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『セイント・モード/狂信』と信仰エネルギーのベクトル(ネタバレあり)

アマプラで『セイント・モード/狂信』やっと観ました。
ここ数年、宗教(特にキリスト教)をテーマにした映画やドラマの話題作が豊富ですね。

  • 真夜中のミサ

  • 魂のゆくえ

  • セイント・モード

  • 聖なる犯罪者

などなど。他にもあったら観たいので教えてください。

信仰はどこへ向かう?

上にあげた4作品には共通点があります。主人公たちはみな真面目にキリスト教の信仰に取り組もうとするけど、悩んだり挫折したりして苦悩するところです。
苦悩の果てに、どういう結末を迎えるのか…ネタバレになりますが、簡潔にまとめてみました。

  • 真夜中のミサ:島民全員を吸血鬼化するが失敗。朝日に浄化されて全員死ぬ

  • 魂のゆくえ:自爆テロを起こそうとするが中断。

  • セイント・モード:焼身自殺。

  • 聖なる犯罪者:少年院で囚人を殴って脱走。

この4作品を見比べていて思ったのですが。
『セイント・モード』以外、信仰のエネルギーが外へ向かってるんです。
簡単に言うと、「他者に影響しようとしている」んですね。
『真夜中のミサ』ではポール神父が島を救済するため冬眠を吸血鬼に変えた。
『魂のゆくえ』ではトラー牧師が、未遂に終わったものの自爆テロに信者を巻き込もうとしていた。幻覚かもしれませんがメアリーと抱擁してエンドを迎えました。
『聖なる犯罪者』では、ダニエルがなりすましとはいえ村の信者たちの前で完璧な聖職者として振る舞っていた。少年院脱走も、ふたたび完璧な聖職者になりたいがゆえなのか、と思わせます。
これらすべて、他者に何らかの影響を与えようとする行為です。
つまり、自分の信仰の証明に、他者を必要としているわけです。
(『魂のゆくえ』は微妙なところですが、メアリーという他者が必要だったことは間違いないかと。)

『セイント・モード』はどうでしょうか。
終末医療を必要とするアマンダをケアし、心を通わせながらも、モードのあまりに純粋で厳格な信仰はアマンダに理解されず、仲違いに。苦悩の果てにモードは神の啓示を受け(たと思い込み)、どんどん自らの信仰の世界に埋没していく。
ここで、モードも他の作品の主人公のように信仰の証明として他者を必要とするならば、モードはアマンダのところに戻って、「私は神の啓示を受けた!私の言うことを聞け!」とアマンダに迫ったでしょう。口ではっきり言わなくても、何らかの形でアマンダを支配しようとしたはずです。
しかし作中のモードはアマンダのところへは戻りません。足にクギを刺して歩き、苦行僧のように自らに試練を課す。

(追記)アマンダのところに戻らなかったのは記憶違いでした。いま確認したらアマンダを悪魔だと思い込んだモードはアマンダを刺し殺していたとか。なんでこんな重要なシーンが記憶から抜けてたのか…しかしなんだかこれもモードの頭の中だけで起きているような、閉じた世界での出来事っぽさは十分にありますね。

彼女の中でのみ、信仰は完成されていった。アマンダや過去の同僚、ゆきずりの男など、登場人物は出てくるけど、それらの誰もモードに介入できない。
最後はキリストのような衣装を着て焼身自殺します。その行為によって彼女の中で聖人として完成されたのでしょうか、それとも火に焼かれる苦痛で急速に現実に引き戻されて叫び声を上げていたのでしょうか。

「先鋭化した信仰」を表現するのに、「他者を巻き込む」という描写は他の3作品に共通していました。一方で、『セイント・モード』のように、自分の中でのみ完成され、他者との関係から隔絶していく描写は、私の観た中ではありそうでありませんでした。そこが新鮮でした。他人を殺したり支配したり傷つけたりしなくても狂気は表現できるんですね。モードが繊細で純粋で、根が優しいからこそなのかもしれません。他のキャラクターが図太くて優しくないというわけではありませんが、「わからせたるぞ」という意志はなんとなく感じます。モードにはその「わからせ」が必要ないんですね。他作品の主人公と違ってモードが女性だからでしょうか? ここに性差を持ち込みたくはありませんが、他の3作品は主人公が全員男性で、監督も男性です。『セイント・モード』は監督も主人公も女性でした。もしかしたら、信仰の行き着く先がどこなのか、男性と女性で見方が違うのかもしれません。あるいは、社会的に形成された「男性性」「女性性」が信仰のありかたにも影響を及ぼし、違いを生んでいるのかもしれません。

いずれにせよ、キリスト教信者にとって、信仰のあり方を問い直さなければならないフェーズにきており、そのニーズを受けてキリスト教や信仰をテーマにしたコンテンツがいくつも世に出されていることは確かなようです。その作品を鑑賞して、振り返って自分はどうなのか考えなければならないでしょう。

今後のキリスト教コンテンツに期待です。


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