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幸せだと感じた瞬間【ベトナム会社立ち上げ】

「天職だと感じた瞬間」として、私にとって人生最高の仕事であるベトナムでの新事業会社で社長として務めた3年間をテーマとし、「仕事」、ベトナムで出会った「お客様」そして「社員」について紹介させていただきたい。

1.3年間の仕事

(1)設立までの経緯

2018年に本社経営企画部長に6年ぶりに出戻りとなり、重点課題としてベトナムでの新事業会社の設立準備を進めた。

グループ他社との50%:50%の共同出資で、当社側から社長を出し、日常の経営判断を握ることで連結子会社とした。

そこには両社のプライドが交錯し取締役会上程の直前まで、共同事業協定書の一言一句レベルの調整が続いた。

新会社の社長人事の話が出る前に私の意思は決まっていた。当時の本社社長に思い切って直談判し、「君のためにも良いキャリアだ」と言われ私のベトナム行きが決まった。

実のところは本社で私に会うポジションがなかったのであろう。考える間もなく希望を受けてもらえ、逆に「やはりそうか」とも思ったが、新しいチャレンジに踏み出せる喜びが遥かに大きく胸が躍った。

(2)組織体制づくり

最初に中核になるベトナム人スタッフの採用を行った。人によりサービスを提供する事業のため、プロジェクトの営業系の統括、技術系の統括、本社の人事総務、経理のスタッフを確保した。

次に組織機構と職名、人事配置案を自分で作り他の日本人スタッフの理解を得て社内に公表した。

人事制度には時間がかかったが、ベトナムではなじみのない職能等級と実際の職務によって給与が決まる仕組みとした。

これによって、今就いている仕事をするだけでなく、スキルアップが認められれば職能等級が上がり昇給し転職されることなく長い間会社に貢献してもらう制度とした。また会社コストで医療保険に入り、産休・育休および時短勤務を設けるなど働きやす会社を目指した。これにより退職率は15%程度で、ベトナムでは低い水準を保つことができた。

採用した社員の入社時に、自己紹介、質問タイム、私の話という構成の入社式を毎回行った。プライベートな質問と回答に盛り上がり、その場の全員が笑顔で歓迎する光景はいつ見てもいいものであった。

(3)サービスづくり

最初の2つのプロジェクトのサービス仕様の作成と同時並行で、新会社のサービス定義の作業を進めた。

ベトナム人を交え議論を重ねた結果、ベトナムの現行サービスをベースに日本の特徴を付加するサービス体系とした。

日本で提供しているサービスをそのまま当てはめることは、事業主、ユーザー双方から理解が得られないという強い意見があったからである。

しかし、2年目になるとベトナム大手の欧米系の同業他社には、実績の少ない当社では勝ち目がないことを思い知らされた。連戦連敗のなかで、当社の特徴を前面に打ち出したサービスと、それをブランド化して営業につなげる方向への方針転換を決意した。

我々のサービスの特徴として、ホスピタリティ、コンビニエンス、クオリティの3つをキーワードに、まずはベトナム人に日本的な接客やマネジメントを教育した。

また、ベトナムのITベンダーと提携しBtoCアプリを共同開発し日系のセキュリティ会社とAIカメラを活用したセキュリティサービスを提案、そのほか日本の本社で活用しているサービス業務データ化システム動画教育システムを導入し、DX推進を新サービス実現の核と位置付けた。

自分の思い描いたサービスの各ピースが徐々に実現し、トータルの完成度が高まる状況はこれまで感じたことのないほどの喜びであった。

(4)営業推進

提供するサービスの位置づけを他社との比較で明確にし、「ベトナムNO,1品質」と「欧米系大手に勝てる価格」で営業推進することをベトナム人営業スタッフに繰り返し説明した。

仕事の発注者である事業主への提案の際、トップ営業は必然である。「トップがどんな人間で、何を目指して、何を提供しているのか」。それを相手のトップにうまく伝えられた時には勝てる感触を感じた。

事業主側の販売イベントでスピーチをすることも多くあった。最初のつかみはベトナム語で「シンチャオ!トイテンラー、〇〇。トンザムドッコンティ〇〇」。(こんにちは!私は〇〇です。私は〇〇社の社長です。)

この挨拶で指笛と大きな拍手をもらえる。そのあとは日本語で話し、通訳がリピートしていく。

イベントのお客様は規模によるが300人~700人、大きなステージに前座にはダンサーや歌手を読んでショータイム、そこから事業主のプレゼン、その後に日経パートナー企業として壇上でスピーチそしてMOUへのサインセレモニーとなる。

ステージへの上り下りは軽やかに、笑顔を絶やさず、スピーチ後はそのまま事業主の経営陣へ駆け寄り硬い握手を交わし、強い提携関係をアピールする。

こんな所作は当然誰も教えてくれず、見よう見まねで身につけた。緊張感も半端ないがそれ以上にテンションの高まる瞬間だった。

2.お客様との関係

顧客とのエピソードをいくつか紹介する。

(1)高校大学をアメリカで学んだ青年実業家

会食の時に自分で日本から運んだ日本酒(純米大吟醸)を振る舞った。「これは私がお正月に親父と一緒に飲む酒です」というセリフを添えた。最大限のもてなしだったととても喜んでもらえた。

そのお返しとして、ボートでの送迎付きのゴルフに誘われ、食事を共にすることで一層信頼関係は高まった。謙虚で誠実だが常に要求レベルの高い青年実業家だ。

(2)女性の国営企業役員

新たなプロジェクト紹介から入ったが、「私たちが組めばどんなことができると思うか」の問いに「国による認証付き共同コンサルティング事業」を提案したことをきっかけに、なかなか会ことが難しい防衛相傘下の国営企業会長と面会できることになった。その場所は政府要人も招く貴賓室。

ちなみにその女性役員は独身で日本人男性がタイプだったので、会食の席で帰国後に「日本人男性を紹介する」と約束したが、まだ果たせていない。

(3)ベトナムで著名な建設会社の会長

あるイベントの場で私のスピーチ後に声をかけられ「今度話をしに来なさい」と言われ、そこから何度も通った。物腰が柔らかく丁寧な話し方をするが、目の奥はいつも冷ややか、全てを見通しているかのような眼力を感じた。私がベトナムで最も尊敬する経営者だ。

4.社員との関係

私が帰国する時点の社員数は120名、彼らとの思い出は数多く、日本では感じられない熱い想いがこもっている。

彼らはとても素直で良い意味で単純だ。最初は警戒心をもつが「ほめ言葉かモノかお金で」すぐに笑顔になる。

日本へ一時帰国するたびに全員分のお土産を用意し、テト(旧正月)休暇明けには全員にお年玉を配る。一人一人に感謝の意を込めて手渡しする。金額ではなく自分のことを気にかけてくれることが嬉しいようだ。

結婚式やご家族のお葬式に片道3時間かけても行き、社員のお父さんや親せきの方と酒を酌み交わす。日本人が来てくれたと喜んでくれる。

20代の社員と一緒にフットサルをし言葉ではない、体をぶつけあいながらのコミュニケーションを図った。ガチでボール奪いに来るので技術のない私はいつも全力で走り回っている。

休日に私の好きなランニングに付き合ってくれる社員も多い。ラン後に一緒にフォーを食べ、朝からビールを浴びるのは格別である。

全社員が集まる飲み会は皆大好きだ。必ずゲームや余興が考えられている。ドレスコードを決められたり、仮装してのハロウィンパーティーもある。私も率先して余興をこなす。その目的はかっこ悪い姿をさらして笑いをとるため。

私の送別パーティーはフットサル最終戦後に行われ、ビールを10杯以上一気飲みからの狂乱ダンスタイムが続いた


まだまだ書きたいことはたくさんあるが、以上が私のベトナムでの3年間だ。

一言でいえば、これまでの仕事の経験とスキル、上達しない英語をはじめ、自分が持つすべての力と情熱を注いだ。

コロナによるロックダウンやその他の要因で事業の継続が難しい局面もあったがなんとか切り抜けてきた。

全ての原動力はベトナムで出会ったお客様や社員の期待を裏切れないという思いだった。

正直、ベトナムでビジネスパーソンとしての最後を迎えたいと思っていた。

それほど私には幸せな時間だった。

皆からもらったメッセージや記念品、そして思い出の写真はまぎれもなく一生の宝物だ。

できることならもう一度あの世界に戻りたい。いや、戻るよ。

天国だな(笑)

#天職だと感じた瞬間

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