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平和について考えた時、思ったこと

戦後、何を大切にしてきたのか


知らなかったことが沢山あった

2023年8月9日、ソンべカフェの定休日。
広島と長崎で1945年に何があったか。
実際に現地に取材に行って、当時を知る方に案内してもらいながら話を聴いてきたというオーナーの話を聴く機会があった。この企画を始めて5年目とのことでした。

手書きのチラシが味があっていい_φ(・_・
当日、カフェ内には子供達から高齢な方までが集まっていて、一緒に来ている親子が素晴らしいなーと感動した。

休憩とギター演奏を交え予定の2時間が過ぎ、さらに1時間参加者から次々と質問や感想や話が続きました。前半1時間は広島、後半1時間は長崎。
最初と最後のギター演奏は、爆心地の小学校に通われていたという積さん。
積さんは30年間、ギターとハーモニカと歌で平和についてのライブを続けてこられたと、この思いが込められた活動にも感動した。

現在や当時の写真、知ろうとしない限り伝わることのない話。とてもとても考えさせられた。「平和」「戦争」「原爆」などのワードが入ると、いろんな気を使わないといけない現状も、何故こういう企画を続けているのか、平和な世の中と思っていない考えや、子供の未来を考えると心配という声に、共感する思いを感じた。

戦争はよくない!
守るために武器は必要だ!
戦うためのお金も必要だ!
お付き合いのためにも必要だ!
経済のためにも必要だ!

必要だという情報があふれて、その理由をしっかり考えるのは人任せ。武器をもって戦争して何があったか知る人はいなくなる。知ってるのも授業とかネットの情報がほとんどで、感情を揺さぶられるほどしっかり伝わることはなくなり、伝えていこうと残してきたものの価値は、生産性ないものはなくそうという世代にかわっていく。資本主義の合理的で効率的で生産性や収益化に整理されていく。


加速する「効率よく無駄がなく便利がいい」

“成功はすべて「過去のもの」”という記事を以前書いた。

大先輩の経験は時代に合わなくなっていくもので、若い世代の価値や感覚を尊重することも大切だけど、お互いに押し付けたり否定したりしない。

ということを言いたかった内容だったと思う。こうした考え方が、良くも悪くも使われていると思った。時代は変わって未来に必要な判断をと。

仕事においても、効率化が求められ、無駄を省く方向へと誘導されているものは多いのではないだろうか。

何を無駄と判断するのか。満足度の低さ?時間の長さ?収益の低さ?効率の悪さ?少数意見?望まない結果?スムーズじゃないプロセス?根拠は?誰が判断する?組織?専門家?当事者?あなた?私?
無駄を省いて便利になれば未来が明るい?それが大切なの?

大切と思うことが伝わらない。ソーシャルアクションするしかない。組織の収益にならないことに割く時間はどこにある?そこは個人のモチベーション頼りで業務外の話。そこに力を注ごうと思う人が増えるだろうか。

早くいい結果を出すために教育にも効率を求める?大切と思っても収益が低いと無くしていく?少数意見より多数意見に誘導するためにお金の仕組みを作る人たちがいて、資本主義社会の多数派が望む社会へと進む。

労働者は組織への貢献も考え、顧客の満足も考え、そこに矛盾を感じてもバランスを保つ努力をしながら、どこかへ誘導されているのかもしれない。


何が大切なのか揺らぐ本音

大切と思うことを多くの人に伝えたいとしても、例えば、道ゆく人に訴える政治家や有志の方の声に耳を傾ける人は少ない。押し付けても伝わるどころか、敬遠される。通り過ぎてしまう人でも対話を重ねる機会があると、どの世代でも伝わるものはあると思う。

ただ、「気持ち」「時間」「お金」どれかにゆとりがないと人は立ち止まらない。ストレス社会でゆとりがないと感じる人も多いのではないだろうか。興味を持って欲しいと発信しても、残念ながら多くは伝わらない。

興味を持ってもらうために、キャッチーなワード、SNS、現代に合わせるのも一つだろうけど、これまた“バエる”“バズる”に左右されやすい。

何に興味を持ち、何を大切と思うかは経験に左右される

大切と思う価値観も様々ということを否定しては本末転倒だけれど、伝わらないもどかしさを強く思い始めると焦る気持ちが生まれます。“「急ぎたい」とき気をつけること”の記事に、急ぐ気持ちは争いにつながると書いたことを思い出します。

「対話を重ねること」を苦手と思う若者は増えている印象がある。それは家族や地域や社会の中で「対話で得た経験」の有無や内容だと思う。そして、対話を重ねることを「大切」「面倒」「無駄」どう思うかは、僕も立場で変わっていた。「利益」「管理」を考える立場、個人的立場で判断は変わることは多くある。個人であっても「損得」を考える。早く自分にとって満足できる選択をする。

育成する立場や社会のいろんな場面での変化もある。「我慢」「忍耐」「努力」を教え込まれた僕が「無理しない」「安心」「安全」を勧めることが多くなった。時代だからなのか、その人に必要だからか、どう判断したのか、対話を重ねて判断を共有たのか、そんなことも思う。

個性、個人を大切にと言いながら、社会の情報に誘導されてないか

「〇〇が健康にいい」という情報が流れると、品薄になるように、僕自身も情報を参考にするし、欲や満足を満たしたい気持ちもあるから、体重や中性脂肪を気にしても星の数をチェックして美味しいものを食べに行ったりしてるから、まんまとやられていますね。

大切にしたいことが揺らぐ人の愚かさを自分に思う


平和について考えた時、思ったことを長く書き綴りました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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