あきらめたはずなのに怒りが心を支配する...... 上手な気持ちの手放し方
機能不全家族の中で幼い頃からありのままの自分の気持ちを抑圧、コントロールされるなどして、大人になって社会の中で生きづらさを感じている方(いわゆるアダルト・チルドレンの方)のお話しを伺う中で、よく登場する気持ちの一つに「諦めの気持ち」があります。
※機能不全家族、アダルト・チルドレンについてはこちらの記事も参考にしてください。
こうした「諦めの気持ち」は、「出世争いを諦める」「叶えたい夢を諦める」など、生きていれば何かを諦める場面って誰しも大なり小なり幾らもあるかと思います。
とはいえ、アダルト・チルドレンの傾向が強いと、「もうあの件は諦めた」「もう終わったことだ」と頭ではわかっているのに、ふとしたときに諦めた気持ちが強い憎しみや怒り、悔しさの気持ちを伴って心の中に湧き上がってきて、その気持ちに心が支配され鬱々とした状態に陥ってしまうことが少なくないのです。
でも、どうしてアダルト・チルドレンの方は諦めたはずの気持ちが、諦めとは真逆にあると言ってもいい、怒りや憎しみにとって変わられてしまいやすいのでしょうか?
今回は、頭では「もう諦めた」「踏ん切りをつけた」と思っていても、ふとしたときに「ちくしょう!」と怒りのスイッチが入ってしまう心のカラクリと、そうした気持ちをスムーズに手放していくためのヒントについてのお話です。
何かを諦めるとき無自覚に怒りや憎しみを利用している?
私たちは何かを諦めようとする時、無意識に怒りや恨みといった激しい感情を使うことで、本当は手に入れたいという欲求に蓋をして、仕方なく諦めることが少なくありません。
こうした心の動きがわかるエピソードを紹介します。
とまあ、こんな場面に遭遇したのですが、このとき男の子はお菓子が欲しいという気持ちを、お菓子を買ってくれないお母さんへの怒りや憎しみといった強いエネルギーを使って封じ込め我慢して諦めたわけです。
このように、心の中に湧きあがった欲求を怒りや憎しみなど強い感情で封じ込めるという方法論は、何も子どもに限ったことではありません。
たとえばママ友の集まりの中で
こう言って愚痴をこぼす時、言葉に出してはいないものの、心の中には「もっと家族サービスして欲しい」「もっと私の話を聞いて欲しい」「もっと私を構って欲しい」といった欲求があったりするのですが、愚痴をこぼすなど怒りによってその欲求に蓋をして諦めようとしているわけです。
他にもたとえば、会社の昇進面接でうまく受け答えができずライバルに先を越されてしまったとき、
などとボヤくのも、怒りによって昇進できなかった辛い現実から目を逸ら巣とともに、昇進の気持ちを諦めるわけです。
このように心の中に湧きあがった欲求を、怒りや恨みなど強い感情を利用し封じ込めることで諦める(つもりになっている)という方法論を使う人は実は少なくないのですが、その際、無意識に利用した怒りや恨みつらみの気持ちは、きちんと癒してあげなければ心の中に蓄積され続けてしまうのです。
そのため、頭ではとっくに諦めたつもりになっているのに、ふとしたことで心の中に溜まっていた怒りのスイッチが入ってしまい、その気持ちに心が支配されてしまうというわけです。
そもそも、「怒り・憎しみ・恨みつらみ」といった強い感情をぶつけなければ抑えられないくらい強い欲求があって、それに蓋を閉めるのですから、かなりの強い怒りや恨みつらみのエネルギーを生み出しているはずです。
つまり……
この2つの怒りが癒されることなく心の中で発酵し続けているわけですから、ふとしたときにメラメラと気持ちが湧き上がってくるのもしょうがないと言えるでしょう。
諦めると手放すの違い
「諦めの気持ち」と似たようなニュアンスの言葉に「手放す」という言葉があります。
手放すとは辞書を引くと、
という意味なのですが、これは言ってみればガムを十分に噛み尽くして味がなくなったから捨てるようなもので、「十分に味わって満足したから、もう結構です。もう自分には不要です」みたいなイメージです^^
ここが、前述した「諦めの気持ち」との大きな違いで、手放す場合には怒りの気持ちなどを使って封じ込める必要がないということですね^^
では、どうしてアダルト・チルドレンの方にとって、この「手放し」が難しいのでしょうか?
その理由としては、
と言えます。
幼い頃から、ありのままの気持ちを十分に受け止めてもらう体験をすることなく、むしろ抑圧することを強要されるような環境下ではある意味仕方のないことと言えるのですが、裏返せば、自分の素直な気持ちを十分に噛みしめ、味わい尽くすこと…… 言い換えるなら「自己受容のトレーニング」をしていけば、自然に「手放し」もうまくなるということですね^^
すべての道は自己受容に通じる?
自己受容とは、
のことで、等身大の自分を認め向き合う姿勢と言い換えてもいいでしょう。
自己受容と近い言葉に「自己肯定感」があります。自己肯定感とは
のことで、誤解を恐れずに言うなら「無条件に自己肯定できる感覚」が、自己受容とほぼ同じ感覚と考えてもいいでしょう。
機能不全的な環境の中で、ことあるごとに「自分はダメだ」「自分には価値がない」「誰にも愛されない」「なにをやってもうまくいかない」といった否定的なメッセージを受け取ってきたアダルト・チルドレンの方は、「自己否定感」を心の土台にセットしていることが少なくありません。
そのため、自己否定的な側面は認めることができても、自己肯定的な側面は受け入れないといった偏った自己受容…… 言い換えるなら「自分イジメ的な自己受容」になっていることは少なくありません。
また、人によっては「自己否定している自分のことも認めないし、自分を認めない自分がいることも認めない」といった自己否定が幾重にも入れ子構造になっているケースもあり、そうしたことが癖になっている場合、これから紹介する自己受容のトレーニングはかなり違和感を感じるかもしれません。
自己受容トレーニングの例
ここでは、本当は欲しかったものを「(仕方なく)諦める」ことで後々ストレスを溜めてしまうといったこれまでの習慣から、「手放す」という習慣に切り替えることに役立つ「自己受容」の基本シナリオについてステップに分けてお伝えします。
ノートに書き出すなど、頭の中にあるものを外に出しながら整理していくといいと思います。それとあくまでも基本的なシナリオですので、ご自身の気持ちに応じて「深さ・広さ」などは調整してみてください^^
・ステップ1
あなたが手に入れたかったのに手に入れられなかったものはなんでしょうか?
それを手に入れることでどうしたかったのでしょうか?
どんな気持ちを味わいたかったのでしょうか?
これらを箇条書きで書き出してみましょう。
・ステップ2
手に入れられなかったことで、どんなことを考え、どんな気持ちを感じたのでしょうか?
箇条書きで書き出してみましょう。
・ステップ3
もしもあなたの大切な人から、ステップ1、ステップ2で書き出した内容を訴えられたとしたら、その大切な人にどんな言葉をかけて慰めたり勇気づけしてあげるでしょうか?
あなたがかけてあげたい言葉を書き出してみましょう。
・ステップ4
もしもタイムマシンに乗って再チャレンジできるとしたら、今回の悔しい経験からどんな教訓を得て再チャレンジしますか?
・ステップ5
ステップ1〜4で書き出した内容を、繰り返し声に出して自分に言って聞かせる。
やり方は以上です。
こんな感じで、欲しいものが手に入らなかったという事実に際して、考えたこと、感じたことなどを書き出し気持ちの見える化をしたら、それを声に出して言い聞かせることで無理やり諦めるのとは違って手放すのが楽にできてくるはずです。
気持ちが落ち着いている時に試してみてはいかがでしょうか^^
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