創作大賞感想【なんのはなしですか。/蒔倉みのむし】
偉業、と言う言葉しか思い浮かばない。
この小説に、ネタバレ、というものはない。そのため、いつも最初につける「前半ネタバレ無し、後半ネタバレあり」という文言はつけていない。
この小説は、リアルタイムで路地裏を追う、空想ルポルタージュ小説である。noteに実在する人物をフィクションに落とし込んだ、メタフィクション(※1)だ。
読んでいる間ずっと『プロジェクトX』の「ヘッドライト・テールライト」が頭の中に流れていた。
なぜエンディング曲。
そう。間違っていない。
これは「なんのはなしですか」、の話なのだ。
『羊をめぐる冒険』、ではなくて「なんのはなしですかをめぐる冒険」なのだ。
第一話が投稿された時、私はその結末をとても予想できなかった。
「胴上げはできないけど、話になら上げられる」。
まるで「かき氷始めました」みたいな感じで始まった小説が、まさか、まさかあんな超大作になるなんて。
まあ、私はいつも「まさかあれがあんなことに」ばかり言っているのだが。
この作品は、そもそも「コニシ木の子」さんが3年前に「なんのはなしですか」を自分の記事にタグとしてつけ、それが広まったらいいな、と願い、言い続けたことが発端になっている。
胸が熱くなる詳細は、この記事に収められている。
———久しぶりに見たらこの記事のスキ数もコニシさんのフォロワー数もものすごいことになっていた。
コニシさん・・・
いまや光輝く姿が遠ざかっていくのを見送る心境だ。もう、知った風な顔をして近づくことはできないのかもしれない。でもオバサンだからずけずけ言うよね、「次の読書会は9月ですよ」とね・・・
というわけでコニシさんは3年間、こつこつと「#なんのはなしですか」を刻印あるいは落款としてつけ続け、今年になってにわかに「バズった」。
あれよあれよという間にそのタグは広まり、いまやnoteの創作界隈を侵食する勢いである。
コニシさんは、当時そのタグを「流行らせよう」とものすごい努力をしていた、というわけではない。「広がったらいいな」「流行ったらいいな」と思いながら、淡々とそのタグを記事につけ続けていた。
この状況になるまでの間に、その言葉に反応した人はいた。しかし、今のような状況になることはなかった。駄菓子菓子、コニシさんは幸運の女神の前髪をつかむタイミングを間違えなかった。蒔倉さんがこのような壮大な小説を書くほどの「大流行」になった最大の要因は、コニシさんの「今だ!!」という「波に乗る力」、その時に怒涛の勢いで彼の持つ「編集力」が発揮されたからだ、と思っている。魔法の言葉の力、それもある。でも、それを「活かす力」、「タイミングに乗る力」、「持っていた才能を活かす力」というものは、おのずから彼が持っていたものだと思う。
「なんのはなしですか」を使用することによって、「おおすごい!これなら書けるぞ」と、これまで「書くこと」「投稿すること」に尻込みしていた人々が、自信をもって記事を書き、投稿することができるようになった。しかもそれを、コニシさんが丁寧に読み、マガジンに収め、そのことによってまた多くの人に記事が読まれ、フォローの連鎖が広がり、スパイラル状の上昇気流が生まれた。一大ムーブメントを作り出したのだ。
その姿を見て、いてもたってもいられなくなった人々がいる。
その一人が、まさしくこの小説を書いた蒔倉さんだ。
「なんのはなしですか」に魅了された人々が集まる場所を「路地裏」と表現したのは、当のコニシさんである。
いつでも表通りに戻れるように、と注意喚起し続けたコニシさんだったが、路地裏にはいまなお、新たな住民がどんどん集まり続けている。
もう一人では限界なので、回収は続けるがいったん終了、とコニシさんが宣言しても、もうその増殖は止められそうもない。そしてそれは、コニシさんの目論見通りである。
蒔倉さんの小説のことを語るのに、どうしてもコニシさんのことを書く必要があったため、長々とコニシさんについての説明が続いてしまったが、「なんのはなしですか。」の小説に関する本筋はこれからである。
蒔倉さんが、住人の増え続ける路地裏で迷子にならないように地図が必要だ、と考えたのかどうか、私はわからない。でも、この路地裏ってどんなところなんだろう、ということをリアルタイムに描き出したい、という欲求があったのは、間違いないのでは、と思う。
路地裏はいつも変化していく。
だからこそ、リアタイでルポ、あるいは実況をしたい。
その思いが、この小説になったのだ、と思っている。
良い小説は、冒頭を読めばわかる、と太宰が言ったか言わなかったか。とにかく路地裏の裏さびれたような店が活況を呈している理由はなんらかの中毒患者が集っているからである、と睨んで『見つけ次第消す課』通称『ミッケ』の捜査官、榎本が動き出すところから物語が始まる。もう、のっけからその「課」『ミッケ』がどこの何の組織なのかわからない。最初から「なんのはなしですか」が全開フルスロットルだ。
架空の人物、架空の路地裏、架空の店。そこに集まる人々。
しかしその舞台は「note」であり、出てくる人々を私たちはよく知っていて、知らなくてもすぐにnote上で探し出すことができる。
不思議な世界に連れていかれた私たちは、私たち自身が、そこで『ミッケ』の榎本と後輩の宮下の捜査の対象となる、というねじれた構図に出会う。
蒔倉さんの、まず案内人として自分を登場させ、「なんのはなしですか」の起爆となった人々の、入念な下調べと詳細な人物像を話の中に埋め込んでいく手腕がすごい。
小説の中に違和感なく登場するためには、やはりある程度登場する人物は絞られてしまうが、総勢23名がリストアップされる。
まさか自分の名前が出てくると思っていなかった人々は驚愕して震えたことだろう。私も震えた。喜びでなのか恐怖でなのかわからない。なかには、自分の名が出てこなかったことに落胆した人もいたかもしれない。でもそれは単に「なんのはなしですか」のごく初期の爆発に関わっていなかったに過ぎない。路地裏の活況になによりも重要なのは、そこに住み、盛り上げた人々なのである。
現実にnoteに存在する人を登場させる、ということは、とても難しいことだと思うが、蒔倉さんはその人物のnoteを詳細に読み込むことで、うまい具合に小説の中にそれを表現している。というよりも、あれだけの情報を盛り込んでこれほど見事に「小説」として完成させられるというのは、とんでもない力量である、と思う。
最終話では、どうしてこうなった?と詰め寄る榎本と宮下にコニシさん自身が「コニシキノコイズム」を語る場面が出てくる。
私はそこに、すべてが詰め込まれていると思った。
コニシさんの思い、願いを、蒔倉さんほどしっかりと受け止め、伝導している存在はいないと思う。
今は創作大賞の小説を読みまくっていて長編は大変だ、と思われるかもしれないが、コニシさんの熱い祈りと願い、つまり「コニシキノコイズム」のすべてが描かれている最終回を、最終回だけでも、みなさんに読んでいただきたい、と切に願う。
歌詞全文を載せたいくらいなのだが、著作権の関係上、一部抜粋にとどめた。
この物語に、この歌を贈りたい、と思う。そして、万感の思いを込めて汽笛を鳴らしつつ言わせていただく。
なんのはなしですか
と。
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