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公立高校教員から、日本語教室の子どもたち(複数校種・カリキュラム)のサポートをして学んだこと【388】

 公立高校の教員を退職して4年が経過しました。公務員を辞めてオランダで0から事業をスタートし、全く異なる働き方や仕事の取り組み方でここまで続けてきました。オランダでの生活は、毎日が学びの連続で、仕事においても常に試行錯誤や新しいチャレンジが求めれます。
 特に、これまではある程度学力が揃っている学校で、さらに年齢も似ていることから、「この年齢だったらこれぐらいのことはできる」「この年齢で学ぶレベルはこの程度だ」といったような固定観念を持っていることに気づくことができませんでした。限られた年齢の子どもたちしかみていなかったため、あまり広い視野で子どもたちの発達を考えられていなかったように思います。
 しかし現在は、幅広い年齢といろんな科目、そしてさまざまなカリキュラムで学んでいる子どもたちを対象にサポートをしています。例えば、年齢層がとても広くなり、5歳から17歳の高校生までの授業をしています。また、担当科目も多岐にわたり、継承語としての日本語学習(幼稚園・小学生・中学生)、小学生の算数・理科・社会、中学生の数学、インターナショナルスクール(IB MYP,IGCSE)の学習補助(理科・社会のテスト対策やレポート作成)、IBDP日本語Aのチューター、高校生の数学Ⅰ・A(時々、物理基礎)、高校生の歴史総合・公共、大学受験の小論文、政治経済などがあります。高校教員の経験を活かして行うサポートもありますが、オランダに来て新しく担当することになった科目も合わせると、学習の捉え方がかなり広くなったように思います。
 複数の年齢・科目を担当することで感じたことは、「子どもの発達を総合的に見ることで、それぞれの科目を学ぶ強みが理解でき、幅広いアプローチが選択できる」ということです。私が今感じている各科目の魅力について、数年前にも記事にしたのですが、さらに気づいたことも含めてまとめておきたいと思います。

科目ごとで鍛えられる「異なるスキル」

 ここ数年で、科目ごとに鍛えられるスキルは異なり、それぞれの強みがあると感じるようになりました。そのため、その強みを活かして授業を進めるようにしています。私が今感じている科目の強みをそれぞれまとめておきます。

言語(国語):「学びの根幹」

 国語(言語)は、すべての学びの根幹にあり、表現されたものを正確に理解したり、表現そのものを味わったり、自分の考えを正確に表現する力を養うことで、それが他の科目にも派生すると考えます。
 書かれている文章を正確に読みとること、自分が伝えたいことを正確に伝えられるようになるというのを重要なミッションとして読み書きの練習をします。具体的には、漢字や文法、作文に取り組むことでそういった力を磨いていくことが大切だと思っています。すべては「理解力・表現力を磨き上げる」ことで、それに合わない学びは取り入れないようにしています。

算数・数学:「論理的思考力」

 この科目では、国語で身につけた言語能力を生かして、過去に発見された公式や定理について「なぜそうなるのか」を理解し、現実世界の問題を算数や数学を使った考え方を使って解決することができることを学んだり、問題を解く過程や答えを証明する時に「論理的に考える力」を身につけることが重要だと感じています。この科目は国語(言語)よりも、さらに高度な思考力が求められます。「物事を順序立てて考える」ということには最適な科目だと感じています。

 レッスンの中で、たまに「計算することだけが算数だ」と勘違いしている子もいます。そういった子は、文章題が苦手だったり、どの計算をしてよいか判断できないような問題を避けがちですが、ここに算数・数学の魅力があると思います。一問一答のような処理で終わる計算だけでなく、試行錯誤することが面白いと思えるようにレッスンを組み立て、答え合わせだけでなく、考えた過程を丁寧に見ることでよりその子の発達が促されると感じます。そのため、私は専門ではないものの、算数・数学の授業では「思考のプロセス」を確認するための話し合いがとても多いです。

社会:「現実世界の成り立ちを紐解く」

 私は元々社会科の教員ですが、社会が最も重要な科目だとは思いません。ここで順番に述べているように、どの科目にもそれぞれの特性があり、そういった部分を生かして学習にあたるべきだと考えます。
 もちろん、私自身は環境問題や政治・経済、宗教の歴史などいろんなことに興味はありますが、最低限子どもたちと共有したいことは、「今の社会は過去の度重なる意思決定を元に成り立っている」ということです。
 歴史人物や出来事の名前などを暗記することを主体とする授業がまだ行われているところでもあるみたいです。
 現実世界を生きる私たちが社会科を学ぶことで、物事の捉え方が広く深くなったり、今起きている紛争がどのような歴史をたどってきたのかを学ぶことで、その問題の解決できる方法を幅広く模索できるようになることを学ぶべきだと考えています。そういった意味では、私は数学で身につける論理的な思考と歴史をたどる時の思考は似ているようにも感じています。だからこそ、物事を順序立てて考えたり説明することは大切だと強く思います。

 過去の人類の過ちを無機質な知識としてではなく、人類全体の経験として学べるようにしています。そして、人類が長い年月をかけて見つけた、完璧ではないが権力暴走を止める機能をもつ「民主主義」の重要性を後世に伝えていくべきだと考えて授業をしています。

理科:「身の回りにある事象を科学的な視点で理解する」

 理科も数学同様、専門外ではあるものの、非常に重要な科目だと感じています。むしろ、この科目については、言語や算数などの力を合わせて考える必要があるので、かなり高度な学びだと感じます。事象における性質を見極めるための実験を考案したり、その実験の中でどの条件を変えるべきなのか、また予想した結果と実験による結果を比較するような多角的な視野は、理科ならではの高度な思考力を鍛えられます。

 また、物理や化学、生物などに分かれる中で、かなり難しい内容も含まれていますが、私自身は身の回りのことが科学的に捉えることができると理解し、その面白さが伝わることが大切だと思って、現実世界とのつながりを意識して授業をしています。

小論文:「自分の考えを相手に納得してもらうための表現の総動員」

 私は子どもたちの宿題に、作文を必ず取り入れています。なぜなら、日本語で表現することの喜びや、他の子どもたちの考えを聞いたり話し合ったりすることを楽しんでもらいたいからです。そのため、テーマも子どもたちにとって身近な話題を設定し、「あなたが通っている学校で、変えてほしいと思うところはどこですか」「あなたの部屋にあるものを一つ選び、その言葉を使わずにどんな説明ができるかを書いてください」など、作文を書いた後にも子どもたちがお互いの内容を楽しめるような内容にしています。
 そうやって、遊びに近い感覚で、他の人が書いた文章などを見たり聞いたりしながら文章表現をすることに喜びを感じる機会に触れていきます。そういった活動を通して、「相手に伝わる文章にするにはどうしたら良いか」ということを自然と考えられるようにしていきます。

子どもたちの総合的な発達を目指して〜校種・科目からではなくその子自身を見るように

 私が公立高校で働いている時は、どうしても自分が教える科目から生徒を見てしまいがちでした。各科目に分かれて授業を行うことはそれぞれの専門性を活かせるというメリットもありますが、自分の専門外のことには疎くなってしまいます。私個人としてとても大きいと感じている収穫は、高校生以外の生徒たちの発達に関わることで、高校生になるまでの成長過程が明確になったり、高校生で必要とされる力を逆算して小学生の子どもたちのレッスンを考えるなどといったことができるようになりました。

 今の私が経験していることの学びは、いろんな人が私と同じようになるべきだということではありません。それぞれの専門性をもつ教員同士のつながりがここで重要になってくるということを感じました。これは科目や校種を越えてつながることで教員の視野が広くなることが期待できます。そういった意味で、科目横断型の学びなど科目の垣根を越えた学びには魅力を感じます。
 自分とは違う視点を持ち合わせた人同士がつながることで、新しい視点が供給され、授業にも新しいアプローチが生まれてくると思います。そういった現実の文脈に近い形で学べると、子どもたちの学びもより促進され、いろんな科目で楽しく学べるようになっていくのではないでしょうか。

 以上、私がこの4年間で学び感じたことを記録しました。教育に携わる人の新しい視点をもつための参考になれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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