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カラサワギ

 身の内に堰き止められた言葉があって、どうにも外に出ていかないので辟易している。

 帰る気のない客のようにがんとして居座っていて、出て行ってと言いたがったが、本当に出て行っても構わないのかと思うと少し怖くなって言いたいことを引っ込めてしまった。

 咽頭部からの発声では出ていかないことを知っているから、指先からキーボードを通して出て行ってもらおうとした。気が変わらないように気を遣って慎重に頼んだ。肩の先から肘あたりまでは出ていこうとするものの、やっぱり戻ってきて肩甲骨あたりで躊躇いがちに溜息をついている。

 そんな逡巡が数日続いている。

 言葉は三々五々訪れて、居間やリビングで寛いでいる。ぼんやり頬杖をついていたり、テレビを視ていたり、スマホを弄っていたりする。そのうち言葉同士でお喋りも始まる。どこから出してきたのか座布団を敷いてお茶を啜っていたりする。この調子だと早晩座るところもなくなってしまう。

 だいたい言葉だけにどうにも騒々しく、ぺちゃくちゃと息継ぎもせず姦しい。視てもいないのにただつけてあるテレビがさらに五月蠅い。さっきまで空港の出発ゲートのように反響していた静けさがもうどこにも見当たらない。

 影の薄い言葉は出ていかずに消えてしまうこともあって、消えてしまった言葉ほど美麗だったり端正だったり精悍だったりする。むしろ居て欲しかったのは彼らだったのにふと気づくともう跡形もない。

 散らかっている。酷く密だ。どうしてこんなことになってしまったのかと途方に暮れながらも、思い当たるのは私の小心だ。出て行ってと言えない私のせいだ。

 彼らを順次指先へと向かわせなければならない。とりあえず整列は無理でも、順路を示す矢印を壁に貼らなければならない。焦る。焦ってうっかり、地雷を踏む。

 なぜこんなところに地雷が埋まっているんだか、皆目見当がつかない。

 地雷を踏んで言葉はポップコーンのように弾け飛び、散り散りになって四散する。彼らは大概軽いようだ。跳ね上がって紙切れのように落ちてくる。

 コスプレをした言葉たちの間に、ひらひらと粉々になった言葉が堕ちていくと、コスプレイヤーたちがパレードの紙吹雪と間違えて歓声を上げる。虚飾に塗れた彼らのそばには、たまに本音が落ちている。

 本音は大抵、捻くれている。不貞腐れた思春期の少女のような風体で、赤いパーカーを着て荒々しい目つきをしている。本音のそばには本音を狩るオオカミとオオカミを狩る狩人がいて、片っ端から追いかけまわす。

 騒々しい。実に厄介な状況になってきた。

 そもそも言葉たちは自ら出ていかぬことを望んだのか、それとも私が引き留めたのか。それすらもう曖昧だ。

 こうなったのはあの言葉のせいだ。聞きたくなかった言葉を聴いて、その言葉が身のうちにするりと入ってきたからだ。言葉はまるでウイルスのように私の細胞にとりついた。正常に機能していた言葉たちは、ウイルスによって書き換えられ、誤作動を起こし、次々に伝播した。免疫は直ちに反応したのだが、わずかながら増殖を許してしまったらしい。

 赤いフードを目深に被った本音がやってきて、藪睨みに私を見た。もう少し腹が据わっていると思っていたよ。彼らに気に入ってもらうことなんて不可能なんだ、そんなこと大昔からわかっていたことだよ。私は弱弱しく彼女に向かって微笑んだが、まるで笑えていなかった。口角だけが耳元まで上がっただけだ。人の顔色を窺って、承認欲求に負けるからこんなことになると、歯列の中に巨大な犬歯をもつオオカミが同じように口角を広げて言い、オオカミを追っていた狩人までが、要するに特定の誰かに認めてほしかっただけだろう、本当に書きたいことを書いていなかったなと的を射る。

 狩人の矢はひゅんと飛んで、彫像のように佇んでいた言葉に背中から刺さった。張りぼての言葉はぱたりと倒れた。地面に言葉の形の影が出来て、それもやがて消えた。

 気づくと言葉たちが肘の方まで列をなしていた。

 俯き加減で、まるで葬列だ。三歩歩くと自分が何者なのかすら忘れてしまって、粛々と前の言葉に続いていく。

 彼らは私の顔をして、ここを出ていく。出ていくつもりなのだろうが、出ていく理由を忘れているだろう。さっきまであれほどに喧しかったのに、喧騒は残照に溶けて今は静寂の中に足音だけが響いている。私はほっとしたが、安堵の奥には寂寥も潜んでいる。

 私はその空疎な寂寥を、そっと眺めた。

 そして、いずれ来る新たな言葉を待つことにした。

 私には結局、それしかできなかった。

 それしかできないと、知った。

次の話

※ 春ピリカ応募作品「ソンカラク」の前章です。投稿が前後しました。


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