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Column #22 台風と多摩川、江戸時代の青木根

今月の半ば、中部地方から東日本にかけて猛威を振るった台風19号。昨年の大阪の強風被害をニュースで見ていたので、窓に養生テープを貼るなど、とにかく風に対して恐怖を抱きながら身構えていた。その風は、結果的に僕の出演予定だったイベント開催まで飛ばしてしまった。

しかしどちらかというと風よりも、過去最強クラスといわれた雨量が文字通りひどく、首都圏よりも西側、つまりダムが多くあるエリアを進路に選び北上した。よって首都圏においても多くの川の水位が極度に上昇。僕の住む神奈川県川崎市と東京都のあいだを流れる多摩川も、例外ではなかった。

そして氾濫が起きた。二子新地駅付近では平瀬川という支流が多摩川へ流れ着くときに、多摩川の水位上昇によるバックウォーター現象で水が街に溢れ、それによって亡くなられた方も。その平瀬川は、僕の実家のある街の真ん中を流れていて、幼い頃から馴染みのある川なので、ニュースでその名を聞くたびに申し訳ない気持ちになった。

もう少し上流の川のそばでは、僕の母が利用している高齢者向けの施設があり、床上浸水の被害に遭ってしまった。少数だが床に置いていたものはすべてダメになってしまったそうだ。それでも業者の方が迅速に復旧に当たってくれて、約2週間で運営が再開できるくらいまでに戻してくれたとのことなので、感謝しかない。

近年タワーマンションが続々と建設され、オシャレな街として生まれ変わった武蔵小杉駅周辺でも、多摩川氾濫の被害が。これもニュースで見た人は多いだろう。

その武蔵小杉駅よりももうひとつ多摩川に近い東京寄りに、新丸子という駅がある。近くには多摩川を渡る丸子橋という大きな橋も。その橋のたもとの河川敷へ、ちょうどこの台風の1週間前、全国的にも人気の高い川崎市制記念の花火大会を見に行ったばかりだった。花火が打ち上がる地点までは距離があるのだが、非常に見晴らしがよく、ほどよいサイズで見える絶好の場所だ。

そんな新丸子駅周辺なのだが、実はこの僕に続く「青木」家の先祖が代々暮らしてきた街でもあるのだ。近くにはひいおじいさんが暮らしていた家があり、辺りで一番大きなお寺には青木家の墓がいくつもある。

20年ほど前に僕の祖父が亡くなったときの四十九日だったか、このお寺の住職さんと長く話す機会があり、うちの先祖の話になった際に、分厚い「過去帳」というものを見せてもらった。僕のひいひいおじいさんが「金太郎」という名前であったり、わかりやすい家系図を見るように何代か前までさかのぼることができた。

その寺は大きな火事に見舞われたこともあり、江戸時代の記録の多くが消失してしまっていたのだが、判明する限り、どうやら400年くらい前から青木家の人々はこの辺りに多く住んでいたらしい、とのこと。そして「青木根(あおきね)」という集落が、ちょうど新丸子駅と多摩川のあいだに存在していたらしいのだ。

昔の日本人は、同じ苗字、同じ親戚同士で近くに住むことが多かった。そして集落になったものを「根」と呼んでいた。今でも新丸子駅や武蔵小杉駅付近には、青木が付く個人店をちらほら見かける。

ここからは自分で調べたことなのだが、多摩川は江戸時代寸前の1590年に、歴史的な大規模洪水があった。まだその頃は、現在のようなまっすぐな形状ではなく、例えば今回の台風で大きな被害のあった千曲川のように、下流域までくねくねと曲がった川だった。上流になるほど他の川より高低差が激しく、別名「暴れ川」とも言われていた。

大正時代になって、新堤防を設置する際に、次々と街が分断される。同じ地名が川崎と東京にあるのは、そのせいだ。川崎に「新丸子駅」があるが、川を渡った東京側には「下丸子駅」がある。「瀬田」や「宇奈根」も川崎と東京にある。

その大正時代、青木根の人々は国による比較的安価な強制買収によって、立ち退きを強いられ、おそらく何百年も受け継いできた土地を離れることになる。多くは近隣の新丸子近駅付近に移り住んだ。僕の金太郎ひいひいおじいさんも、その中のひとりだったのかもしれない。

お寺の住職さんの話に戻ると、地形が変わったため、青木根があった位置はちょうどいまの堤防の内側、河川敷にあたるのではということだった。だからそこで花火を眺めているときは、去りゆく先祖たちの命と重ね、妙に特別な想いにかられてしまった。

僕の生まれる1年前の1974年にも大洪水が起き、おもに東京側の狛江市が大きな被害を受けたのは、僕のひとつ上の世代なら誰でも克明に覚えていることだろう。脚本家・山田太一氏の「岸辺のアルバム」にも描かれていることで有名だ。まっすぐで穏やかな川になっても災害は起こっていた。

そして今回の台風19号での氾濫。この先だって、わからない。

このクラスの台風が、これから毎年のようにやってくる可能性は大きい。過去に僕とQuinkaが20回近く続けた「きこえる・シンポジウム」でも、いろんな専門家の方に話していただいたが、気候変動による影響が如実になってきた。東南アジア化する日本。夏になるとよくこんな会話をするが、夏になってから毎年思い出しているようでは、気構えも対策も間に合わない。また久しぶりにシンポジウムを開催してみたい、近頃そう思うようになった。

この台風や度重なる豪雨で被害に遭われた皆様には心からお見舞い申し上げます。