文章を書いて、嫌な記憶を無色透明に
憂鬱な夜だった。気分が落ち込み、強烈な憂鬱に襲われた。これからずっとこの憂鬱、虚無が続くのかと思うと、何にも希望が見出せなくなり、人生をドロップアウトする選択肢が頭の隅に入り込む。
レイオフのことを思い出す。ホワイトボードの前に上司が立っていた。仕事の指示を出すように上司が僕に告げた。異動するか辞めるしかないと。僕の頭は錆びたみたいに動かなくなった。異動先は僕に知識・能力がないところで、数値目標やハードワーク、厳しい言葉でも追い込みもある。うつ病、適応障害で身体を壊すのは目に見えてる。何を言われてるか、消化するまでに少し時間がかかる。無機質だった。有無を言わせなかった。業務の話をしているようだった。
一緒に働いてきた人たちの顔が浮かぶ。代表、副社長、事業部長の顔が浮かぶ。上司が僕にクビを告げる光景が浮かぶ。なぜ守ってくれなかったのか。経営陣の報酬が優先されたのか。腸が煮え返る。人間とはそんなもんなのか。会社とはそんなもんなのか。うつ病の僕は荷物だから捨てられたのか。僕が気分障害だったから捨てられたのか。黒ずんだ記憶や感情が渦巻く。
会社が望む人材像を体現していたつもりだった。会社が提示する行動規範に忠実に従ったつもりだった。積極的に仕事を拾った。人のせいにせず自責駆動で考えてアクションを取った。人事評価もマイナスだった事はない。「このまま成長してほしい」と言われた。迷惑も沢山かけた。でも、5年間、会社ができてから半分以上の期間、素直に誠実に会社に着いていった。
五年間お世話になった記憶がより一層悲しみ、辛さ、憤りを強くする。やはりどれだけ真面目に働こうが最後はお金、コストなのだと知らされる。当たり前過ぎることだが、従業員は駒でしかないのだ。給料が発生し法的な関係を結んでいるだけ。僕が少し関係性を見誤っていた。僕が信頼を置き過ぎていた。お金以上の、友情や仲間意識や絆みたいなものを妄想してしまっていた。
希死念慮はもうない。数年前はあったが今は消えた。死んだ後がもっとしんどい可能性もあるし、親と猫は絶対に悲しい思いさせたくないし、一時期死ぬことでどれだけお前が苦しみを与えたか知らしめてやるとか思ってたけど、多分死んでも大切な人だけが悲しんでムカつく奴はのうのうと生きるんだろうなと思うから。
1ヶ月と少し、時間が経ったがやはり怨恨や悲哀は消えない。少しずつ憤りや恨みが減り、諦めや消極さの比率が増えてきた気もする。どちらにしろ、トラウマ的なものが頭にしこりのように居座っている。記憶の深く深くに沈めて、何もなかったかのように過ごせる日が来るだろうか。偽りでなく本当の無関心と共に「そんなこともあったね」と微笑んでその記憶を軽くえる日が来るだろうか。今のところは墓場まで持って行って関係者を呪ってやる、何かしらの作品に変換してギャフンと言わせてやる、と少し不健康なエネルギーの使い方をしているが、可能であれば記憶から暗く重たい感情を引き剥がして、無色透明にしてしまいたい。
時間の流れに身を任せるしかない。これからどうなるかよく分からないが、沢山の本や映画に触れて知識や考え方・価値観を吸収して、文章を書き続けようと思う。僕の恨みは、時間の経過、仕事の成功と生活の充実、健康の増進で消えると思う。今は少しゆっくりできていて生活は充実していると思う。仕事だけだから文章いっぱい書く。文章を書いていたら嫌な記憶が無色透明になるときが来るような気がするから。
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