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地獄とはこの現実のことである

「善くない行いをすると地獄に落ちるよ」

私は子供の時分に、母親にそう言われ「???」となり、「ナゼ?」と聞き返したが明瞭な答えは返ってこなかった。

これは当然の結果であっただろう、母親は仏教の教え自体を重要と思いそう言ったのではなく、ただ子供である私にモラルを説くためのたとえ話として話してくれたからである。

かつてお釈迦様が、この世の真理を余すところなく、方便として後世の私たちに残してくれたように。

それでは準備はよろしいか?

己の心の世界を自ら紐解いて参るとしましょう。

地獄とは精神世界の話

死んだ後のことを悠長に考えている場合ではない。地獄は死んだ後の世界の話ではないからである。現在進行形で、この世界で起こっていること、つまり人間の精神の世界の話だということ。

この世と自己の精神との理解を深めるため、仏教における、六道の教えをもとに話を進めたい。

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。
天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの道を説いているもの。

六道(ろくどう、りくどう)
六道輪廻の図

天道(てんどう、天上道、天界道とも)

周りのお蔭さまを心から理解し、日々感謝の心で生きる人のこと。仏のような人。残念ながら、私は見たことがありません。

人間道(にんげんどう)

ここで残念なお知らせ、誰もが自分のことを人間だと思い込んでいますが、それは大きな間違い。人の皮を被った人外はそこら中に溢れています、本人は気づけませんが、人間から見れば明らか、本当に無念です。

人間とは、四苦八苦を体験し成長し変化し続け、そして死ぬる定め。
人間とは、何事にも平常な心を保てる者のことである。

修羅道(しゅらどう)

何事にも争いが生じる世界、つまり今の現実世界のこと。弱いものは淘汰され、持たざる者はより搾取され、暴力と欲にまみれた世界。誰もが自分の利益のみを求めるやったもの勝ち、数と力が正義、くだらぬ世界。

畜生道(ちくしょうどう)

無知で愚か者の世界、モラルはおろか、善悪すら分からず、教え諭すこともかなわない。虐めてはいけない、盗んではいけない、殺めてはいけない、それが理解できない、犬畜生にも劣るとはこのこと。
救えないから刑務所がある。

餓鬼道(がきどう)

足るを知らず、永久に欲しがる貪欲の心。自分で気づかぬ限り、その心は満たされることはなく、死ぬまで求め続ける。

土地、権力、名声、お金、食べ物、衣類、恋人、人気、フォロワー数、再生数。

恋人に愛されたい、子供を愛するあまりこうあるべきと、相手に見返りを求めはじめる。見返りを求める心とは、愛着ではなく愛憎、つまり執着。

「いつまでも餓鬼だな、いい加減大人(人間)になりな」

この世に地獄を作り出す元凶、糞餓鬼。

地獄道(じごくどう)

奈落の底。人間にはあまり関係ないと思われる。
概念的に、修羅・畜生・餓鬼が地獄といえるのではないか。
あるいは、修羅・畜生・餓鬼が転じて奈落落ちする方便ではないだろうか。

ノー救済・蜘蛛の糸

修羅・畜生・餓鬼に落ちた人間のことを、輩と言います。
心無い人と言い換えることも可能でしょう。

彼らに救済はあるのでしょうか?

答えは、ノーです。

蜘蛛の糸(芥川龍之介)の内容のように、仮に救わんと誰かが頑張ったところで自滅するのみ、だから輩なのです。

愚かさを体験するために生まれてきた存在を救うことはできないのです。

天国と仏様

最後に、人間である私たちにはかかわりのないことですが、天国について。

現代人のそのほとんどが、人のせい、誰かのせいにします。
そのくせ、自分のためになる情報のみを追い。
徳でなく、得を求める。

一方、精神が天国の状態の人は、人のせいにするどころか、誰かのお役に立てると喜びの心がわいてくる人。そのような、真の利他の精神を持ち合わせている生き仏のような存在であり、その人が生きる世界、体験している世界のことを天国というのです。

おわりに

本稿は、あくまでも個人的な解釈であり、押し付けるような意図はございません。私自身も、死んだ先に天国があるなら、是非に一目だけでも見てみたいという人並みの好奇心を持ち合わせておりますゆえ。
あしからずご容赦願えれば幸いです。

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