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演奏会に遅刻するときの話

 久しぶりのコンサートホールでの演奏会は、NHK交響楽団の定期公演。日本列島に少し早めの梅雨が訪れようとしている時期だった。
 最近は仕事を増やしたばかりで少しだけ忙しかった(自分比)ので、演奏会を楽しみにしていた。開演が14時からだったので、昼頃に出かけて、ご飯を食べて、余裕を持って会場入りする予定だった。それが、ついついラジオを堪能するという誤算により、すっかり家を出るのが遅くなってしまった。
 電車の出発時間から考えるに、どう考えても開演には間に合わなかった。こんなときに僕は、「遅刻モード」に移行する。演奏会に遅刻するのは珍しいことではない。その前の予定が押したり、そもそも日程的に間に合わない演奏会を何度となく経験してきた。
 演奏会によっては、聴いているだけで疲れてしまうので、あえて途中から聴きに行くことさえある。もちろん、一曲目を大事にしないわけではないのだろうけれども、一曲目から満足のいく演奏ができることは多くないようにも感じている。一曲目はどうしてもエンジンがかかりにくいし、難易度が高いけれども聴き映えの良い曲を選んでしまうことも多いので、結果的に完成度が低いことが多いと思う。
 逆に、アンコールに至ってようやく本調子になってくることも多く、短くて勢いだけで押し切れるような選曲も多いので、結果的に楽しめる演奏であることがある。なんなら、練習回数も多いのがアンコール曲だということもあるのかもしれない。短くて演奏しやすいので、練習の最後に一回だけ通すなんてこともしやすいからだ。
 ちなみに、僕が最後に関わった演奏会のプログラムでは、序盤の曲にはシンプルな、練習で毎回歌う曲を数曲固めた。合唱の演奏会だったのだけれど、体力のあまりない団体だったので、前日、当日のリハーサルは短時間集中にし、体力を温存した。そして、演奏会のプログラムの中で、自然に声が整っていくように組み立てた。毎回ウォーミングアップで歌う曲を序盤の選曲として、緊張をほぐすとともに心も身体も調整していけるようにした。結果として、序盤の曲を喜んでもらえたことが印象的だった。複雑で見栄えのいい曲もいいけれども、シンプルで基本的な曲を丁寧に演奏するだけでも、十分観客に喜んでもらえるのだと思っている。一方、アンコールも用意はしたのだけれど、シンプルなアカペラ斉唱の曲にした。メインの曲がかすむような曲にするのは嫌だったし、余力で十分歌えるようなものにしたかった。本当はアンコールにかける時間と体力を他の曲に使いたい派なのだが、アマチュアの演奏会ではそうもいかない。せめてもの抵抗として、小さな小鉢に入ったデザートような小品を演奏した。
 そんな感じだったから、演奏会を聴く体力が少なくなってきた最近では、あえて数曲終わった後から聞くことも多かった。一曲目から聴いたとして、その一曲目がガソリンも練習も足りないような演奏だと、どうしても疲れてしまう。心と身体に余裕のあるときであれば、それも楽しむことができるのだけれど、近年はそれが難しくなっていた。あまり調子が良くないときだと、たまらず最初の休憩でリタイアすることさえあった。
 だから、比較的演奏の完成度が高いコンクール曲やメイン曲を目指して聴きに行くことが多くなっていた。完成度の低い演奏にも魅力はあるし、練習の成果を発表することは良いと思うのだけれど、体力のない身にはちょっと難しいこともあるのだ。
 ただ、今のご時世の中では演奏会の開催自体が少なく、生の音楽を聴きに行く機会も少ないので、体力的には余裕があった。往時には月に十以上の演奏会や講演会に参加していたことも、体力の消耗につながっていた。けれども、今はそんな心配もいらない。だから、最初から聴いていても、問題ないことが予想された。それでも、遅刻してしまうのだ。つまりは、日常の遅刻癖が、演奏会でも発揮されたに過ぎない。
 そんなこんなで遅刻した僕だけれども、遅刻には慣れていたのだ。遅刻が決まったときにある選択肢は、「急ぐ」か「急がない」かの二択である。「急ぐ」を選択すれば、例えホールの外であっても音楽に触れる時間が増えるけれども、息を切らして汗だくになる可能性は高い。「急がない」を選択すれば、落ち着いて到着できるけれども、音楽に触れる時間は短くなってしまう。かつては「急ぐ」を選択することも多かったけれども、今では「急がない」を選択することが増えた。万が一間に合ったとしても、呼吸困難に陥りながら汗を流している観客の存在は、周囲の方に迷惑だろう。自分自身もすぐに演奏に集中することは難しい。
 今回も開演にはとても間に合わないことはわかっていたので、ゆっくりと会場に向かった。
 会場に着くと、案内係の方が丁寧に案内して下さった。N響の定期公演の係の方には、いつもとても丁寧に対応していただく。ホールに入るまで数分かかることを謝罪されるが、もちろん原因はこちらにあるわけで、恐縮してしまう。
 せっかくなので、用意していたコーヒーを飲みながら、ホワイエのディスプレイ越しに一曲目を楽しむ。曲目はハイドンのチェロ協奏曲。
 何を隠そう、僕はチェロが好きだ。音色といい、協奏曲のレパートリーといい、チェロを愛し、チェロの曲を愛している。大学に入学したときに、うっかりチェロを始めようと思ったくらいには、昔から好きだった。そんな僕にとってはなじみのあるチェロ協奏曲を生で聴く機会を失していることは残念ではある。しかし、そんなことにくよくよするようなステージはとうに過ぎ去っているので、その場のできる限りの環境で、一息つきながら優雅に聴いていた。
 親しみやすい第三楽章が始まり、その後半に差し掛かって、係の方から声をかけられた。案内に従って座席近くの入り口まで案内される。到着して間もなく演奏が終わり、拍手が起きる。全く時間的に無駄のない、見事な案内だった。
 そこからの流れは演奏会によって変わる。ドア係だけを設置して、演奏の合間に開閉をする場合。特に人を配置せず、観客の規範意識によって演奏の合間に自分で開けて中に入る場合。そして、係の方が先導して暗い室内を照らしながら、会場の座席に案内していただく場合。N響の場合は最後のパターンになる。
 こうして僕は、ゆったりした気持ちで座席に着くことができたのだった。

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