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「夢の超特急ひかり号」が走っていたころ。

昭和43年。
ぼくは中学生になった。
校則で、男子は丸刈りで制服があった。
「夢の超特急ひかり号」が走る時代に、なんで戦争中みたいな坊主刈りをやってるんだ、そんな抵抗感もあった。
学校の先生に頬を張られたり、頭に拳骨をお見舞いされたり、もよくあった。田舎ではまだ軍国式をやっていて戦争は終わっていなかった。
丸刈りが嫌で私立へ行きたい気もあったが、我慢した。
床屋でバリカンを当てられた。
思ったよりかわいくなったので、まあいいか、ということにした。
町の中心部に中学校はあった。町に小学校は北部、中部、南部と3つあった。それぞれから集まってくるが、それでも40人クラスが4つだった。
よくわからないが選ばれてC組の学級委員長になった。
先生が、班を作るというので、机を4つくっつけて班を作った。
先生が、班の名前をつけろというので、各班は、一生懸命頭をひねって個性的な班名を考えた。ぼくの班は男子が2名、女子が2名。ぼくの提案で「スローガン」という名前にした。英語名がかっこいいと思っていた。
各班は、画用紙に班名とメンバーの名前を入れて、かっこいい標語を書くことになった。あとで教室の壁にベートーベンやチャイコフスキーの肖像画とならべて飾るのだ。
ぼくは絵を描くのが好きだったのでデザインの係になった。マジックインキを数色使って書いた。色鉛筆で色を塗ったかもしれない。
すてきなデザインとなった。標語は、「団結」みたいなことを書いたような気がする。
ぼくが他の班のデザインを偵察したあと「うちの班のデザインが一番だ」そんなことを思っていたら、先生が見回りにやってきたので、「いいでしょ」とか言って見てもらったところ、
「班名がスローガンはだめだよ。スローガンは『標語』のことでしょ」
こうして最初から書き直しになった。


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