アーティストは嫉妬するものらしい

知人の作曲家が言っていた言葉なのだが、アーティストは、どんなに若かろうと、経験が浅かろうと、優れた能力、才能を持っている人間に対してはライバルとして嫉妬してしまう、ということを言っていた。だから、あいつは、アーティストから抜け出せていなくて、まだだめだ、と続く言葉なのだが、私はその言葉を聞いて、ちょっとだけ心が癒やされる思いがした。私は、優秀な人間を見ると後輩だろうが、経験が浅かろうがつい嫉妬してしまう。

ああ、あの人は「あんな絵が撮れるのか」「あんないい取材ができるか」と、ついつい、嫉妬して羨ましくなってしまう。自分の浅ましさに、悲しくなってしまい、できることならば、自分より未熟でいてほしいと心のどこかで思ってしまう。でも、その知人の言葉を聞いてどこか救われる思いがした。たぶん、アーティストじゃなくても、「同じ目標を目指して、優れた技能を持つ人」を、人は嫉妬してしまうのだと思う。

アーティストでありたい、プレイヤーでありたい、クリエイターでありたい。もっと、もっと腕を磨きたい、そいった向上心があるから、嫉妬してしまうのだ、と。その作曲家はあるアーティストに対して「後進の育成に心を砕きます」といいきれるくらい成熟しろという意味で言ったのだと思うのだけれど、当たり前だが、私自身はまだまだ、まだまだ道半ばだ。

社会人になってからをスタートとすれば、12年ほど。高校時代からの映像づくりをスタートと考えるならば、20年か。(いや、20年か…そう考えるとすごい長いこと映像作りをしてきたもんだな…。)

まだまだだ。全然、だめだ。本当にだめだ。もっともっと映像表現の幅が必要だし、構成力も必要だ。企画力だってまだまだし、取材力だって、現場での直感力も、現場での映像の組み立て力だって、もう、本当に、悲しくなるほど、ない。磨くべきことは、ごまんとある。たぶんこの10年作ってきたものは映像を作るために必要な眼差し、考え方だった。その考え方を形にするためのものはまだ、身についていない。

時間が・・・とにかく、かかる…。

ああ、本当に、もっと、能力のある人間に生まれたかったなー。ただ、神様の優しさを感じるのは、どんなに無能な人間であっても望みさえすれば、諦めず、何度でもトライすれば、1ミリでも、牛歩でも、前に進む道が見えてくるということ。望むところに辿り着く前に死ぬかもしれないし、体力の限界と、情熱の限界を迎えるかもしれないけど。あるいは、自分の目指す道は、そもそもその道ではなかったと気がついて踵を返すかもしれない。でも、それは前に進んだ何よりの証拠でもある。

だから、苦しいことも、辞めたいことも、死にたくなることもきっとこのさきもたくさんあると思う。けど、自分が望むものを、描きたいと思うものを作り続けていきたいなぁ…。なんてね。


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