見出し画像

【連載】「こころの処方箋」を読む~11 己を殺して他人を殺す

これは、私にとってはぞっとする話である。

ここ数年、私はずいぶんと勝手気ままに生きているように「ふるまって」いる。ふるまっているつもりではある。

どうも人生の前半はまさに「己を殺して」生きてきた自覚があった。家族で自分を殺し、学校で自分を殺し、職場で自分を殺していたような自覚があった。

どこかで遠慮し、どこか自虐的で、どこか犠牲者ぶったそぶりをしていたような気がする。

私はそんな自分を愛していたし、どこかそんな自分に甘えていた。


そんな日々にいい加減嫌気が差して、もっと自分の生きたいように生きようと、何があるかもわからない谷底に身を投げるように自分を社会に放り投げたのが四年前である。

そこからの四年間は濃密で、たった四年とは感じないくらいに豊かな経験をできたと思う。

そんな中で、改めて「己を殺して」生きていたころを思い返すと、周囲に対して無意識に攻撃的だった自分もあったような気がする。

正論を押し付け、無理解をなじり、自分の気持ちをぶつけた。そんな時は一度や二度ではなかった。思い返せば、多くの人を傷つけ、困惑させた。


そして今も、その名残を抱えている。「己を殺して」生きる癖は、なかなか抜けるものではない。

ちょっと油断すると、「己を殺して」生きている。

よくよく自分の行いや、自分の気持ちを眺めてみると、「己を殺して」いる瞬間に出くわす。

意図して「己を活かそう」とするけれども、それでも、うっかり、「己を殺して」しまうのだ。

そして、その反動はきっといろんなところに出てしまっている。無意識のうちに。


ユング心理学に触れていると、無意識の豊かさの一方で、その果てしなさと、文字通り意識することの適わぬ領域が存在することへの恐怖を感じる。

我々には無意識という領域があって、それを我々はコントロールするどころか、捉えることもかなわないのだ。

その一つの例が、「己を殺して」生きることの代償として現れる姿なのである。


こんな恐ろしいことを、一般の方向けにさらっと書いてしまうのだから、河合さんは恐ろしい。



この記事が参加している募集

サポートしていただければ嬉しいです!