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【らんまん】「何者かになりたい」という言葉の意味は? 5/3感想【第5週・キツネノカミソリ】

「らんまん」第23回の感想です。

今日は、色々と考えさせられるセリフがありました。

高知から佐川へ帰る道中の山道で、万太郎たちはきれいなオレンジ色の花が群生しているのを見つけました。何の花だろうかと駆け寄る万太郎に、祖母のタキが「キツネノカミソリ」と教えます。
綾は、その燃えるような花の色を、逸馬さんみたいだと例えました。そういえば、先週の放送では、ササユリをほろ酔いの顔に例えていましたね。花を人間に見立てるのが得意な、感受性豊かな人なのですね。

万太郎は「葉はどうついちょったがじゃろ?」「標本を作るがじゃ」と夢中で採取し始めます。

キツネノカミソリについては、牧野富太郎が『植物一日一題』の中で語っています。

キツネノカミソリ、それは面白い名である。……

これらは花の咲くときは葉がなく、葉は花がすんだあとで出て春に枯れる。その後秋になるとまた忽然と花が出る。ゆえにヒガンバナに「葉見ず花見ず」の名がある。これはヒガンバナに限らず、キツネノカミソリでもナツズイセンなどでもこの属の植物はみな同じである。今これを星に喩えれば参商の二星が天空で相会わぬと同趣だ。

牧野富太郎『植物一日一題』

と書かれている通り、ヒガンバナの仲間で、花が終わると葉を茂らせて光合成して養分を球根に蓄え、葉が枯れた秋に花茎がすっと伸びてきて花が咲きます。今日の放送は秋の場面だったので、葉はありませんでしたが、ちょうど現実世界では今、葉っぱが茂っている時期です。

「参商の二星」という言葉はよく知りませんでしたが、ググってみたところ、「参」はオリオン座の3つの星、「商」はさそり座のアンタレスで、同時に夜空に現れることがない…ということから、遠く離れ離れになっていることの例えとして使われる故事成語だそうです。
植物の生態を星に例えるなんて素敵ですね。

キツネノカミソリのことが長くなりましたが…

峰屋に帰ると、万太郎は「(自分を)勘当してください」とタキに訴え、自分は体が弱かったから、生まれてこない方がよかったと思わず口にしてしまいます。
タキは万太郎を平手打ち! そうですよね。一生懸命育ててきた孫に、そんなことを言われたら泣きたくなります。。

万太郎は誤解を解くために、自分の心の内を語ります。

「わし、とびっきりの才があるがよ。植物が好き。本が好き。植物の絵を描くがも好き。好きゆう才が」

「大好きなことがある」それは立派な才能ですよね。
万太郎は峰屋に生まれてみんなに守られて育ってきたからこそ、この「好き」という才能を育ててこられたと話します。

「わし、何者かになりたいがよ」

と万太郎は言いました。
万太郎が「好き」を極めたいのは「何者かになりたい」からなのか…。ちょっと意外な言葉でした。
それは例えば、実績をあげたいとか有名になりたいとか、地位を得たいという意味の「何者か」ではないのかな、と感じました。
自分らしく生きたい。自分に嘘をつかずに生きたい。自分の持っている才能を殺さずに育てたい。それが万太郎が言う「何者かになる」ということなのではないでしょうか。

この時代にはきっと、そういう望みを叶えることが難しかった人がたくさんいたのでしょう。これから、万太郎が何者かになっていく姿を見られるのは嬉しいですね。

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