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僕の人生はハネなかった。タレントから「経営者・育成者」になってみて・・・

この前、相談役と話しているとき「日本人はバッターボックスに立ったら、必ずホームランを打たなければいけないという風潮がある。だから、失敗は許されないという心理になるが、海外のビジネスは何回失敗したかが、投資を受ける指標にもなっている。」

日本人の風潮…あきらかに僕は、そういう気持ちで生きていた。
でも、それもしょうがない。事実だし、周りがそう見てくるから。

失敗すると「烙印」を押されて、もう一度チャンスをもらうことが心底難しい。
だから「慎重」にもなるし、「臆病」にもなる。

僕のまわりの成功者は、ヤンチャな青春期を過ごした人が多い。
そういう人たちって、「腹の据え方」が違ったり、「覚悟」の決め方、「タイマン」のはり方を若い頃から鍛えているんだろうと思う。
あと、人生の楽しみ方の幅が広い。人より喜怒哀楽のレンジがすごく広いなと感じる。

僕の今までの人生は、順風満帆…ただ、ハネなかった。
それは、なぜか?

自分の力を客観的にみて、達成できるであろうことにチャレンジしてきたから…であると思う。
だいたいが「心より頭が働いているから」だ。
ただ、たまに「頭より心と体が先に動く時」があった。

それが・・・
「ZIP-FM」のオーディション
「名古屋グランパス スタジアムDJ」のオーディション
「居酒家 利休」を始める時
アニソンライブ「ナゴライブ」を主催する時
声優の養成所「TYK STUDIO」を新設した時
・・・だ。

確かにあの時は「自分の実力が見合うかはわからないが、とにかくやりたい!」という、自分なりの「覚悟」があった。

今列挙した出来事を達成できた時、確実に僕の人生は「レベルアップ」している。

正直、それ以外のことは、自分の力の範疇で勝負できる内容だった気がする。
もちろんお仕事をいただけたことには感謝しているわけだが。
ただ「未知」のレベルではなかったと思う。

なぜなら逆の立場の「クライアントさん」だったり、「雇い主」側も当然「失敗できない」わけで。
だから、実績、経験を多く持つ人に仕事を発注するということが当然の摂理。
リスクはなるべく回避したいわけですからね。

・・・ただ、そういう活動だけを続けていると・・・正直、ハネないんでしょうね。
だって、受け手にとっても、計算内、想定内っていうことですから。
だから今は受け手が想像する以上のモノを提供する「Youtuber」がエンタメを席巻しているわけです。

僕は、タレント業に加え、「経営者」という新たな挑戦を40歳手前ではじめました。

タレントだった時は、「さんまさん」「島田紳助さん」「ジョン・カビラさん」らが、僕の目標でした。
・・・が、到底足元にも及ばず、今に至っています。
でも、名古屋ではそれなりに知ってくれている人もいるというところまでは辿り着いたと思っています。

そして経営者となってからは、「SHOWROOM前田さん」「ホリエモン」「キングコング西野さん」「オリラジ中田さん」「落合陽一さん」「三浦崇宏さん」などの著書を読んでは、凹んでいます。自分の至らなさ、発する言葉の稚拙さ、考え方の視野の狭さ・・・などなど。
これはタレントの時よりも、自分への不甲斐なさが込み上げてきます。だからいっぱい模倣させてもらっています。

さらに「経営者」のトップといえば…「ビルゲイツ」であり、「スティーブジョブズ」であり、「Google」であり、「Amazon」でありと・・・まさに異次元級のバケモノばかりがいると思うと、自分の小ささに嫌気がさします。
本当に同じ人間なの?と。

まだタレントである自分の方が、認めてくれる人がいて、必要としてくれる人がいて、とりあえず、このままタレントだけ続けていけば、それなりにいい人生を歩めたかと思います。

ただ、僕は、20代後半に「歴史」にハマりました。

戦国時代から幕末が好きで、その中でも・・・

血で血を洗う日本史上最低の内紛期である戦国時代に「茶ノ湯」で天下に近づいたフィクサー「千利休」

260年も続いた長期政権「江戸幕府」を根底から覆し、明治維新を起こした討幕派である長州藩士の中心メンバーに「討幕のDNA」を植え付け、29歳にして処刑された「吉田松陰」

この2人が僕にとっての憧れの人。

彼らは、決して「歴史に名を残そう」と奮闘したわけではなく、純粋に「茶ノ湯を極めたい。もっと茶ノ湯の文化を広めたい」「このままでは日本はいけない、海外から置いていかれてしまう!日本を変えなければ!」という想いに突き動かされて、その言動、行動が人の心と体を動かし、世の中を変えるに至ったから、結果、今にも語り継がれる日本の偉人となったわけで・・・。

それを学んだ自分は「自分がこの世に生を受けた意味」をすごく考えだすようになりました。
僕が一生を通じてこの世に残せるものは何か?自分の残りの人生を使って、「生きた証」となるようなものを生めるとしたら何があるのか?
こんなことを常々考えるようになりました。

動機としては不純ですよね。
結局、自分の名前を歴史に残したいともとれるわけですし。

でも、原動力にはなっています。
「自分がやりたいことは何か?」を本気で考えるようになりましたから。

今では、その答えも出ています。
それが、僕の会社「株式会社 TYK Promotion」のメインスローガンである・・・

「ナゴヤから革命を」

・・・です。

とにかくナゴヤを盛り上げたい!
魅力がない街から、魅力あふれる街にしたい!
楽しい街にしたい!
全国、世界から来てもらえる街にしたい!

という想いが溢れて止まらなくなりました。

今月で40歳になる若輩経営者ですが、いまだ「挑戦」を諦めていません。

なんなら、そんな自分だからこそ、「挑戦」や「リスクをとって勝ちを得る」ことしないと間に合わないとも思っています。

理想通りの人生ではないですが、納得のいく人生を、楽しかったと言える人生を歩むべく、僕は今を生きることをしたいと思います。

あと、言えることは「千利休」は裏で暗躍したフィクサーで、「吉田松陰」は活躍した志士たちの先生という2人を好きな時点で、そもそも最前線に立ってスポットライトを浴びる「タレント業」よりも「経営者」であり「育成者」になることが僕にとっての本望だったのかなと。だから今は、とても楽しいです。タレントだけやってた時の方が、俄然楽なくらい、経営、人の育成は結構しんどいことばっかですけど。でも、心が傷つくたび、「あぁ、俺、成長してる。」って感じるわけです。

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