木の香り、木の声、仏のうた (後編)
ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
第2章 華麗なる転生
彫刻作業は、叩き鑿(のみ)から彫刻刀へと進んでいく。
クスノキの香りは、仏師の工程に合わせるように柔らかくなったり、弾けたり、まるで歌うように踊るようにそこにある。
自在に変化する香りに触れるうち、「そうか、香りは木の歌なんだな」と思うようになった。
オペラのソプラノのような時もあれば、子供が歌うようだったり、囁くように漂ったりすることもある。
私たちが仕事をしている間は、たいてい線香あるいは香木を焚いていたり、匂い袋や塗香をつけているが、クスノキの声(香り)の方がはるかに大きい。
最初は「木は語ることばを持たない」と思っていたが、この大楠の枝が違うと気づかせてくれた。いや、ことばはないが、香りという豊かな声を持っているのである。
クスノキはそうして日々歌いながら、あっという間に阿弥陀如来様に生まれ変わってしまった。華麗な転生の様(さま)であった。
穏やかなお顔、豊かな衣文(えもん)、すがりたくなるような縵網相(まんもうそう)、理知に溢れる立ち姿。
一方で、その姿と引き換えにというのか、あんなに歌っていたクスノキがシンとしてしまった。顔をそばに近づけてやっとほのかに香るほどになっている。
「あぁ、あの木は本当に仏様になったのだ」
香りが雄弁に語っている、棚の埃をそうっと払いながら畏れをおぼえた。
仏像になるか、木っ端になるか
このクスノキに出会ってから、木々の香りを身近に感じるようになった。私にとって、常に寄り添い語りかけてくれる存在だ。
高知の山中で育った榧(カヤ)、台風で倒れたヒノキ、インドからやってきた白檀…それぞれの木に物語があり、特有の香りがある。
そして皆、仏像になる過程で香りで存分に歌い、そのかたわらで多くの木っ端を産み落とす。
以前、博物館で制作のデモンストレーションをした際に、見学していた人から「この木っ端も1mm違えば仏像になっていたんですよね」と言われたことがある。
その通り、同じ木でも、仏像になる部分とそうでない部分がある。
その差はごくごくわずか。
木っ端は、大きな会社などでは事業用のゴミとして処理されているそうだが、原木時代から共に過ごすと愛着も生まれるのか、捨てるに忍びない気持ちになる。
うちのような小さな事業所では木っ端の量もしれている…というか、むしろ貴重だ。
特に彫るところを見ていると、小さな木っ端も仏様と同じように尊く感じてしまう。
それで夫に木っ端を取っておいてもらって、塗香や匂い袋のレフィルと一緒にして、文香や匂い袋を作るようになった。
仏像制作時の木っ端と塗香をお守り風に包んで
イベントでお客様に差し上げることもあれば、手紙に添えたり、友人にプレゼントすることもある。
個展に来てくださった人が、再会した時に「お財布に入れてるよ!」と見せてくれた時は嬉しかった。
自宅玄関に置いて自分が楽しんでもいる。
単に良い香りだと通りすぎることもあれば、「あの仏様が生まれた時の木っ端が入っているんだなぁ」と思い出したりすると、香りが「そうだよ!」と唄い始める気がする。
木っ端と「掛香」を包んで玄関に
そういえば、香道では香りを楽しむことを「聞香」と言う。
香道はほとんど未経験なので由来は知らないけれど、香りを確かめるときは耳をすませる感覚にどことなく近い気がする。
「香りは聞こえてくるものだ」
そう教えてくれたあのクスノキは、もしかしたら前世で香道のお師匠様だったのかもしれない。
第3章 仏のうた
仏像制作という仕事柄、「香り」というと真っ先に木をイメージする。
現場で、仏像の主要な材料である木材が、大いに香りで歌っているからだ。
そして、仏像になってからも密やかに唄い続けている。そばによると香るし、古い仏像でも修理の際に、フレッシュなクスノキの香りを放つことがある。
万物に仏性があるならば、木の香りは仏様の唄ともいえる。
人生をあゆむ道のりを癒し励ましてくれる唄だ。
さぁ、阿弥陀様が、願主のお仏壇に安置される日も近い。
泣いていたあのクスノキが、今は立派に光背を背負っている。日々のお勤めを欠かさないご家庭で、末長く唄い続けるだろう。
昔から土地と共にあった木の歴史、
仏像として護り護られる木の命、
その間で語られないまま消えていった星の数ほどの物語。
これも、その中のひとつ。
吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
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