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【ひっこし日和・最終回】20軒目:二世帯住宅

離婚した。

結婚はするりとできたのに、離婚するにあたっては困ったことがいくつもあった。まず、息子が生まれてからちゃんと復帰していなかったので、たいして仕事がなかった。自分の貯金というものもなかった。離婚するって親に言えなかった。それなのになぜなのかとりあえず住むところだけは確保しようと思って、いのいちばんに不動産屋をたずねた。

ああいうときの人の行動って変よね。不動産屋に行く前にいろいろすることがあるでしょうよって今は思えるけど、なぜか駆け込んじゃった。なんでだろ。しかも、いくつか図面をもらって帰ろうと思っていたのに、どの物件も今すぐ見られますよと言う。ならばとそのまま車で案内していただくことになった。

でもねえ、何せひっこし20回目。
物件を見る目はかなりこえているわけですよ。

ひとつ見るたび、現実が見えてきた。まだそこそこちいさい女の子と、とってもちいさい男の子と、そしてわたしと。どんな家だったら安らかな気持ちで暮らせるのか、特にまだ娘は留守番をしたことがなかったので、これから先わたしが働きに出たときにひとりでいても怖くない家かというふうに考えたら胸がしめつけられ、どんな家も怖く見えた。

大きいマンションも。小さすぎるアパートも。エレベーターは怖い、二階以上は怖い、一階は死角がありすぎると怖い、子どもの少ないマンションは怖い、細い道は怖い、太い道は怖い、がんじがらめ。

ネガティヴな感情に押しつぶされて絶望的な気持ちを引きずりながら、最後に「マンションがご希望ってことだから違うかもしれないんですけど」と連れていってもらったのは、二世帯住宅だった。二階におおやさんご家族が住んでいて、一階部分をはじめて賃貸に出すのだという。

入ったら、ひとめで気に入ってしまった。もともとご自宅として建てられているから造りがしっかりしている。ビルトインのコンベクションオーブンがあり、食器乾燥機があり、ちいさな庭には薔薇が咲いていて、家をぐるりと囲むようにおおやさんがハーブやお花を植えている。眠れるんじゃないかってくらい収納が広く、備えつけの大きな本棚があり、一階だから子どもたちが飛び跳ねても気にならない。

それに、知っている顔の人がすぐ上に住んでいるというのはかなりポイントが高い。子どもたちも留守番中安心だろうし、いざとなったら階上に駆けこめばいい(勝手)。家自体も見通しのよい場所に建っていて、よく知った土地でもあって、娘の友だちの家がまわりにたくさんあり、さらにさらに! この条件でこの値段! なんて良心的! という価格なのだった。

もうここしかない、きっと新しい人生のスタートを神さまが応援してくださっているに違いない! ここはわたしのために空いていたんだ! と思った(神さまふだん信じなくてごめん)。

ぐるっと見て即座に「ここにします」と言い、心は決まった。ならばこのまま事務所に戻って申込書を書いてほしいと言う。ハイハイと言って車に乗りこむと、「失礼ですが前年度の年収ってどのくらいですか? 審査、とおるとは思うんですけど……」と返ってきた。

え? 年収? ゼロ。

えっ?

みたいな間があり、ちらりと状況を話すと、なんか絶望的な顔をされてしまった。「聞いてみますけど……ああ、そうですか……」って急に意気消沈する営業マンのお兄さん。

まあ、そうだよね。家賃どうやって払っていくのって話ですよ。実はわたしにもまったくわからなかった! あの条件であの値段はとても良心的だけども、収入ゼロの人にとってはどの値段でも高いよね。なんせゼロだから。いや、正確にはゼロでもなかったけど限りなくゼロに近いゼロー。

なんだろうこの、まだびた一文借りていないのに大借金を抱えてしまった気持ち。親に言えないから保証人もいない。仕事かー、あるかなあ。わたしできること少ないんだよなあ。あってもそんな、子どもたちを食べさせていけるほどの仕事ができるのかなあって、そんな人に家なんか貸してくれるわけがないことに、驚くなかれそのときはじめて気づいたのでありました。

でも、お金がないからって思うように生きられないのはおかしい! おかしいよね!? って騒いでいたら、この浅はかなわたしが困らないよう夫が数ヶ月に渡り支えてくれました。そしてその環境を理解してくれたおおやさんが快く貸してくださったことで、今こうしていられるわけです。ええ、夫はいい人なんですよ。基本的に。

というわけで無事契約することができたのだが、諸々が具体的になっていくなかでふと、そこから旅立つにあたって何かひとつ、これからの生活の勇気になるものがほしくなった。なにか、自分の力で生きていけるという自信につながるもの。

それで、毎年クリスマスが近くなると自作して友だちに配っていたシュトレンを、その年は販売させてもらうことにした。売るといっても自分ちで作って友だちに買ってもらうだけのことなのだけれど、前々から「お金払うから売って」と言ってくれていた人たちの言葉が支えになって、これなら今のわたしにできそうだな、って。

そうしてやってきた11月、注文をとってみたらなんとシュトレンとフルーツケーキのオーダーは100本近くになった。10年焼き続けながらレシピを改良してきたシュトレンは、毎年継ぎ足してきたラム酒漬けのドライフルーツをたっぶり混ぜた生地を2日かけて発酵させるので、仕込みから焼き上げるまでに3日かかる。朝から晩までシュトレンを焼きながら、ひとつひとつ終わらせたりはじまらせたりしていった。

焼き上げたシュトレンをひとつひとつ友だちに配り、ひとりひとりからお金をいただいた。決して安くないお金で買ってくださったこの経験が自分の土台になるよう、そのお金でわたしはダイニングテーブルを買うことにした。

これからもここにおいしいものがのせられるように。
ここでちゃんと、食べて暮らしていけるように。
この天板でたくさん撮影できるように。

だからあのときシュトレンを買ってくれた方、本当にありがとう。足がすくみそうな怖いことにつっこんでく自分を、奮い立たせる勇気になったよ(材料費が夫から出ていることは気にしないで)。

そしてこの家はね、本当に思ったとおりの家だった。

朝、目が覚めると窓の外から道を掃くおおやさんのホウキの音がして、おはようございます、と近所の人たちと話す声が聴こえてくる。5歳になった息子は庭に植えたハーブに水をやり、おおやさんが手入れしてくれている薔薇をときおりちょんと切って、一輪挿に飾るのは12歳になった娘の仕事。必要なときはおおやさんが植えてくれたローズマリーをちょこっと拝借。代わりにローズマリーで焼いた塊肉を階上へ持っていったら、この間とっても喜んでもらえたなあ。

おおやさんのご実家で採れた野菜もときどきやってきて、旅に出るとわたしはおおやさんにおいしいものを買っていく。お孫さんがきたときは上からパタパタと小さな足音がして賑やかで、「ああ、ちいさい子たちがきているね」と我が家も楽しくなる。子どもたちもそれぞれおおやさんと話したり聞いてもらったりしながら、暮らしている。

ほんとうはずっとここに住んでいたいくらいすべてのことが安定しているけれど、残念ながら定期借家なので、また数年後にはひっこさなくてはならない。でもきっとどんなところに住んでも自分らしくやっていける気がする。
だってなにせ今度は21軒目にもなるんだもの。

画像120軒目にて。photo/Masayo Yamamoto

おわり

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