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「大したことありませんが」は謙虚ではない。悲劇の元凶である


◆「謙虚」と「自慢」は紙一重

読者の皆さんは自己紹介やアイデアを出すとき、どんなふうに伝えているだろうか。
 
かつての私は、「大したことないですが、高校大学とバレーボールをやっていてキャプテンをしていました」とか「大したことありませんが、私はこう思います」というふうに、「大したことありませんが」と枕詞(まくらことば)を使っていたことを思い出した。
 
自分では謙虚なつもりで使っていたが、今考えてみると自分を「大したことないと」と思わせておいて「俺はお前が思っている程度の人間じゃないぞ。もっとすごいんだよ!」と、結局は無意識に自慢話をしていたのかもしれない。
 
自分を良く見せたいという気持ちが心の奥底にあったのだ。なんて恥ずかしいことをしていたのか…、と後悔している。
 
ちなみに謙虚とは、自分を偉いと思わず素直に他に学ぶ気持ちがあることを指すらしい。
 

◆ノミが私に教えてくれた「人生で大事なこと」

さらに悪いことに、「大したことありませんが」と枕詞を使うことで、いつの間にか、できることしかやらない自分になっていた。
どういうことかというと、「できる自分を見せるために、挑戦しない自分」になってしまったのだ。自分を大きく見せようとしたつもりが、『天井を知ったノミ』のようになっていた。
 
簡単に『天井を知ったノミ』の話をしよう。ノミは2mmほどの体長に対し、約20㎝は飛ぶといわれている(身長170㎝の人間なら、170m。40階建てのタワーマンションほどの高さまで飛べる計算となる)。
 
そのノミに高さ5㎝のガラスの蓋をかぶせ3日間放置すると、ノミは必死にジャンプを繰り返すが、頭をすぐにガラスの天井に打ち付けるので、ガラスの蓋を外しても5センチしか飛べなくなってしまうという話だ。
 

 
かつての私はノミの話ように「大したことありませんが」というガラスのケースを自分にかぶせ、自分の可能性を制限してしまっていたのだ。なんと悲しい話…。
 

◆自分の行く手を最も阻んでいたのは、実は自分だった
 

50を過ぎた頃、リーダーとしての壁を感じてコーチングスクールの門を叩いた。
相変わらず「大したことありませんが、こんな吉田です。こんなアイデアはどうでしょうか」と自己紹介やアイデアの発表をしていた。
 
そのとき、講師の先生が「吉田さん、自分に制限を掛けるのはやめたほうがいいですよ」とアドバイスをしてくれた。そこではじめて自分の可能性に蓋をしていることに気がつくことができたのだ。
 
50を過ぎても遅すぎることはないが、もっと早くから自分で自分に制限を掛けていることに気づけば、どうなっていか。残念でたまらない。
 
しかし、それからは自分の可能性に蓋することなく、こうして読者の皆さんに役立つ記事を書き続けられるようになったことを有難く思う。
あの時、言いにくいことを言ってくれたH講師(今は社長になっている)に心から感謝したい。
 
もし、読者の皆さんが私のように自分の可能性を制限する言葉や意識を持っていたら、手放してもらいたい。
まわりの目も気にならなくなるので心が軽くなり、思い切って自分の可能性を伸ばすことができるからだ。
 

◆それは「謙虚」ではありません。賞賛を素直に受け止められなくなる間違った謙遜とは?

 
こんなことも思い出す。
「大したことありませんが」をいつも言葉にしていると、誰かから「そんなことないですよ。すごいです!」とか「素晴らしいですね!」と称賛されても、素直に喜べなくなってしまう。
 
本当は「そんなことある」のに、「そんなことない」と間違った謙遜をしてしまうのだ。
本当は素晴らしい自分なのに、それを認められないのはもったいない話。
 
素晴らしい自分を認めることができれば、自信もつくし、さらに成長できることになる。賞賛してくれた相手も喜んでくれるだろう。
 
さらに悪いことに、その影響は自分だけではない。
「奥さん、素敵な方ですね!」と褒めてくれているに、「あの愚妻が? そんなことないって。大したことありませんよ」と、言っている人もいる。
 
そんな言葉を使っていると、本当にそういう目で家に帰って奥さんを見てしまうことだって起きかねない。パートナーシップも上手くいかなくなる。
 

 
そんなときは、「ありがとうございます。妻に伝えておきます」と素直に受け取るべきである。そしてそれをパートナーに伝えれば、喜ぶこと間違いなし。
私はこれだけはできていたので、自慢しておく(笑)。
 

◆飾らない人になればいいだけ

 
私の長年の経験からすると、自分を大きく見せたいと思っても必ずバレてしまうので、ありのままを伝えたほうがよいと思っている。
 
だから逆に、必要以上に自分を貶(おとし)める必要はない。家族や友人も、「大したことがない」なんて言うべきではない。
とはいっても逆に、大きく見せるのも間違っている。
あくまでも、ありのままが大事なのだ。
 
「実はこんな私なんです。こんな失敗をしました」と話す人に、相手は好意を持つようになる。飾らない人のほうが、相手は誠実な人だと感じてくれるのだ。これこそが、真の「謙虚な人」ではないだろうか。
 
毎回、私もこの連載で記事を書くのに苦労はしているが、最終的には「今回の記事も大したもの“だ”と確信しているからこそ、読者の皆さんもしっかりと読んでくれているのだろうと思う。
 
最後に、誰もが悩みながらもなんとか生きている。それは大したこと“だ”と思う。
だから、大した人生を生きていると信じ、前を向いて生きて欲しい。それが私の願いだ。
 

 
※作家たちの電脳書斎デジタルデン 出版事業部https://digi-den.net/より転載
 
人の可能性を最大化させ、日本を再び世界のリーダーにする」という未来実現のために、全国の企業に対し「会社の未来を担う次世代リーダーを育成する」ための活動を行う。
吉田裕児の紹介ページは→ https://yoshidayuji.com

 


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