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神隠し #シロクマ文芸部

 銀河売りだよ銀河売り銀河はいらんかね。
 店先で棒手振ぼてふりが声を張り上げたんでございます。へぇ、なんとも奇天烈きてれつな棒手振りでして、担いだ天秤棒なんか荷が入ってねぇんじゃねぇか、ってくらいに軽そうに右に左に揺れてるんで。身なりもそんじょそこらじゃ見ねぇ面妖ななりだ。あっしはすぐに見抜いたんだ、こいつは怪しいもんにちげぇねぇ、御用だお縄だッてんですぐに番頭さんに言って番頭さんが小僧に親分さんを呼びに行かせたんで。はあ。あっしは職人でございやす。へぇ、そこの伊勢屋の三軒ばかり隣の小間物問屋に細工を納めておりやして、へぇ。いやなにすぐに目明しと同心の旦那がおいでに。銀河?さぁ、新しい菓子ですかぃ。あっしは食ったことはありませんな。


 さよう、いかにもその棒手振は奇妙であった。異人のようななりだが絵草紙でも見たことがない。歌舞伎役者のような風体でもない。小間物問屋の番頭の使わした小僧に呼ばれた御用聞きが、言葉は通じるのだがどうにも解せぬ手に負えぬと同心を呼び、同心も埒が明かぬと見てついに与力の出番と相成った。
 くだんの棒手振は妙に落ち着き払って小間物問屋の隣の茶店の赤い傘の下でお茶なんぞを啜っている。茶店の娘が助けを求めるように何とも言えぬ流し目を送ってきた。周りには既に人垣があり皆口々におかしれぇだの物狂いだの言い合っている。
 俸手振に近づくとなにやら異様な感じがして怖気おぞけを震うようだったが、綺羅きらな身なりから身分もわからないので卒爾そつじながらと声をかけ、所属と名を名乗り、相手の出身と名を尋ねた。
 棒手振は何か答えたが、その声はどこか遠いところから聞こえるようで、不思議な響きがあった。与力には棒手振の言葉がうまく聞き取れなかった。

 「丁銀ちょうぎんをばらまいているというがまことか」と問うと、棒手振はいかにも心外という顔をして、光る石のついた耳の後ろを触ると、急にはっきりとした言葉でこういった。
 「銀河。銀河を売ってるの、僕は」
 「なに。銀貨ではないのか。銀河とは銀河草紙のことか。夜の星のことか。天の川か」
 「僕はいろいろな土地をめぐって旅をしながら、銀河を売っているんだよ。この土地もこの時代ならそろそろ一般人でも大丈夫かなと思ったんだけど」
 「おのれ、愚弄するとはけしからぬ。星など売れるものではない。れ者が。引っ立てるぞ」
 棒手振の言葉の意味が解らず苛立った与力は、十手じってではなく大小の脇差のつかに手が伸びかけた。
 「まあまあ。あなた御家人さん?粋ないでたちだねぇ、なかなかの家の出のようだ、それならわかるかもしれないねぇ。これはねぇ、お買い得だよ。いまのうちに買っておくのがいいと思うね。これから地球はあまりいい方向に向かわないんだ。産業革命も起っちゃったからねぇ。この国だってあと五十年もするとねぇ、いろいろ変わってくるからね、買っといたほうがいい代物シロモノさ。まあ、いろんな使い道があるからね、左はやり直し、右は知恵と知識。さあて、どっちがいいかねぇ」
 そういうと棒手振は足元に置いてある天秤棒を少し引いて、両脇にぶら下げられた木箱の左を選んで蓋を取った。

 与力は中を覗いてくらりとした。まるで吸い込まれそうな夜がその中にあった。深淵のような闇の中に、いくつもの渦が輝きながらくるくると金魚のように揺れ動いている。
 なんだこれは、と思ったが、喉仏のどぼとけが生き物のように動いただけで与力は声が出なかった。天文方を呼ぶか、引っ立てて奉行所に連れていくべきだったが、かれはすでに魅入られたようにそこから目が離せなくなっていた。
「いろいろな時代の、いろいろな土地を歩いたよ。アリストテレスくんとコペルニクスくん、ガリレオくんなんてがっついてたよね。この時代の天文方は誰かな。高橋くんかな。この国の天文学は世襲なんでしょう。僕は渋川さんに会ったことがあるよ。ああ、安井くんって名乗っていた時代にも会ってるんだ。同じ人に何度も会うことだってあるんだよ。あ、伊能くんとはこの間会ったんだよ、興味津々だったなぁ。僕はね、この価値を理解できる人に売るんだ。でもお金じゃないんだよ。わかるかな」
 与力はぶるぶる震えた。なぜだかわからないがこれが欲しくてたまらない。どう使うのかも、食べるものなのかも、なにもわからないのに身震いするほど欲しかった。
「なぜだろうね。価値がわからないのに魅入られてしまう人もいるんだよ。そうなるともう、僕の力では引きはがすことなんてできないんだ。残念だな。あなたはそのひとりだったみたいだ」
 棒手振は両手で木箱をゆすった。その拍子にそばに立って一心不乱にのぞき込んでいた与力はからだが強い力で木箱に吸い寄せられるのを感じた。感じたと思ったら、深い井戸のようなそれに落ちる、と思った。思ったらもう落ちていた。
 茶屋の娘はひッとひきつった息を呑み、野次馬はあんぐりと口を開けた。同心や目明しの十手持ちたちも、なすすべもなく唖然として立ち尽くした。何が起こったか誰も何もわからなかった。

 与力は消えた。

「さ。休んだからそろそろ行こうかな。ごちそうさん。ここに置くよ」
 棒手振は懐から四文を出すと茶店の赤い敷物の上に置いた。そして、あっしまった団子も食べればよかったなと言いながら、何事もなかったかのように天秤棒を担いだ。


 り物が見られると聞いて茶店の周りにいたんですが、はっと我に返りましてね、早々に店に戻りましたよと小間物問屋の主が言った。恰幅の良い五十路いそじの男だ。月代さかやきはもう剃る必要もない。
 茶店の赤い傘の下には娘がひとり倒れていた。赤い敷物の上には銭が散らばって転がっていた。たまたま隣にいた町医者がのぼせであろうと近づいて介抱している。なんだ見世物じゃあねぇぜと茶店の用心棒気取りの浪人がいい、皆それぞれ首を傾げながら散っていった。
 ええ、あたくしも何がなんだか。気がついたら店の周りに集まっていたんですが、ええ?棒手振が店の前を通らなかったか、ですって?さあ、番頭ならなにか存じ上げることもあるかもわかりませんが。
 それよりも一大事。なんでも与力の旦那が急に姿が見えなくなったそうでございます。同心がうつけのようになって俸手振とか銀河とかわけのわからないことを口走り、お奉行が血眼になって探させているそうで。まったく異なことでございますな。神隠しみたいなものでございましょうか、最近は江戸も怪異が流行っておるようですし、先だっては社に雷が落ちたって言うじゃァありませんか。

 触らぬ神に祟りなしと申しますな。
 くわばらくわばら。


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