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蚊帳と大麻と戦争と平和

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蚊帳と大麻と戦争と平和

子供の頃、快適な夏の風物詩として日常にあった蚊帳。大人になって再び蚊帳と出会い、その素材が大麻であることを知ってから、大麻そのものに興味を持った。蚊帳と大麻。それは戦争とともに発展したにもかかわらず、いまや平和やラブ&ピースの象徴となっている。

「蚊帳の思い出」

We gotta have kaya now(今こそKAYAを吸うときだ)とアルバム「KAYA 」の中で歌ったのはレゲエの神様ボブマリーだ。そんな「KAYA」と同じ発音で蚊帳。

日本では奈良時代初期に編纂された『播磨国風土記』で応仁天皇が播磨の国を巡幸の際に蚊帳を使用して休憩した場所を「賀野の里(かやのさと)」と呼んだとあり、その時代以前から蚊帳が使われていたことがわかる。

世界的にはmosquitonet(モスキートネット)でありまさしく蚊除けに過ぎないけれども、日本においては蚊帳は聖俗併せ持った使われ方をされ、長い歴史がある。僕はそんな日本の蚊帳やその文化を現在の日本、そして世界にもっと知ってもらいたいと考えている。僕は何度かの蚊帳との出会いがあるのだけれども、まず最初に蚊帳と出会ったのは幼少期だ。蚊帳の中に蚊が入らないように蚊帳の裾をパタパタさせながら素早く中に潜り込む。失敗すると蚊帳の中に蚊が入り込み蚊の良い餌食となる。早夏には蚊帳の中に蛍を放して眺めたりもした。クワガタや蝉を放して怒られたこともある。蚊帳があるから窓も開けっぱなしにして夜風を通すこともあったが、朝起きると蚊帳の外に大きな蛾が羽を休めていたり、百足が天幕を這っていたりして蚊帳の中からでられなくなったりもした。暑苦しい夏の夜には僕が寝入るまで祖母が枕元でずっと団扇で扇いでいてくれた。

明治時代に建てられた高床の家の正面玄関をでれば田んぼの真ん中の一本道を通って単線の踏切を渡ってすぐに山、庭の裏口からでればものの数分で海。だから夏の間は朝早くから麦わら帽子に下駄という格好で網や釣竿を持って遊びまわり、昼間は縁側で風が渡る音や時折流れてくる汽車という名の電車の音、ほのかに漂ってくる潮風の匂いを感じながら昼寝をし、夜は蚊帳の中に潜り込んでぐっすりと寝るという昭和の匂いというか大正・明治時代の匂いすら感じられる家で夏を満喫した。だから僕にとって蚊帳は日本の夏の風物詩であり、生活の中の蚊帳というものが当たり前のようにあった。

それでも高校に入学する頃には蚊帳も吊るさなくなっていたし、扇風機やクーラーがあれば、蚊帳の必要性を感じることも無かった。高度成長期に見事に乗っかり新しいもの好きの父親などは蚊帳どころか自分が生まれ育った古い家にも一切興味を示さなかった。そんなこんなで蚊帳の中で寝たという思い出を共有している同世代は地元でも皆無、高校卒業と同時に上京して以降も状況はほぼ変わらなかった。蚊帳そのものを知らない人も多く、めずらしく蚊帳の話になっても「蚊帳の中は蒸し暑い」「蚊帳の中は寝苦しかった」という感想が出てくるばかりだった。「蚊帳の中で快適な夏を過ごした」という僕の思い出は幻想に過ぎないのかもしれない、そう思えるほど他者の蚊帳の印象は薄く、あまりにも僕の記憶と乖離していた。

「二度目の出会いと大麻」

蚊帳との二度目の出会いは「蚊帳の思い出検証」がスタートだった。蚊帳の思い出が幼少期の甘い幻想であるならそれはそれで良い。しかし幻想で片付けてしまうにはあまりにもリアルな体験として僕の脳裏に刻み込まれている。他者との乖離した記憶と経験とのあいだを結ぶには資料を漁り、人と会い、腑に落ちるまで足掻くしかないと思った。そして調べていくうちに知ったのは、蚊帳にも様々な種類や形があり、材質もさまざまにあるということだった。レーヨンや綿を主な材質とする蚊帳はどうしても中に熱がこもり暑苦しい。麻を原料とした蚊帳は湿度を調整し快適な空間をつくりだすことができる。夏に綿の服ではなく麻の服が好まれるのと同じだ。そう、僕が子供の頃に寝ていた蚊帳は麻の蚊帳だったに違いない。多くの人が蚊帳が蒸し暑いものと思っているのは数多く流通した綿やレーヨンといった原料を主体とした綿蚊帳や片麻と呼ばれる蚊帳だったに違いないと思い至った。それが僕と他者との記憶や経験の間にある溝だ。麻の蚊帳。そこから必然として麻に興味を持ちはじめると麻にも多くの種類があることを知った。僕が子供の頃に寝ていた蚊帳が苧麻なのか大麻なのかは現物がなく、もうわかりようがない。それは思い出の彼方でしかない。それでも広義としての麻、そして狭義としての麻=大麻を知らなければ蚊帳についてこれ以上前に進むことができないと感じたのだ。そこから蚊帳と並行して麻、特に大麻についての興味が膨らみ、現在に至っている。二度目の蚊帳との出会いの中で知った蚊帳はmosquitonetではなく、安眠を生み出すsleepingnetであり、癒しを生み出すhealingnetであり、平和を象徴するプレイイイングnetだった。そして僕の中の蚊帳は自然や大地、地球と繋がるアースネットにまで進化し昇華している。

「蚊帳と大麻と戦争と平和」

戦争と平和というベタな対立軸で語るのもなんだが、蚊帳も大麻も一番需要が伸びるのは戦争だ。蚊帳も大麻も表の顔が平和なら裏の顔は戦争だと言って良い。戦争とともに発展し、戦争の終了とともに衰退してきた産業だ。

古くは弓、甲冑にはじまり裃、そしてロープ、土嚢、軍服。大麻は軍需品として国に栽培を奨励され製品化されることで品質や生産性を向上させ成長した歴史がある。

蚊帳は戦場におけるマラリア対策の必需品であり蚊帳を運ぶための人員も無線や医療と同じように配置された。それが今や蚊帳も大麻も平和の象徴であり、ラブ&ピースの象徴であることは興味深い。僕は戦争だけでなく革命や急激な変化を望まない。それは臆病であるという僕の持つ内面や人格の問題だけでなく、戦争や革命、急激な変化には必ずと言って良いほど血が流れ、成功者も誕生するが落ちこぼれも発生するからだ。日本は「まぁまぁ」「なぁなぁ」のシステムで成り立ってきた。絶対的な独裁者や圧倒的なカリスマを生み出さず、多少の不満を抱えながらも大きな不満を抱えないようになんとなくまとまるシステムの中で継続してきたように思う。僕はその日本を保ってきたシステムに不満を抱えながらも決して嫌いではない。蚊帳には殺虫剤などのように殺してしまったり根絶やしにしようというのではなく、守りに徹し、蚊や害虫と呼ばれるものとすら共存しようという「殺さずの精神」、「優しさの発想」がある。そして僕は大麻を自然や環境と共存し持続可能な社会を目指す象徴として蚊帳と同じように聖俗を併せ持ったものだと捉えている。だからこそ蚊帳も大麻もコップの中の嵐や戦争、争いや対立の中で成り立つのではなく、平和で精神的な豊かさを目指す中で前向きに発展していってほしいと強く望む。「大麻をやってる人」と言われたり自らもそう名乗りながら、「大麻」と言い、そして「どうぞ蚊帳の中へ」と言い続ける。「過激に走らず、日常に埋もれず」に良い加減にヘラヘラと、蚊帳と大麻について考え、発信していく。そしていつも僕は途方にくれるのだ。
(Text by 松浦良樹)

『HEMP LIFE』創刊号より転載

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