③うつ病患者かく留まりき


うつ病になった若者のナウでヤングな向き合い方を書こうと思ったのにうつ病になるまでが長すぎる。
説明下手くそか。

書きたいことが収まりきらなくて必死に書いたのに大きくバツをもらった国語のテストの記述問題を思い出すぞ。

ああまた変なこと言ってしまった。いつになったら2019年の話をしてくれるんだもう平成も終わるってのに。



大学2年生の秋頃「これ、なんか身体と心変なんじゃねー?」と思い始めてからも、だましだましやっていた。

眠れないこととそれによって起きる弊害は悪化していた。

新宿東口のカラオケに1人で入り「ようこそジャパリパークへ」を4回ほど大熱唱したら原型がわからないくらい声が潰れるなどの事件を起こしていた。
あまりの歌声に他の部屋に聞こえたらしく隣からも「Welcome Toようこそジャーパリパーク⤴︎」と聞こえてきた。

授業参観で間違えたときくらい恥ずかしかった。

ある日大事件は起こった。

いつものように人気のない京浜東北線のホームにいた。
家で寝てしまわないように始発の電車を待っていた。



一歩。



足が前に出た。




朦朧とした脳が

「今飛び降りればもう眠くない」

という考えうる限り最大の幅で誤判断をしかけた瞬間だった。


「・・・あっぶな。」



この日から頭の中に住人が増えた。
今でこそ「やばかったな〜」と笑えるが、当時の私は脳が知らない人に乗っ取られたようでマジでガクブル案件だった。

ガクブルすぎて「ヱヴァンゲリヲンかよ!」とも突っ込み難かった。
というかスベっている。




いよいよ診療を検討するようになった。

診断練習試合として、ネットで「うつ病」と検索すると大量に出てくるチェックリストなども行なった。
ほぼ当てはまった。当時の私を知る者に言わせれば超ブラック根暗卑屈人間だったことは否めない。
たくさんチェックがついて「ビンゴビンゴ!」と叫んでみても景品は心療内科受診チケットである。


学生団体も落ち着いたこともあって最寄りの心療内科を受診した。



先生はおじいちゃんだった。
わかりやすくいうと「仙人っぽい人」だった。


仙人は老齢のためか滑舌がかなり個性的で、少なくともTOEICのリスニングよりは難解だった。
というか聞いたことのない言語だった。マジで宇宙人と交信する時こんな感じなんだろうなあとアホヅラをしていたら見るに見かねた通訳さん(看護師さんとも言う)が説明してくれた。


どんな時に責任を感じるか、寝られないとは具体的にどんな感じなのか、それを相談できる人はいるのか、今どんな生活をしているのか・・・。
眠かったのでよく覚えていないが、とにかくたくさん聞かれた。
受付の人が可愛かったのははっきりと覚えている。仙人め。


仙人は薬をくれた。普通にうつ病と宣告された。
仙人は「おはよう」や「今日少し冷えますね」くらいの、まるで当たり前のように私にうつ病だと言った。

ビックリもしたが、今までの愚行も全てうつ病のせいにできるかも…と少し安堵した。
病名があることはある種の救いにもなるのだ。


このころの私は完全に自分の睡眠とメンタルをコントロールする術を失っていた。
ジキルとハイドin埼玉である。誰が見るんだそんな映画。


仙人の出してくれた薬はべらぼうに重かった。
頭の中に溶けた鉛が入れられてHP1の状態をずっと保つような拷問だった。

眠れこそしたが寝ても覚めても頭が重かった。


電話がなっては冷蔵庫を開け、お腹が減ってはロフトに登り、意味もなくスマホをつけたり消したりしていた。
サルよりバカである。


完全にご長寿クイズ状態になってしまった僕は「実家に帰ろう」と頭より身体が早く判断した。


どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。