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過去の日記から自分の思考・行動パターンを知る

新年度になったこともあり、部屋の掃除をした。
そのなかで出てきたのが過去の日記やメモ帳。

私は学生の頃からずっと手帳やメモ帳を持っており、そのときに思ったことを書き込んでいた。
日記として継続するようになったのは最近だけど。

こういった自分の思考をまとめたものを捨てるのは抵抗がある。
そうして手帳は積み重なり、まぁまぁな量になった。

今日、あらためて過去の手帳をパラパラと見てみた。
読んでみると自分の思考や行動のクセってあるもんだなぁと感じた。

腹が立ったりショックなことを引きずるわたし

数年前に仕事がバタバタしていた時期があった。
期限がタイトだけど、その仕事をやっても「嬉しさ」はない。
むしろ「やらないと大変なことになる」といった仕事。

仕事である以上、すべてのことが「楽しい」と思うことは稀だ。
だけどそれにしたって期限だけやたらタイトだし面白さは皆無だし、といった仕事をやっていた。

その頃の手帳には自分の気持ちが延々と書いてある。
無茶苦茶な期限を言われたとき、関係者がまともに動かないとき、急に方針がひっくり返ったときとか。

私は大体ムカついたときやショックを受けたとき、日記を書くクセがある。
平和な時期は短めで、文字もきれいだ。
だけど腹が立っているときは文章量は長く、文字は汚い。

汚くても(一応)読み取れる日記。
当時のことを克明に書いているので、今読み返しても思い出す。
何なら思い出して「なんやねんあいつ」となるくらいだ。

そして日記を読んで感じたのは「私は嫌なことがあると生活すべてが嫌になる」ということだった。
その時期は仕事以外でも楽しそうな感じではない。

もちろん友人と遊んだりはしているのだけど、日記からは楽しそうな雰囲気を感じない。
そして自分の記憶のなかにも当時、楽しい思い出は残っていない。

子どもの頃から気持ちの切り替えが下手だった。
何か気になることがあると、ずっとそれが魚の小骨のように引っかかる。
大人になってもそのクセは抜けていないようだ。

書くと気持ちが整理されるし、書き続けると自分の傾向がわかる

昔は自分の性格や傾向を深く考えていなかった。
なんとなく「気持ちの切り替えが下手だなぁ」と思うくらい。

だけどメモを取り続けることで段々自分の傾向が具体化されてきた。
特に日記を毎日つけるようになったこの2年くらいでかなり深まってきた。
おそらく日記に「正直な気持ち」を書けるようになったことも具体化できてきた理由のひとつ。

自分の気持ちを書くと頭が整理される。
頭が整理されるとムカつくことやショックなことがあっても、物事を客観的に見ることができる。

もちろん客観的に見た結果「どう考えても相手に非がある」とかなることもある。
むしろ理詰めで仕事の内容や相手の言動の不備を責めることもあり、感情的に怒るよりもある意味こわいかも。

いずれにせよ、ムカつきを言語化することで頭を整理できる。
頭を整理すると「こころの余裕」が少しできて、翌日のムカつきポイントを受け入れられるくらいのキャパはできる。
(ムカつくけど)

そんな感じで毎日気持ちを吐き出して次の日に望む。
次の日にまたモヤッとしたら夜に気持ちを吐き出す。
毎日が自転車操業のメンタルをなんとか維持できたのは日記のおかげだと思う。

そしてそんな日記を後から読み返すと自分のクセや傾向がわかる。
自分の傾向がわかっていると、同じような状態に陥っても気づくことができる。
「あー、また嫌なこと引きずって楽しさを感じなくなってるなぁ」とか。

自覚できたら対策はできる。
実はこのあいだもちょっと(いや、かなり)モヤッとすることがあったのだけど、自分で気づくことができた。
そして友人に吐き出したり、意図的に趣味の時間を取った。
(吐き出される友人側には悪いことしたけど、私が生きるためには仕方がないのだ)

いろいろと私は敏感だし極端に内向的だ。
「なんでそんなこと気にするの」とか「そこまで深く考えなくていいじゃん」とよく言われる。

だけどそんな性格だからこそ自分の感情や傾向を含めて言語化し続けられるのだと思う。
だからこそ、必死に生きてきた証拠である過去の日記やメモ帳は捨てられずに貯まっていくのだ。

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