心に残る美人は「赤の女」と「白の女」。3000人以上に出会った気づいた、真の美人になれる術
美人になるのは簡単な時代に、真なる美しさを備えた人とは?
とある女性誌にて、「真の美女になるには?」というコラムの依頼を受けた。 そして原稿を書きながら、正直、途方に暮れた。 だって私自身は、40を過ぎてほとほとお疲れなのだ。最近は“美しくなる努力”をほとんど辞めてしまった。ハードなダイエットもあんなに熱心に通っていた溶岩ヨガも加圧ビューティーも行っていない。
ざっと数えて3000人。おそらく、美女に会いすぎたせいだ。
9頭身のスーパーモデル、シルクよりも滑らかな肌の女優、澄んだ湖のような瞳のマダム……。女性誌やカルチャーを中心にインタビュアーを続けてきた私、芳麗は国宝級の美人に会うのが長らくの日常である。
あまりの圧倒的な美を前に、すっかり鑑賞する側に回り、わずかでも距離をつめる努力を放棄してしまった。
今さら、小手先程度の努力をしてもね。全力で美容とダイエットをがんばって“見た目そこそこ美人”になれたところで、何かいいことある? ……etc.
心のぼやきは止まらない。
まあ、つまり、美を諦めつつある理由は……自分の怠惰につきる。
しかし、一方では、感動的な美人に会えば会うほど、なるほど、それなら私も、いつか私も……と思えることもある。
見た目そこそこ美人には興味が持てなくとも、心動かされる圧倒的な美人にはいまだ憧れるし、むしろ、自分次第で近づけるのではないかと思うのだ。
なぜだろう?
良い機会なので、私の思う「美人の条件」を掘り下げてみたい。
完璧な造形なのに、心を動かされない美人がいる
みなさん芸能人を見て、不思議に思うことはないだろうか。
あの人は美人。あの人はもっと美人! でも、なんだか印象に残らない。
っていうか、あの子は最近あか抜けて、かわいくなった。
あの人ってあんなに美人だったっけ……?
そう。栄枯盛衰、美も人も著しく変化するのである。
たとえば、いくら造形的に美しくても、全然ぐっとこない美人がいる。そういう人は、いかに美しかろうと長く人気を集めることもない。
心が動く美人はなにかがあるのだ。なにかが。
その「美人の条件」とは、なにか。
しばし、考えて浮かんだのは、白と赤、2つの色彩だった。
私が、出会う美女たちの中で、鮮烈な存在感とともに印象に残るのは、「白の女」と「赤の女」であることに気づいたのだ。
透明感をたたえる「白の女」の武器は「忘れる力」
たとえば、美人の条件によく挙げられるのが、透明感。
そもそも、透明感とは何か?
一点の曇りもない柔らかな白肌のことかといえば、そうなのだろうが、それだけではない。実はその人の漂わせている空気や佇まいなども合わせて称されるものである。
たとえば、菅野美穂さんと綾瀬はるかさん。
私がこれまで出会った中で、圧倒的な透明感をたたえている女性といえば、まず、ふたりが浮かぶ。トップ女優であるとともに、トップクラスの美肌女優としても知られている。
みずみずしさとハリを併せ持つ白桃のような肌、年齢と経験を重ねても無垢でピュアな少女性を感じさせる雰囲気には、「透明感」という言葉がしっくりくる。
まさに「白の女」である。
そんな2人の共通項は、内面にもある。それは、「忘れる力」を持っていること。
私は定期的に彼女たちをインタビューする機会に恵まれているが、「大変なことや辛いことは、すぐ忘れちゃう」と2人はよく口にする。
実際は、人並み以上に大変なことや辛いこともあったはず。芸能界の最前線にいながら生きることはまったく自由ではないし、数多の作品で主演を張ってきた、その責任の重さやプレッシャーだって相当なもの。
こちらが求めれば、辛いことも思い出して、客観的にユーモアを交えながら語ってくれる。無理に記憶から抹消しているわけではない。それでも、2人は忘れる力を持っている。
「最近はマイナスだけじゃなくて、良いこともすぐに忘れちゃう」とある時、綾瀬さんはあっけらかんと笑っていた。
その姿に触れて、忘れる力には、強力な自浄作用があるのだと気づかされた。
些末な過去にとらわれず、笑っていられるからこそ、心は漂白され、今と向き合える。真っ白で無垢な心をキープできるから、その存在にも、透明感が宿るのではないだろうか。そして、それは、透明感のある美肌にもつながっているのだろう。だって、くすみやシミなど肌トラブルの最大の敵は、ストレスなのだから。
50歳を迎えても自然体で奇跡的な美しさを保っている、君島十和子さんも「辛い過去やネガティブな思いは、自分のためにも美容のためにもなるべく早く忘れる、捨てる」が信条だと語っていた。
よく忘れる女は、白の女。真っ白で無垢な心をキープできるから、その存在や美貌には、白い光のような透明感が宿っているのだ。
美白ケアには不精な私でも「忘れっぽさ」ならいけるかも! 透明感美人にすこしは近づけそうである(笑)。
「私の好きな私でいる」潔さで強いオーラを放つ「赤の女」
水原希子さん、小嶋陽菜さんなど、最近、お会いして、とりわけ美しいなと感じた女性たちにも共通項があった。
それは、赤リップが似合うこと。常に赤というわけではないけれど、赤リップを自分のものにしていて、その鮮やかな赤色が観る人、触れる人々の印象に残っていること。つまり、「赤の女」。
先日、数年ぶりにロングインタビューした水原希子さんは、今この時を全力で咲き誇る花のように、外からも内からもエネルギッシュなオーラと蜜のような香りを放っていた。
「芸能界にいても、自分は自分であることを大切にして生きる」「依存心に振り回されたくない。今は形だけの結婚には興味がないし、自分主導で恋愛を楽しんでいる」と、きっぱりと語る姿勢にしびれた。
小嶋陽菜さんは、見た目は甘くガーリーな印象だけど、実は毒気やユーモアをたっぷり持ち合わせている人。客観的にクリエイティヴに、セルフプロデュースしているのだが、それが普通じゃない! メイク、ファション、コンサートの演出も、アイドルらしい可愛さを保ちつつも、パンクな匂いすら感じさせる。
そのユニークなセンスと意思が彼女の存在感と美しさを特別なものにしている。
そういえば、今最もホットな女性芸人、渡辺直美とブルゾンちえみも赤リップの女である。
「世界35億5千万人いる男の中から、私が私の好きな男を引き寄せる」という主体性とポジティブさを持って、女としての人生を楽しもうというネタは、彼女の生きる姿勢をも感じさせて、多くの人を惹きつける。
「赤の女」に共通しているのは、ずばり「勇気」だ。
インパクトのある個性を思い切り表現するにも、冒険を恐れぬ「勇気」があるし、さりげない攻撃力すら宿っている。恋のみならず、おしゃれに対する果敢な好奇心が強いゆえの、赤リップなのだろう。
つまり、赤リップとは「私の好きな私を貫く」宣言とも取れる。
何年も前から、ブーム再来と言われながらも、日常で赤リップをつけこなせている女性はまだ少ない。過去に挑戦したものの、「やっぱり似合わない」と挫折したのか。あるいは、長らく続く“モテ信仰”に惑わされ、全方位にウケそうな無難なメイクを選んでしまうのか。
私だって、その1人。あの時の私に赤リップが似合わなかったのは、顔立ちの問題のみならず。勇気と自己愛が足りない女には、なぜか似合わない代物なのだ。
私が惹かれた「白の女」と「赤の女」は、恵まれた容姿だけじゃない。
“心のありよう”と“見目麗しさ”が密接に結びついていることを再認識させてくれる美女。
美しさとは、美容やメイク、整形など外側からのアプローチだけでは作れない。かといって、美意識や妄想やポジティヴシンキングなど内側だけで醸造できるものでもないようだ。
ダメウーマンからの脱却! 赤リップ1つから真美人へ。
私はコラムを書き綴りながら気づいた。
「真なる美とは内と外のワンセットで生まれる」……ということは、一方が萎れている時でも、諦めなければ、もう一方が助けとなり引き上げてくれる可能性も大いにあるということか。
どれだけ熱心にお手入れしても肌トラブルが止まない人は、「白の女」のように、内側に目を向けて、諸々の雑事を忘れることに尽力してみたら、心の代謝とともに肌も再生するかもしれない。
私のように、日々の気合いも元気も減速気味のダメウーマンは、「赤の女」を浮かべながら、もう一度、赤リップに挑戦してみる。赤リップじゃなくても、いつもよりちょっぴり攻撃的なメイクするだけでも、新しい顔の自分に細胞レベルで恋できるかもしれない。
誰かの心を動かす前に、まずは、鏡の中の自分の心を動かしたい!
まだ加圧ビューティーには復帰するほどアグレッシヴにはなれないけれど、とりあえず赤リップを買いに行こう。
私は、パソコンを閉じるや、伊勢丹のコスメカウンターに行って赤い口紅を片っぱしから試した。赤にも様々な赤がある。ボルドーに近い赤は似合わないけれど、朱赤なら、まあ、似合うかな。輪郭も引き締まって、ちょっとだけ美人に見える気がした。
「あー、女に生まれてよかった♡」
イラスト:ハセガワシオリ
インタビューとコミュニケーションについての自著です。
インタビュー・構成担当しました。
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