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書評|『東京、はじまる』門井慶喜(文藝春秋)

〈人があつまる、東京をつくる〉
言いかえるなら、東京を人間の整理箪笥にする。
そうすれば日本はきっと発展する、というより、そうしなければ、ほろびるのだ。

明治十六年、三年間のイギリス留学、ヨーロッパ視察から帰った辰野金吾は、横浜の波止場へ上陸したその足で汽車に乗り込み、東京・新橋停車場へ向かった。建設途中の鹿鳴館に組まれた足場の杉板に座り、巨大な空箱のような風景をながめて思う。

建物が、いや建物の不在が、日本を世界の三等国にしてしまったのだ。

日本近代建築の父と称される辰野金吾の一代記。帰国した金吾は、工部省の役人となる。さらには母校であり日本最高の工学教育機関であり工部大学校の教授となり、造家学の教員の最高位に就く。代わって退職したのが、学生時代の恩師で主席卒業者の特権を与えてくれたイギリス人、鹿鳴館の設計を手がけ、ならんで眼下に広がる街を見たジョサイア・コンドルだった。

日本人は、一刻もはやく外国人におんぶにだっこの現状を脱しなければならない。

金吾はコンドルの部屋に挨拶に行く。「おめでとう」と手をさしだすコンドルに、金吾は「申し訳ありません」と言おうとしてとどまり、「ありがとうございます」とうなずく。「先生を亡き者にする」というのは、金吾の、もしくは日本国政府の目標だったのだ。

謝罪などしたら自分はともかく、国家の不誠実を、
(みとめてしまう)
その危惧からだった。それでは国家がかわいそうだった。

明治十八年、工部省が廃省となり、工部大学校は東京大学に吸収されて帝国大学工科大学となる。教授として誘われた金吾だが、(黒板の前で、いばるだけ)の人生を嫌って、仕事の受注のために(民を、やらねば)と決意。おそらく日本ではじめての民間の建築事務所となる辰野建築事務所を立ち上げて、職業・建築家となった。

事務所を構え、最初にとどいた郵便物はコンドルからの手紙。手を合わせて拝み、返事を書く。だが、その日のうちにコンドルが臨時建築局の御雇となったことを知った金吾は顔をしかめる。「こまる」と。

臨時建築局には、東京の官庁街を再編成し、さらには東京そのものを欧米なみの文明都市にしようという狙いがある。そこにコンドルが雇われたということは、日本最初の中央銀行である日本銀行の記念すべき新築事業を外国人が請け負うことを意味する。そうなれば、ほかの仕事も、おそらく政府は外国人にたのむことになるのだ。

最初の中央駅、最初の国会議事堂、最初の総理公邸、最初の大審院……存在そのものが日本の権威となるようなこれらの建物が、日本人以外の手でデザインされるのだ、たとえば鹿鳴館がそうだったように。

金吾は臨時建設局総裁の山尾庸三と会う段取りをつける。指定された場所は鹿鳴館。待っていたのは山尾と内閣総理大臣の伊藤博文だった。
「あの人は、そう大した建築家ではないのですよ」
コンドルを罵倒し、強引に注文を奪いとる。それからおよそ十年、日本銀行の落成によって、辰野金吾はその名を世に響かす。そして日露戦争のさなか、日本の鉄道を国有化し、中央停車場をつくる極秘計画があることを打ち明けられる。

話を持ちかけてきたのは、故郷をおなじくし、ともに学んだ曾禰達蔵。三菱の顧問となって丸の内の開発を手がけていたコンドルに誘われ、オフィス・ビルディングの設計をしていた。唐津藩主の御留守居役の生まれであり、農民と武士を兼ねていたような下級の武家に生まれた金吾とは実家の格がちがっていた。

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「そんな大事な中央停車場なら、曾禰君、なぜ君がやらんのだ。そのほうが自然だ」
「ふむ」
「ふむじゃない。もしも私が君だったら、誰かに教えたりするものか。ひとりでこっそり引き受ける。コンドル先生も出し抜いて、設計料も名誉もひとり占めだ。それが野心というものではないか」

達蔵の本音が金吾にはわからない。挑発を重ねるが、にこにこと受け答えするばかりの顔を正視することができなくなり、ついには逆上してしまう。それでも達蔵は冷静さを失わず、絶妙な受け答えで説得し、引き受けさせてしまう。

血気盛んで、我が強い金吾は、なりふりをかまわない人間だ。恩師に尊敬の念を持ちながらも激しく批判し、仕事を奪う。留学の権利を横取りした親友には、死の間際まで屈折した思いを持ち続ける。
コンドルは、のちにこんなふうに金吾に洩らしたことがあるのだという。

「じつは卒業論文も、卒業設計も、曾禰君のほうが上でした。知識がゆたかで、分別があり、結論にまとまりがある。けれども私はロンドン大学の講師ではない。一刻もはやく西洋に肉薄しなければならない後進国の、後進の街の講師です。むりやりにでも腕を天に伸ばす人を採るべきでしょう。辰野君、あなたの結論は、かなり強引なものでした」

日本銀行、東京駅だけでなく、生涯で二百件以上の作品を手がけ、経歴だけを見ると、順風満帆のエリートコースを歩いてきたように思える金吾だが、そうではない。力ずくでチャンスをつかみ取ってきた。欲をむきだしにすることもあれば、尊大な立ち居振る舞いもする。傲慢で頑固で拗ね者。はっきりいってクセがすごい。(国家とは、建物である)と思いを定め、日本近代の第一世代として生きた男のドラマ。人間臭さに引きつけられる。


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