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【年齢のうた】奥田民生 その1 ●思い出す 子供の頃の夏休み / アルバム『29』、『30』

大谷翔平選手と、僕です。
まあオータニサンは看板ですが。
渋谷駅前に掲示されたビルボード前で撮りました。
大谷選手が出場するWBCは、僕は1試合だけ東京ドームで生観戦する予定。
にしても前回……6年前のWBCではチケットを余裕で買えたのに。今回はすべてが過熱気味ですな。

渋谷には、タワーレコードで行われた、UKのユニット、Jockstrapのサイン会に参加しに行ったんです。

ライヴも楽しみです

来てくれたのは女性メンバーのジョージアだけでしたが。
彼女、連れて行ったうちの子にも優しく微笑んでくれました。


さて、今回からこのnoteでは【年齢のうた】というお題目を掲げて、このテーマの元に書いていこうと思います。

民生ソロ初期。アラサーゆえの重みと苦み


【年齢のうた】で最初に取り上げるアーティストは奥田民生。作品は、アルバム『29』と、その次の『30』。いずれも1995年の発表である。

まず『29』のほうは、1993年のユニコーンの解散後、民生がソロになって初めて出したソロ・アルバム。この時期のシングルとしては、1994年に「愛のために」が大ヒットを記録していた。その後に「息子」もシングルリリースしている。そして彼が29歳のうちに出したアルバムが『29』だ。

これに続いて、『30』収録のシングルとしては、「コーヒー」と「悩んで学んで」がヒットしている。こちらはもちろん30歳になってから出したアルバムである。

と、わかりやすいかなと思って、あえてシングルの曲名を列挙してみた。「愛のために」はともかく、それ以外の曲はどこか重ためというか、苦みとか、しんどさのようなものを抱えた楽曲が並んでいる。

そしてこれはこの2枚のアルバムにも言えることだ。とくに『29』のヘヴィな質感には、最初に聴いて驚いたことを覚えている。

僕自身は民生と同世代で、彼がユニコーンで活躍している頃からCDを聴き、ライヴにもよく行っていた。それからソロに転じてからの作品群には、「民生、こんなに変わったのか」と感じながらも、一方ではなんとなくわかるような気がしたものだ。というのは『29』や『30』の楽曲たちには、年相応と言うか、アラサー(当時この言葉はまだなかったと記憶している)だからこそのビターな味わいや晴れきらない気持ちが埋まっていると思ったからだ。

28歳から今の仕事を始めていた僕は、民生のライヴレポートの仕事をうまく取り付けたりして、この時期の彼のライヴは何度か見に行った。アッパーなナンバーもあったが、とりわけ「これは歌だ」や「愛する人よ」、「BEEF」のような曲の重みはライヴ後しばらく体内に沈殿していたほど。その鈍重な音の底で、だるそうに、かったるそうに、それでも前に進もうとロックする民生の姿は、とてもカッコ良く見えた。

しかも民生の場合はソロになってから、ライヴ会場に来る男の客の割合が一気に増えた。それはユニコーンの頃にはほとんどなかった光景で、それも大きな変化として感じたものだった(ユニコーンの頃は周りが女の子だらけだったな……あの頃のファンのみなさん、お元気でしょうか)。

さて、当時の記憶をたどったり、また、その時期を振り返る民生の回想を書物などでいろいろと読んでみたのだが、彼が自分の年齢をアルバムタイトルにしたことには、さほど大きな思い入れなどはなさそうである。「674」や「103」という曲名もあるくらいなので、意味よりも記号的な感覚さえあったのだろう。

ただ、たとえば『29』の1曲目、フォーク/カントリー的な「674」は、題名、そして歌詞に、虚しさ……虚無のような感情が横たわっているのを感じる。かといって、これもまた民生というアーティストの特徴なのだが、ヴォーカルに感情を込めすぎてはおらず、現状や将来をめちゃめちゃ悲観している気配でもない。

このネガティヴとポジティヴのバランスが(少なくともこの頃の)彼らしいと思う。
そしてもうひとつ、アラサーらしい、とも。

これは僕個人の経験だが……20代で年齢を重ねていく時期は、若者という立場からだんだんと離れていくことを実感していった段階だった。わがままが言えたり、あえてムチャなこと、ふざけたようなことをやりたがった青春時代(もちろん個人差があるのは承知している)。そんな浮ついた時間が過ぎて、気がつけば、周りからは常識や分別を求められたり、なんとなく社会的な目線から「しっかりしろや」なんてプレッシャーがあったり。ほかにも仕事とか収入、将来の計画とか、親をはじめとした家族のこととか。考えなきゃいけないこと、意識しなきゃいけないこと、対処しなきゃいけないことが、どんどん増えていった頃だった。
その20代が終わろうとしていること。そして三十路に突入すること。あの時期の自分には、どこかくすぶったような感情が、いつもあった。

そんな時に接した、ソロになった民生の新曲たち……同じくアラサーを迎えている彼の歌に、どことなく重たさが込められていることは、自分の心に、とてもリアルに響いた。もっとも、すでに有名なロック・ミュージシャンで、音楽シーンでは人気者だった民生の心理と、僕を含めたそこらへんの29歳や30歳の人間のそれとは、一緒に語りきれるものではない。ただ、きっと彼には彼なりのプレッシャーだとか、自分の先行きに対して思ったり考えたりすることは、相当あったはずだ。バンドという集合体がなくなり、ひとりでどうやっていこうか、とか。この感じでずっとやっていくのかな、とか。

「30才」~おじいちゃんの田舎で過ごした夏休み


さて、『29』には、「30才」という曲が入っている。ここでは、30歳になる自分について唄っているというよりも、今は東京にいる主人公(おそらく民生本人)が小学生の頃に<おじいちゃんのいなか>で過ごした夏休みを思い出すという描写がなされている。トンボとかアブラゼミとか、スカートとか、おねしょとか……。

当時のレニー・クラヴィッツや、ちょっとBECK?の匂いもするミディアムテンポで、ノスタルジックな味わいが心に静かにしみる曲だ。


で、民生のおじいちゃん。その田舎って、もしかしたら三次(みよし)だろうか? 民生自身は広島市の出身らしいが、僕がずいぶん昔に読んだインタビューでは、たしか親は同じ県の三次市の出身だと話していた覚えがある。で、実は僕はその隣県である島根の生まれで、子供の時に親の車で広島市に行く際に、山間部にある三次は何度も通過したり、ちょっと食事をするのに立ち寄ったりした街なのだ。だから「30才」で回想されているのは、あの三次での光景なのだろうか?とつい思ったりする。

(ちなみに三次と言えば、2月に来日公演をしたシンガー・ソングライターのコナン・グレイがこの市の観光大使に就任していましたね)


それと、民生の「30才」にある、この思い出というか、回想……昔を、子供の頃を懐かしく思うという行為にも、僕は29歳の人間のリアルを感じる。これも個人差があるのを承知で言うが、アラサーになって自分の過去を振り返った、という人の話は、今までによく聞いてきたからだ。
「昔の自分はこうだったな」とか「子供の頃ってこんなだったよな」とか。そこであれこれ思ったり、それから今の自分に立ち返って、何か感じることがあったり。30代になるというのは、いろいろな意味で、節目になることが多いのだと思う。

ところで自分の話で申し訳ないのだが、僕は20代までは、この「懐かしがる」とか、レトロとかいう感覚をとにかく避けていた。その裏には、昔が良かったなんて思いたくないとか、過去に安住する人間なんかになりたくない!という気持ちがあったからだ。昔のものを「懐かしい!」と言って喜んでいる友達に向かって「ふーん、そんなの、懐古趣味だよね」と言って突っぱねたこともある。

それが21世紀の今では、そのレトロとか懐かしいとされるものが日常や文化の中にすっかり根付いてしまい、もはや抗えないものとなっている事実にはビックリするばかりだ。しかもそれが自分みたいな長らく生きてきた人間は仕方がないとしても、すごく若い子でも平然とレトロや昭和のものを純粋な気持ちで愛でていたりする。そしてそれを社会全体が容認している空気があるし、また僕自身も「それもいいんじゃないの」と思っていたりする。まあ世間には、たとえば音楽関係の方の中にも、けっこうな年齢になっても「昔が良かったなんて思ってたまるか!」という向きもいるし、それに何と言っても若い方々には「昭和って素敵だな~」なんてことだけじゃなくて、ぜひとも新たな時代の可能性に向けてチャレンジする気概をなくしてほしくはないと思うけれども。

ちなみにこの2枚のアルバム当時の民生のサウンドは60~70年代前後の泥臭いロックを基盤にしていて、その作法は、さっき「30才」で挙げたようにレニーを思わせるようなところもあった。ただ、思い返せば、グランジが世界を席巻済みだったのに対して、やや先祖帰りしてる印象を受けたものだ。90年代半ばはアメリカ南部からブラック・クロウズが台頭したり、あるいはオルタナ・カントリーの潮流が出てきたりしていたが、民生の音楽性にはもうちょっと前の時代の匂いが香る。なにせキース・リチャーズのバンドで録ってたりするし。もちろん、それはそれでカッコいいけど。

アラサーなんて、まだまだ若い


『29』と『30』は、何度も書いているように、重めで、苦々しさも流れている。夢とか理想をむやみに掲げるのではなく、しんどい現実や、そこでの自分の葛藤や迷いを練り込んだ歌。しかし今あらためて聴いてみると、むしろその音の波間に、僕は若さの成分を感じた。ここでの心の揺らめきが、逡巡こそが、若く感じられるのだ。そんなふうに思ってしまう自分は、歳をとったなぁと思う。

29や30なんて、アラサーなんて、世の中全体から見ると、まだまだ若い。未来を切り開き、変えていく力だって、まだあるはず。今はそんなふうに思える。

(奥田民生 その2●30代の青春を唄った「イージュー★ライダー」 に続く)


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