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万引きデビューは5歳。欲望に振り回された女子高生

欲しいものがある時、あなたならどうやって手に入れるだろうか。
お金を貯める、働く、人にねだる・・・いくつかの方法がある。
今回は、わずが5歳という年齢で万引きデビューした経験を持つ美幸さんにインタビューをすることができた。
一体なぜ万引きという手段を選んだのか、そして現在はどのように生活しているのかを追ってみた。


厳しい母親に制限される日々

制限の多い家庭環境で育った美幸さん。
数多くの習い事をし、友達と遊ぶ時間は無かった。
流行りのおもちゃを買ってもらった経験はなかったという。

「母は非常に厳しい人でした。特にマナー面に関しては。常に“ちゃんとしなさい”って怒っていましたね。」
「友達と遊んだ経験がほとんどなかったです。習い事でギチギチな日々でした。でもそれが普通だと思っていたので苦痛ではありませんでした。」
「ドリルとか本は買ってもらうことができましたが、子どもが欲しがるようなおもちゃは一切買ってもらえなかったです。キラキラ光るスティックとか憧れました。」

父親は仕事が忙しく、ほとんど家にいなかった。
教育熱心な母親の期待に応えるべく、美幸さんは“いい子”であり続けようと自然と頑張っていたのだ。
しかし5歳を過ぎた頃、美幸さんに変化が表れ始める。

気づいたらポケットに未精算のガムが

「我が家のおやつタイムは絶対にフルーツなんです。お菓子は母親の手作りしかたべたことがありません。それもごくわずか。駄菓子コーナーに売ってるお菓子に強い興味がありました。」
「ある日、母親と買い物へ言った時、勇気を出しておねだりしたんです。“このお菓子かっても良い?”って。即答で“ダメよ!”でした。」
「普段なら素直に聞いていたんですが、その日はどうしてもそのお菓子が欲しくて仕方がなかったんです。でも買えないことが分かって我慢しました。」
「そしてレジまで向かったんですが、レジ近くにあるガムをポケットに入れちゃったんです。特別そのガムが欲しかったわけではなかったんですけど・・・。」
「母は気づかず買い物を済ませ、帰宅しました。」
「罪悪感はありませんでした。というか分からなかったんですかね。それよりも“手に入れた”という気持ちが大きかったです。」
未精算のガムの存在はすぐにはバレなかった。
その間、美幸さんはガムを食べることなく何度も見つめていたという。
数日経過した頃、母にバレてしまった。

「母は泣き崩れました。“私の育て方がいけなかったの?”みたいな感じでした。泣きながら“お母さんはあなたに苦労させることはしていない、私が成人式の時に着た振袖を売れば十分なお金になる”って言われたのを覚えています。私としては良く分からなかったし、腑に落ちなかったです。」
「“小さい頃におもちゃを沢山かい与えられた子供は、将来借金を背負う。だから制限していたのに・・・。”これが母の主張でした。そもそもおもちゃは1つも買ってもらったことがありません。」
「5歳ですので反発心とかは無かったですね。でもお母さんに対して悪いことをしたという気持ちにはなれなかったです。」

万引き発覚後、母親に連れられてスーパーへ謝罪しに行った美幸さん。
その後、母親はそのスーパーへ行く度、“あんたが万引きしたから利用しにくくなった”というようになった。
この件から母親は美幸さんに対して強い期待はしなくなったという。
「私が万引きでダメになったから、教育熱心さは弟へ向けられました。物静かな弟でしたので、母としてはコントロールしやすかったのではないでしょうか。」
「子どもながらに愛情に差を感じていました。万引きした私が悪いんですし仕方がないのかもしれませんけど。」

「自分の力で手に入れるしかない」

万引きをしてから、どんどんと物欲が増していった。
「常に友達が持っているものが欲しくて羨ましかったです。でも相変わらず買ってもらえないし、おこづかいもない状態。ひたすら我慢でした。」
我慢に我慢を重ねた美幸さんだったが、ある日リミッターが外れる。

「母の財布から現金を抜きました。小学1年生だったので、どのお札にどれくらいの価値があるか分からなかったので、1日1枚抜いて学習机に隠しました。」
「10枚くらい貯まってきた頃、母にバレました。没収されて全身叩かれ蹴られでしたね。罵倒もされました。その時はひたすら痛みに耐えるだけで精一杯。」
「その時欲しかったのはお医者さんセットでした。多分1000円くらいのものだったと思います。当時流行っていたプロフィール帳にも“宝物:お医者セット”って書いたくらいです。でも結局買ってもらえず、持ってはいなかったですけどね。」
「その時からだんだん、“自分の力で手に入れるしかない”っていうことに気づき始めたんです。」
その頃から、美幸さんはお金に対して執着するようになったのだ。

「どうにかしてお金が欲しい。小学生ながらに考えたのが、給食の牛乳をストップさせることでした。学期終了時に返金されるんですよ。4000円程度だったと思うんですが、当時の私にとっては大金でしたね。」
「それから母に対してお金をちょろまかすようになりました。赤い羽根共同募金代に貰った小銭、教材費の水増し請求・・・。できることはいろいろやりました。そうしたら意外とお金が貯まっていったんです。買うとバレてしまうので、ひたすら貯めました。」
「お金を貯めることが楽しかったです。頑張ったからこそ、お金を使うのが惜しかったです。」

美幸さんのコツコツ貯金生活は中学卒業まで続いた。
5年以上貯め続けた結果、5万円近く貯まった。
そのお金を使って流行りの服を購入。
母親にバレないよう押し入れにしまい込んでいたら、洗濯しなかったことによる汗しみができてしまいダメになってしまった。

ギリギリの橋を渡る女子高生

地道な方法ではあったが、自分の力でお金を得ることができた美幸さん。
高校入学後、お金に対する執着がより一層増したという。

「母と衝突する機会も増え、無視されるようになりました。私にとっては束縛から解放されるのでラッキーでしたね。」
「高校は進学校でした。私立だったのでお金に余裕のある子が多かった印象です。我が家も貧乏ではなかったので身なりに不自由はなかったのですが、圧倒的に旅行などの経験や持ち物に差を感じました。」

「母から巻き上げられるお金には限界があると気づいたんです。そこからネットの力を借りることにしました。」
美幸さんは週末になるとネットで知り合った年上の男性とお茶をし、交通費という名目で5000円程度の金銭を受け取っていた。
「交通費を引くと、手元には4000円弱残りました。援助交際みたいなやましいことをしているわけでもないし、罪悪感はありませんでした。」
「バイト禁止だったので、ここでのお金はかなり貴重でしたし有難い存在でした。」

高校生になると5000円のおこづかいを貰えるようになったこともあり、以前よりもかなり自由にお金を使えるようになった。
流行りの服、SNS映えなスイーツ・・・。イマドキ女子が好むものは不自由なく楽しめた。
「お金を自由に使えるって最高でした。今まで体験したことがない世界に飛び込んだみたい。自然と笑顔も増えていった気がします。」

しかし、あることをきっかけに、美幸さんの人生は大きく変わったのだった。

女子高生を辞めた日

「信用していた友達に、家庭のことを話したことがあったんです。お金の手に入れ方も話しました。」
「友達は“大変だったね”って共感してくれたり、自身の苦労話なんかもしてくれて嬉しかったです。」
「でも突然、びっくりすることが起きたんです。私の味方だと思っていた友達が別の友達とくっついて、私と距離を置くようになりました。今思えばハメられたんですね。」
学校内で孤独になってしまった美幸さん。その後も嫌がらせは続いた。
「学校の裏サイトみたいなところに、私の悪口が書かれるようになったんです。“援交女”とか“ヤリマン”とか。交際経験もないのに!」
「気にしないフリをしていたんですが、クラスにいてもなんかイマイチな感じになってきて・・・。何となく、皆が私に近づきたくないんだろうなっていうオーラを感じました。」
「徐々に学校が嫌になってきて行かなくなりました。ネットで知り合った友達と平日も遊ぶようになり、ついに学校に呼び出されるまでになってしまいました。」
「母と一緒に行ったのですが、“学費も高いし学校辞めちまえ!このアバズレ!”って吐き捨てられました。なんかもうどうでもよくなって、退学することにしたんです。」
勢いで高校を退学してしまった美幸さんに、後悔はないのか聞いてみた。

「今はありますね。中卒で仕事はないし・・・。今は倉庫の事務やっていますが、すごく底辺な感じがして・・・もう辞めたいです。」
「中退がきっかけで父と話すようになりました。父は高校を辞めたことを残念がっていました。悪いことしたなぁって思っています。」

「自分の人生に点数・・・ですか」

最後に美幸さんに人生の点数を付けてもらった。
「点数・・・15点くらいですかね。具体的な理由はないけれど、良い人生に思えないから。」
「私の母、きっと所謂毒親なんですよね。だから仕方がない。親ガチャに外れたんです。」
「とりあえず通信制の高校でも入ろうかなって思っています。もう高校3年生の年齢になりますけど入れるんですかね。今からでも人生やり直せるのかな・・・。」

母親による過度な制限がきっかけで人生が大きく影響してしまった美幸さん。
世の中には、彼女のように親子関係が上手くいかなかったことで苦労している人は多いはずだ。
【物欲は人生を狂わす】なのか、それとも【毒親は人生を狂わす】というのが正解なのか。
今後、美幸さん自身が答えを見つけていくことになるのだろう。


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