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2023-07-11、ありがとうノエル

今日7月11日はノエルの7歳の誕生日…でした。
残念ながら、ノエルは先週の7月5日にリンパ腫により他界しました。

彼は大きなフワフワの衣を脱いで旅立ってしまいました。

5月、急に食事をしなくなり、検査でリンパ腫が見つかり小腸癌が発覚。
2時間半に及ぶ手術をして抗がん剤による治療を行っていましたが
手術から1ヶ月と1週間の闘病生活の後、亡くなりました。

2016年7月11日生まれのノエル。
6年11ヶ月24日、2550日 の生涯でした。

ブリーダーさんからお迎えして家族になったのが2016年12月11日。
彼とはおよそ2397日の時間を一緒に過ごしたことになります。

2016年11月27日
ブリーダーさんのお家にて
まだ名前が無かった頃のノエル
これが出会った日だった

ノルウェージャン・フォレストキャットの男の子。
ノエルは猫種からすると比較的小柄だったとはいえ
一般的な猫よりも大きな体と立派な毛皮を持っていました。
とても優しくて穏やかな性格で、好奇心と理性を持ち合わせた子でした。

そんなノエルは僕の弟であり子供であり、親友でもあり、家族でした。

目覚めたら挨拶し、食事をし、見送ってもらう。
「お留守番よろしくね、涼しいところ(温かいところ)で寝なよ?」
「帰ってきたら撫で撫でしようね」「いい子にしててね、行ってきます」
いつも撫でながらこの言葉をかけて出かけていました。

帰宅したら出迎えてもらって、部屋の入り口で声を上げるノエルに挨拶し
「お留守番ありがとう、寂しかったね、ご苦労さま」と労い、食事をし、
遊び、撫で回して一緒に過ごし、お互いの癒しとなって共に眠りにつく。
本当に人と何も変わらない付き合い。

僕は彼を猫としてでなく、一個人と接するように付き合っていたので
よく話しかけていたものです。
(これは自論ですが、人が猫の言葉を理解出来ないだけで、猫は人の言葉を理解していると思います)
ノエルは、話せばちゃんと向き合ってくれました。
心が繋がるという感覚がちゃんとありました。
だから普通に会話するように言葉で接していました。

インドア派の僕は休日も自宅で過ごすことが多く、普段から在宅での仕事もあったりで
そんなふうに家の中で彼との時間を過ごすのが僕の日常でした。

ノエルはいつも僕のそばにいてくれました。
寂しがり屋のノエル。
いや、僕が寂しがり屋なのかもしれない。
だからノエルが近くにいてくれたのかもしれないね。

仕事で色々あり、鬱状態になった時にも寄り添ってくれました。
扁桃炎で40度近い熱に数日うなされた時も、彼はそっとベッドに来てくれました。
インフルエンザで苦しんだ時も、布団に入ってじっと添い寝をしてくれました。

遊ぶ時、僕の手が近いと爪を出さずに遊ぶ気配り上手な子でした。
興奮してうっかり爪が当たってしまうと、しょんぼりと申し訳無さそうにするくらい。
シーツや布の下に手を入れて遊ぶ時は、匂いを嗅いで僕の手だと分かると爪を出さない。
噛むそぶりをしつつ、甘噛み。
遊んでもらったのは僕だったのかもしれないね。
気遣いが優しくて感動したものです。

外から虫が入ってくると、ジーっと観察。
フンフンと匂いを嗅いでモフモフの手でちょんちょんと触る。
虫にまで優しいノエルを横で見て感心しました。

来客の時は最初は怖がって隠れるけど、すぐに好奇心から出てきて
客人とも打ち解けて、スリスリとおもてなし出来る優しい子。

食事の時はテーブルに登りたい気持ちを堪えて我慢し、食事が終わってから
上がってくるような律儀な子でした。

男の子らしいイタズラっ子な側面もあったけれど、何をしてはいけないのかが分かっている、とてもお利口さんでした。
時々やらかしてしまい、しょんぼりと反省する姿は微笑ましかった。

撫でられるのが好きで、僕の膝の上が大好きだったね。
撫でている間、ゴロゴロと喉を鳴らしながらずっとニッコリと幸せな顔を
いつも見せてくれたノエル。
嬉しそうに目を細めるノエルをずっと撫でていたかったよ。
撫でてるうちに寝てしまったりっていうこともあったね。
一緒にうたた寝もしたね。

風呂上がりには脱衣所に入ってきて、洗いたての身体にスリスリと
自分の匂いを付けながら「撫でて」とお腹見せてゴロンしていたよね。

無条件の、たくさんの愛を僕にくれたね。
愛し愛され、心の交流をいつも感じていたよ。
いつもいつも、なんていい子なんだろうと思っていたよ。
いつも「いい子だねノエル」「ノエルいい子」と言ってました。
小さい頃から「ノエル、元気で長生きしてね」と。

でも、ノエルは7歳を目前に病死してしまいました。
室内飼いの猫の平均寿命は12から18歳とされています。
猫の7歳は人間で換算すればおよそ40歳ほど。
ちょうど僕と同い年くらいでの病死です。若年性の癌だと思います。

悔しい。
きっとノエルも悔しいと思っているはず。
もっと生きたかっただろうに。申し訳ない。
ずっと一緒にいたのに病気に気付けず、ごめんね。

優しくて穏やかなノエルが、どんなお爺ちゃん猫になるのかなって。
とても楽しみだったけれど残念ながら叶わなかったな。
きっとおっとりして優しくて大きなモフ爺さんになってただろうね。

闘病中、僕は休職状態で、ほとんど付きっきりで看病をしていました。
術後しばらくは元気な姿を見せてくれていたので、今思えばロスタイム、
言わば執行猶予の時間を与えてくれたのかなと思います。

猫のリンパ腫は様々な種類があるそうですが、何れにせよリンパ腫の予後は
良くなく、長く生きられる可能性はとても少ないそうです。
場所や状態、早期発見か否か、抗がん剤との相性など色々あるらしいけど
早い子なら手術から抜糸までの1週間すら持たないケースもあるとのこと。
長く生きられても数ヶ月、奇跡的に数年、というのが猫のリンパ腫だそうで
かなり進行していた小腸癌だったのにノエルは頑張ったと思います。

もし訳も分からずあのまま亡くなっていたら。
僕はきっとあることないことを想像して
もっとたくさん後悔していただろうと思います。
僕には、それすらノエルの優しさのように感じてしまいます。

僕は病気に気付いてあげられなかった事をとても後悔しています。
毎年、誕生月には健康診断を受けていたし、何か体調不良があれば
すぐ医者に連れて行ってました。
それでもご飯を食べなくなるまで何故気付いてあげられなかったのかと。

食べなくなってからは一気に痩せていきましたが、それまでは思い返しても
思い当たる事もなく。
写真や動画で確認してもふっくら、フカフカしてるしご飯も食べてました。
リンパ腫で手術しても、最後の最期まで嘔吐はしなかった。
下痢もせず、いつもの便秘気味。
もしかして慢性的な便秘だったから?…もはや分からないけれど。

猫は本当に病気を隠しがちなんですね。
出来れば分かりやすくして欲しかったな…。
もしかしたら「お腹痛いよ」って言ってたのかもしれないな…。
僕が聞いてあげられなかっただけかもしれないな。
今更何を言っても遅いけれど。

それでも病気が分かって、できる限りのことをしようとしました。
検査が必要なら大きな医療センターに行きCTを撮りました。
最寄りの病院では手術が出来ないと言われ、セカンドオピニオンを探し
車で通院して入院しました。

術後は毎週の抗がん剤もあり、体調によっては週2回通院したり。
徐々に痩せて弱っていく彼を介護するのは精神的に辛い日々でしたが
どうにか生きようと頑張る彼に、最期まで付き合うと約束し涙を飲みながら
投薬や食事などを毎日行っていました。
飲み辛い錠剤は砕いて小さなカプセルに入れ、1つずつ飲ませていました。

ご飯も自力で食べようとしなくなってからは、ペースト状の療養食に粉末にしたカリカリを加えて粘度調整し、指で口に入れたりして食べさせていました。
僕の指を噛みそうになって嫌だったろうけど、食べないと…と。
涙を流して謝りながら、ご飯を与えて食べられたら褒めて、ありがとうと言ってました。

僕にずっと寄り添ってくれたノエル。
恩返しじゃないけれど、僕が寄り添う他にないだろうと。

趣味も仕事も、いつもそばにいたノエル

生き物は最期まで生きようとするでしょう。
人間はややこしい知性があるので生を迷ったり自死したりする。
動物にとって死は最期に到達した結果であり自ら死を選ぶ事は有り得ない。
そもそも死という選択肢はありません。
ならば、生きる以外の道は無いだろうと思いました…。

ノエルもとても苦しかったと思います。
苦しそうに呼吸をするノエルを毎日見るのは辛かった。
物音に目覚めたり途切れ途切れで仮眠する毎日、起きて先ずはノエルの生存確認。
心がバラバラに引き裂かれる思いでしたがノエルが生きているのが確認出来るとホッとしていました。

賢明に生きようと頑張る姿を見せながら、苦しそうなノエルに付き添っていて
少しでも出来る事はないかと心配で、ずっと同じ空間で過ごしました。
寝具をリビングに置いて、寝泊まりも作業も共にしました。

通院して胸水を抜いたりしてもまた溜まってしまい、
腹水やリンパの腫れで肺が圧迫されていく…。
そんなノエルの呼吸が少しでも楽になればと酸素発生器も導入しました。

足腰が立たなくなり毛づくろいが出来なくなれば、ブラシと濡れタオルや
ペット用品のクリーナーで綺麗にしてあげました。
猫は綺麗好きな生き物ですから、ケアしないときっと気にするだろうと。
ブラシの先端が骨に当たり、タオルで拭いたり撫でてる最中に、
すっかり痩せてしまった身体に触れては、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
きっと通院もストレスだったろうね。ごめんね。

それでもノエルは頑張って生きようとしていた。
猫は強いなって思いました。
亡くなる前の晩も自力でトイレに行ってちゃんとオシッコをしました。
猫の高貴さを見せられました。
キラキラと輝くエメラルドグリーンのノエルの目を見ては
僕が折れてしまってはいけないだろうと思いました。

最後の数時間。
事切れるまで、ノエルは何度も呼吸が止まりそうになっては
また戻り、というのを気力でやっていたように思います。
暴れるように動いた時は膝の上で抱いたら少し落ち着いてくれました。
これが最後の抱っこ、ノエルの好きな膝の上だよって思いながら。
ただただ励ますしか出来なかった。見守るしか出来なかった。

そして。
いつもやっていたようにフワフワの白い手を握りながら、
ノエルの最期を看取りました。
呼吸が止まって身体を縮こませ、横たわったまま最後に僕を横目で見たんです。
そして瞳孔がゆっくり開いていきました。
ノエルが息絶えたのを目の当たりにしました。
ああ、ノエルが死んでしまったと。
僕は今までの人生で最もどうしようもない悲しみに暮れ、泣き喚きました。

冷たく固くなっても、ノエルの立派な毛並みはフワフワしていました。
最後にもう一度、綺麗に拭いてあげて、遺髪と足跡をスタンプで取り
保冷剤で冷やしながら花束と共に箱に収めました。

夜、何度も箱を開けては撫で、その感触を手に染み込ませ、ノエルの姿を目に焼き付けました。
悲しくて寂しくて、涙が止まらなかった。

でも、ずっと苦しそうだったノエル。
たぶん睡眠も碌に出来なかったはず。
やっとゆっくり眠れて良かったとも思いました。
かつてのように穏やかな表情で眠るノエルを見て、ようやく苦しくなくなったんだとも感じました。
あまりに綺麗で穏やかな寝姿に、お腹が呼吸で上下してるような錯覚すらしました…。

翌日、火葬して骨を拾い、空に旅立ったノエルを想って散々泣きました。
いくら泣いても泣いても足りない、今もそんな気分ではあります。

大きな優しいモフモフさんは、今は小さく硬い骨壷に収まっています。

家の中、どこを見てもノエルの痕跡だらけ。
どのドアを閉めておくか、何をどこに置くか、デザートはノエルもつまみ食いできそうか。
帰宅時間や出掛ける予定も、自然と全てがノエルを基準にしていたんだなと感じます。

でも本人はもういない。
足元にずっとあった気配が消えてしまいました。
骨壷に挨拶しても、返ってくる瞬きはありません。

部屋を移動する時は足元をつい見てしまう。
ドアを開ける時は、そこにいないかと視線が床に落ちてしまう。
ちょっとした物音がノエルの足音に聞こえてしまう。

階段からひょこっと顔を出して、トコトコと降りてきそうに思えてしまう。
目が覚めたら横で寝てるんじゃないか。
大好きな出窓のカーテンを開けたらそこで日向ぼっこしてるんじゃないか。

…でも世界中を探しても、もうどこにもいない。
仮に宇宙の果てまで探したとしても、ノエルはもういないんですよね。
所々の爪痕と、たくさんの抜け毛を残して消えてしまったように感じます。
とてもとても寂しいです。

看取って骨まで拾ったのだから頭では理解しています。
でも感覚が追いつきません。心がついてこない。
彼のいた日常が、彼のいない日常で上書きされていくのが淋しいです。

彼の写真や動画がものすごくたくさんあります。
僕はカメラが趣味なので1000や2000じゃ収まりません…。
ブリーダーさんのところで初めて会った、まだ名前のなかった仔猫の頃から
骨壷に収まってしまうまで。
日常的にスマホとカメラで撮影していたので数やデータ量がものすごい。
古いHDDや端末も含めて把握しきれない量で整理が大変です。

でも、それ以上の、たくさんの思い出が心の中にはあります。
約7年の間にノエルと過ごした時間の積み重ねがあります。
彼の暖かいフワフワの感触は、まだ僕の手に残っています。

看取る時も火葬の時も、何度も何度も「ありがとう」と言いました。
言っても言っても全然足りない気がします。
でも、本当にありがとう。

もし虹の橋の袂にいるのなら、僕が行くまで待っててくれるかな。
もし待てないならまた毛皮を着替えて会いに来てね。

ありがとう、ノエル。
僕のところに来てくれて本当にありがとう。
僕と出会ってくれて、ありがとう。
たくさんの愛情と幸せな時間をありがとう。
ノエルありがとう。

ノエル、大好きだよ。
また会おう、必ずね。
その日まで、行ってらっしゃい。
またね。


話しかければ、いつもじっと聞いてくれました


2016年12月11日、生後5ヶ月のノエル
お迎えした日の夜の写真
脚を伸ばせば80cmほどある大きな体


幼い頃は耳毛が長かったね


ハンモックもお気に入り


食事が終わるまではテーブルに上がらない


下の階で作業や洗濯をしていると、
いつも見に来てくれたね


爪とぎはタワーだけでするお利口さん


ノエルの優しい性格は
柔らかな表情によく出ていたと思います


写真をここへ追加で増やすか、別記事にするか迷っています。
グリーフケア、ペットロスの気持ちの整理も含めて
今後どうするか決めたいと思います。
こうやってノエルを想って書く事も、一つの想いの形だろうと思います。

2023-10-12追記
ノエルの記事をマガジンとしてまとめてみることにしました。
現時点ではまだ2つしかありませんが…
今後、月命日を目安にノエルについて書こうと思います。
https://note.com/yoshihiro_y/m/m15df6bad9bcb

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