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『夢』というのは、厄介なものである。

物語と書いて“しごと”と読む。

その心は、仕事…つまり働くことは“人生”であり、人生は物語であるということ。ひとの人生物語の中で仕事は大きな意味を持っています。

ここで言う仕事や“はたらく”とは、会社勤めの人の日常業務だけのことを指しているのではありません。

“はたらく”の語源は「傍(はた)を楽(らく)にすること」とも言われているように、誰かのためを思って活動したことはすべて、“はたらく”ことなんだと思います。

そんな"はたらく"ことについて、長期間の育休をとって職場から離れたことをきっかけに深く見つめ直そうとしています。

近況を少し

僕は二十歳で高専というやや特殊な学校を卒業してから社会に出ました。かれこれ十数年の会社員人生を歩んでいます(歳がバレますね)。そして今、娘を授かったことを機に8ヶ月間の育休を取得して職場を離れています。

娘の育休は予定通りですが、新型コロナの大流行は全くの予想外でした。図らずも全国…いや世界中の多くの人が働くことを控えなきゃいけなくなる時期に、僕は予定通りの長期育休に突入しました。

そんな育休生活が始まって4ヶ月が過ぎようとしている今、「育休中にこれからの働き方をしっかり考えたい」と考えていました。

そんなことを思ってスタートした育休序盤は、慣れない育児に40度近い熱を出して倒れたり、3歳の長男の赤ちゃん返りに疲労困憊して身体中筋肉痛でほとんど動けなかったり・・・という状況で、とてもじゃないけど「これからのこと」を考える余裕などありませんでした。

育休3ヶ月を過ぎてようやく身体が馴染んできて、4ヶ月目に入った頃には、新型コロナの第一波が少し落ち着いた(ように見えた)こともあって、「これからのこと」を考える余裕が少しだけ出てきました。

そんな今、これからの働き方をしっかり考えるために、こうやってマガジンに想いを書き出そうと・・・いや吐き出そうとしています。

今日は、マガジン本編最初の記事といことで、働くことについて最初に考え始めた、少年時代の「あこがれの仕事」について振り返って書いてみたいと思います。

結果として、現在は少年の頃の夢は叶っていないのだけど、やっぱりいつかは実現したい…!と心のどこかで思っていたりするから、夢というのは厄介だなぁと思う。

まだマガジンの本編をまったく書いてないのにも関わらず、昨日の導入部の記事を読んで買ってくださった方がいらっしゃいました…!なんと言っていいか…本当に嬉しいです。買ってよかったと思ってもらえるように書きたいです。

建築家を夢見た少年

以前に建築家を志したきっかけをnoteに書いてみたことがありました。

なぜか定規で線を引くことに快感を覚えたり(笑)、模型作りなんかも好きな少年時代でした。そんな自分の特性と、高校進学の進路を真剣に考えた時、建築の道を志したいと思ったのでした。

小・中学生の頃は建築の道を夢見ていたのですが、結局進学したのは工業高等専門学校(いわゆる高専)の材料科学という分野でした。

中学の頃はそこそこ成績がよかった僕を、担任のS先生は「高専に推薦してやる!材料の道へ進んで建築材料の勉強して、大学へ編入すればいい!その方がいい!」と勧めてくれたのでした。(近所の高専には建築学科が無かった)

それが本心だったかどうかはわかりません。たとえ本心でない“大人の事情”だったとしても、僕の将来を思って高専への進学を後押ししてくれたS先生には感謝しています。

・・・が、結果として、高専へ進学することは建築の道を諦めることにつながりました。

諦めたのは他でもない自分なので、誰を責めるわけでもありません。でも高専での生活が始まった当初は、「S先生!言ってたことと全然違うじゃないか!」とちょっと遅めのプチ反抗期だったかもしれません。

材料科学の分野は、建築とはまったくの異分野です。そんな業界模様をまったくリサーチできていなかった中学生当時の自分って・・・いや、中学生にそんなことわかるわけないだろう、とも思うけど、何れにしても、「選択を誤った」としばらく思っている自分が当時はいました。

僕がいちばんやりたかった仕事は建築の仕事。一級建築士になって、自分や周りのみんなの家の図面を描いて、それを実際に形にする仕事。そんな仕事に憧れを抱いていたのでした。

でも、どうやらそれを実現するには、また一から学びなおさなきゃいけない・・・そんなことを思うと、勉強好きとまで言えない僕は「こりゃ無理だ・・・」と諦めの境地へと入っていきます。

ならば、二番目、三番目にやりたい職業に就けばいい、とそこで思考を転換します。意外とあっさり。一番やりたい事を職業にしたら、きっと嫌になってしまう。一番は趣味で好きなようにやり続けて、二番目か三番目にやりたいと思う事を職業にしよう。うん、そうしよう。

そんな考えで、僕は研究者という道を歩むことになります。研究者なんて言うと聞こえがいいのですが、僕は博士号を取得しているわけでもなく(ましてや大卒資格もない)、ただ企業研究所にうまく入社できた、と言うだけの話です。

今でも志は捨ててない?

材料科学の分野で研究の仕事をして十数年が経ちました。すっかりこの仕事に“染まっている”とも言えるかもしれませんが、実は少年時代に夢見た志を完全に捨てきれていなかったりもします。

これだから夢というのは厄介だなぁ・・・なんて思ったりもするのですが。

今は当然、建築の図面を引くことはないのだけれど、機械部品の図面を引くことはあります。独自の研究ツールを作るために、自分で図面を引いて部材を作って組み立てて実験して・・・

それは今の仕事のほんのほんの一部に過ぎませんが、そのプロセスがすごくワクワクします。そこの部分だけずっとやってたいくらい(笑)

もちろんそれじゃ成果にならないのでちゃんと成果につながる他のプロセスも“こなしている”わけですが、やっぱり子供の頃から好きなことって、大人になっても全然変わらないんだなぁと、十数年働いてみても思うのです。

就職してから十数年の間に、建築の道へ戻ろうかと実は何度も考えました。そして今も考えることがあります。

今の会社の人にはとても言えないけれど、建築の夜学コースがある大学の資料を取り寄せたりして、夜な夜な眺める日もありました。

やりたい!と思ったけどやらずに終わっていくことって、ずーっと後悔があるのかもしれません。

よく、「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」なんて言いますが、それはその通りなのかもしれませんね。

マイホーム建築を機にふつふつと思い出した自分の夢

そんな少年の頃の夢を、最近またふつふつと思い出しています。だからこんな記事を書いてるのですが。それは、マイホームを建てることになったから。

僕がいちばんやりたかったこと。それは、自分の家を自分で設計すること。建築家だからできることです。

でも、建築家にならなくても、近いことはできていたりします。自分で間取り図を描いて、3Dモデルを作って・・・なんてやってると、自分が建築家にでもなったかのような気分で。

こんな楽しい時間はありません。こんな幸せな時間はありません。なんたって、僕がずーっと昔からやりたかったことだから。

我が家のマイホーム建築をお願いしているのは、地方の小さな工務店さんです。その店ならではの独自のスタイルは持ちながらも、我が家のわがままに付き合ってくれる工務店さんです。

僕は建築家になりたかっただけで専門知識はほとんどありません。だから、工務店の社長(一級建築士)と相談しながら自分で間取り図を描き、工務店さんに図面に起こしてもらって・・・という事をやっています。

「3Dモデルまで自分で作って持って来るヤツはいない」と言われながらも、家を作ることが好きなもの同士、楽しくやってる感じです。

間取り図描くだけじゃなくて他のプロセスも自分でやれたらどんなに楽しいだろう・・・そんな事を思いながら、でもできない部分はお任せしながら、家づくりを少しずつ進めています。

そんなことをやりながら、自分がかつて志した道をふつふつと思い出したのでした。

その仕事は自分のため?誰かのため?

仕事のどの部分で喜びを感じるか。それは人によってそれぞれだと思います。誰かのためを思って何かを成し遂げることに喜びを感じる人もいれば、自分のスキルが上がったり名声が得られることに喜びを感じる人もいます。

どちらの人もいていいですが、自分はどっちか?と聞かれると、どちらかと言えば誰かのために何かしたい、というタイプなんじゃないかと思うんです。

建築の仕事はどうでしょう?おそらく、というか間違いなく、誰かのために家を作ることが仕事です。建築家が自分の家を作ることは自分のためですが、それはおそらく一生に一度か二度くらいのものでしょう。

きっと“誰かのため”要素の強い仕事なんじゃないかと思います。

一方で今の研究の仕事はどうでしょうか。研究者は世界一を目指してしのぎを削っています。研究者の成果は学術論文や特許だったりするわけですが、日本で一番、世界で一番じゃなければ成果にならない世界です。

その成果をあげる目的は、もちろん人類の生活をより豊かにするためです。もっと言えば、もっと幸せになるためです。でも、一部には“世界一という名声のため”という要素もあるように思います。

世界でいちばんになりたい。それがモチベーションになって研究が前に進む。誰かの研究が一歩前に進むことで、世界中の研究者がそれを元にしてまた一歩前に進める。そういう世界です。

なんだろう。僕にはその“世界でいちばんに!”ってモチベーションがあまりなくて、どちらかと言えば身近な誰かのために仕事したいと思ってしまう。身近な誰かの役に立てる研究をすればいいんだけど、組織やらなんやらいろんなしがらみの中でうまく立ち回れないでいたりする。

ちょっと愚痴っぽくなってしまったけど、そもそも僕は企業研究所に居るから“研究者”って呼ばれちゃうけど、実際のところ自分のことを“研究者”だと思えないでいたりする。

それが最近、けっこう明確になってきている気がする。俗に言う“一流の大学”で博士号を取った人たちばかりがいるような職場で、周りと比べちゃってるのかな…やっぱり。

比べても仕方ないことは十二分に理解はしているけど、それでも結果として「自分は研究者では…ないな」というのが結論になっている。

そんなこともあって、これからどういう働き方をしていくのか?自分は何を“仕事”にしていくのか?ということをすごく考えるようになったのです。そして、こうやってnoteに想いを吐き出しています。

夢を追うか、現実を追うか。

そんなことを思いながら書いているくらいだから、やっぱり夢を追いたい!なんて心のどこかで叫んでいたりする自分がいます。

でも、二児の父となり育休中の身です。家族の生活、子供の養育費、これからの子育て環境・・・目の前には『現実』という二文字がドーンっと立ちふさがっています。

完全な異分野への転職なんて、年収がいくら下がるかわからない。そもそもこの歳で転職できるかすらわからない。だいたい、家族からなんて言われるかわからない。

それでも夢を追えるのか?そんな自問自答を、ここ数週間、ずーっと続けています。答えはいまだに出ません。

育休が終わる今年2020年末には、ちゃんと決断して再スタートを切らなきゃいけない。そんな風に思っています。中途半端な気持ちで現職に復帰してもうまく再スタートがきれないだろうと思います。

まったく、夢というのは、これだから厄介だなぁと思うのです。

でも、やらない後悔よりやった後悔を選べ。誰が言ったか知らないけどその言葉は今の僕には確かな言葉のようにも聞こえます。

まだまだ葛藤する日々は続きますが、この葛藤の時間が大事なんだと信じて、じっくりと考えていきたいなと思います。

約5,000字。最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからの働き方について徹底的に見つめ直すマガジン『物語と書いて“しごと”と読む』を1,000円で購読いただくと、合計2,000円以上の有料記事を全て読めるようになります。次回から有料記事となります。ぜひご購読いただき、一緒にこれからの働き方について考える機会にしていただければ嬉しく思います。

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これまでの仕事の経験を棚卸しし、“はたらく”について真剣に見つめ直してみる取り組みです。同じように働くことを見つめ直したいと思っている人の参考になれば幸いです。

8ヶ月間の育休中に考えるAfterコロナ時代の“はたらく”について内省し、これからの働き方戦略を考える。

お気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます!