いでタオルを手にする。まあ首や手元に準備済みだったのだが。

そこからはもう、Ha~Ha! のタオル投げの連続。練習してきたわが家3人は投げるタイミングもバッチリである。まあE.YAZAWAのタオルではなかったけど(すみません)。そんな輩も含む観客に向かって、曲中でも「ロックンロール!」と叫ぶ永ちゃん。
しかし僕らがいたのはGREEN STAGEの前方の右側からちょっと後ろのなだらかな丘で、はじめはタオルを投げてる人が周囲にほとんどいなかった。だから「あれ? みんな知らないの?」と思ったほどで、この近くにはそこまでのファンはいなかったということか。しかしそれも曲が進むうちに永ちゃんの熱が伝播したのか、徐々に増加していったのであった。あたりのみんなでHa~Ha!状態。
あとで確認すると、この日の矢沢のステージはオーディエンスによってツイッター(今やX?)などのSNSに動画として非常に多くアップされていたのだが、中でもこの「止まらないHa~Ha」のタオル投げのシーンは最大数だった。これも洋楽系フェスならではのことだろう。

最後はもちろん「トラベリン・バス」で、タオル投げもいよいよ最高潮に。永ちゃん自身が赤い巨大なE.YAZAWAタオルを羽織るように肩にかけ、その後ろ姿を見せたり、観客にお辞儀をするシーンもあった。これぞ大団円。また、曲の後半、バンドがややジャム・セッション的な演奏に転じ、その瞬間に僕はジェームス・ブラウンのソウル・レビュー~マント・ショーを連想した。永ちゃんの音楽にJBからの影響や接点を感じたことはなかったが、思えば目の前のステージでは腰の入ったビートによって終始ホーンセクションが盛り上げていて、そうしてみると決して不思議ではない。それは自分的には発見だった。

そして、まだ演奏を続けるバンドを残し、背を向けて去っていく永ちゃん。あとで公開された映像では、彼はプレイの最中だというのにその足でバックステージに横づけされたバンに乗り込み、会場を後にしていたのだった。


こうしてライヴが終わったのは17時37分。永ちゃん初のフジロック出演はなんと37分、8曲で完了してしまった。全身白で、さっそうと現れ、YAZAWA以外の何物でもないロックンロールをブチかまり、さっそうと消えていった。真夏の夜、いや、夕の夢のような、一瞬吹いた黄金の砂塵のような矢沢降臨。それは楽しくも熱い時間だった。

ちなみにこの日は娘さんである矢沢洋子も観に来ていたとのこと。こちらも家族での参加だったようだ。

こちらはドラムスの吉田くん。バンドメンバーと。


以上、永ちゃんのフジロックでした。

では【年齢のうた】としては、ここからが本題です。

若き日の永ちゃんのイメージが重なる「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」


矢沢の年齢ソングということで僕がすぐに思い浮かべたのは、「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」だった。これは曲名でありつつ、1985年発表のアルバムのタイトルでもある。

実はこのアルバム、発表当時に「えっ!?」と感じたものだ。このことはその頃のファンの方ならちょっとは理解してもらえるのではないかと思う。一方、リアルタイムでなかった人にはそのことにピンと来ないはず。

というのは、この数年前までの矢沢は世界進出に舵を切り、英語の歌を唄うことが多くなっていたから。日本での活動も続け、シングルヒットもあったが、向いている方向は完全に世界クオリティの歌、音楽。それゆえに曲のタイトルも歌詞も英語が多かった。それが、自分が彼を気にするようになった時期とかぶっているため、僕の中の最初のイメージは、洋楽的なロックを英語で唄う大人のシンガー、といったところだった。その頃の矢沢は30ちょっとぐらいか。

その後、活動の軸足を徐々に日本に戻し、1984年の前作『E’』には心機一転した印象があった。背景としては、アンドリュー・ゴールドとの共同プロデュースと、当時の先鋭だったデジタルサウンドを標榜していた点がある。完成度の高い『E’』は誰しもが認める名アルバムと評価されていて、これと、続く『YOKOHAMA~』、86年の『東京ナイト』までを3部作として捉えることができる。

しかし……『E’』から1年ぶりのニューアルバムは『YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ』。本当に驚いた。だって、まるで歌謡曲とか演歌のようなタイトルであり、しかもジャケットに映る矢沢は濡れしょぼっている。コテコテで、(文字通り)ウェットなイメージなのだ。

ちなみにシングルとしてはロックナンバーの「Take It Time」が先行で切られている。これはリリースと同じ年の夏に行われたLIVE AID出演時の映像。

またアルバムには、ファンにはおなじみのパワフルなバラード「苦い雨」も収録されている。

しかしそんな中で、アルバムタイトル曲である3曲目の「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」は、それほど印象が強い曲ではない。この歌はステージでもちゃんと演奏されていて、数年後に出た『STAND UP!!』というライヴ盤にも収録されているのだが。どうにも影が薄い。

聴いてわかる通り、当時のデジタルサウンドに全振りした楽曲である。この頃に流行ったドヒャン!というオーケストラルヒットの音色が聴こえたり、ビートもシンセも、加工されたコーラスの声も、すっかりミッド80’S仕様。言わば時代の色合いが出すぎている上に、それが矢沢の王道サウンドとかけ離れているため、顧みられることが少ないのではないだろうか。
アルバム全体としても、かねてからのAORタッチのものもありつつ、まるでテクノ……から、シティ・ポップに寄った音もある。ミュージシャンには、のちにツアーにも参加するギタリストのマイケル・ランドーや、前作『E'』に続いてミッチェル・フルームがシンセのプログラミングとキーボードで参加。ミッチェルはのちに盟友のチャド・ブレイクとともにロック/ポップスのシーンで革新性を持つ重要なプロデューサーとなったが、この時はアンドリューのサポート的な役割だったようだ。

ただ、アレンジはともかく、この「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」はちょっと興味をそそられる曲ではある。まず曲名の「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」という語感と、語呂の良さ。アルバムのタイトルになったのは、そのこともひとつあるのではないかと思う。また、先ほど書いたように、ちょっと前まで英語が多かった矢沢の曲でこの日本語の題名、しかも最後を「まえ」とひらがな表記にしているのも、なかなか憎い。

そして歌詞で唄われているのは、忘れられない女、恋、夢……それらがハタチ前の物語だというところ。ここで思う。これはこの7年前、28歳当時の矢沢が自分の歩みを語った著作『成りあがり』を念頭に置いて書かれた歌に違いない、と。広島で生まれ、不遇な幼少期から少年時代を送り、高校を出たら天涯孤独の身で上京し、自分が生きる街として彼が選んだ横浜。若さ、青さ、そこでの奮闘、葛藤、戦い、悔しさ、後悔。そして恋、愛、未練。ファンならば、あれこれと想像がふくらむ曲ではないかと思う。

作曲は矢沢本人で、作詞はちあき哲也。矢沢の曲では「YES MY LOVE」「LAHAINA」を書いた人で、一般的にはすぎもとまさとが唄った「吾亦紅」が有名である。
つまり、ちあきは、楽曲「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」では、30代になった大人の矢沢が、かつての悪戦苦闘したホロ苦い青春時代を恋とともに思い起こしているイメージを描いたのである。

今一度このアルバムを評価するなら、サウンドはその時代のジャストなもの、それも世界レベルのクオリティを目指しながら、歌の感覚はドメスティック……日本国内に向けたものを多分に意識している。その意味では過渡的な部分もあるが、ここで「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」という和テイストにグッと踏み込んだことが、90年代に入ってからの「アリよさらば」等の作品につながっていったとも考えられる。

ちなみに次作『東京ナイト』でも、たとえばアルバムからのMVをいくつも作ったり、そこに収録の(そう、先ほどのようにフジロックを盛り上げた)「止まらないHa~Ha」もオリジナルは完全にデジタルな音だったりで、80年代半ばの矢沢は試行錯誤がうかがえる時期なのだ。ちなみに「止まらないHa~Ha」はこの曲名を使ったツアーも行われたほどキャラの立った歌だったが、数年のうちにライヴアレンジによってさらに化けて(ライヴでホーンが使われることも多いが、最大のポイントは当時のU2を思わせる細やかなギターが導入されたことでは)、ステージではマストの曲になった。

王道なロックを炸裂させるパワフルな矢沢は、たしかにカッコいい。しかし「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」で見せたように、ちょっとでも新しい自分の糸口を見つけようとした彼がいたことも忘れたくない。それは『成りあがり』や同じく自著の『アー・ユー・ハッピー?』で語られた彼の像が、徹頭徹尾カッコいいばかりでも、パーフェクトなヒーローというわけでもなかったことにも近い。ひどく人間くさく、時にしくじったり、時に情けなかったりする矢沢永吉。そんな彼が渾身のシャウトやバラードを聴かせるからこそ、感動が生まれるのだ。
そう。そうしたところまで含めて語っていいのが、E.YAZAWAのはずである。

最高のロックスターであるこの男の魅力を味わえた夏になった。

越後湯沢駅のお店、天地豊作の魚沼田舎そば、
ざる・蒲鉾セットで1050円。
水のいい土地はお米やおそばのレベルが高い


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