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#5 コーチングを受け始めた理由と私

みなさんお疲れ様です。「コーチングを受け始めた新卒2年目メーカー勤務25歳」のYoshiです。こちらの記事#3 コーチングを受け始めた新卒2年目メーカー勤務25歳|Yoshi (note.com)までは「はじめに」というコーナーで、好きなことを書いておりました。が、セッションの振り返りに集中する為に別記事で好きなことを書いていきます。今回がその最初の投稿です。テーマは「コーチングを受け始めた理由と私」です。コーチングを受け始めた理由を私を振り返りながら書いていきたいと思います。全てを振り返ると長くなってしまうので、こちらの記事#4 コーチングを受け始めた新卒2年目メーカー勤務25歳|Yoshi (note.com)で、「人類の幸せをずっと考えて、行動している」という言葉が出てきました。この言葉を遡りながら「コーチングを受け始めた理由」について書いていきます。書き終えて、まとまりがない文章になっていることに気づきました。けど、直しません。読みづらかったらすいません。では、本題へ行きましょう。

この言葉を生み出した経緯を考える為に小学生時代まで遡ります。小学校の体育の授業での話です。バスケットボールやサッカーなど、チームスポーツでリーダー的な立ち位置になることが多く、勝つことにかなりこだわっていました。その為、チームメイトに自分の戦術で動いてもらうことや、休み時間に練習することを要求していました。実際に勝つことはそれなりにできていました。しかし、チームメイトは誰一人楽しそうではありませんでした。先生にも「チームメイトの顔を見てみろ」と言われたことがありました。チームが一丸となってやっているというよりかは、私一人でやっていたことが原因だと思いました。対照的にチームワークが良く、パスワークでやっているチームにはほとんど勝つことができなかったことを鮮明に覚えています。
「一人がどんなに上手くても勝つことができないのではないか」と思うようになりました。

中学校時代。私は小学校でサッカーをやっていました。サッカーが楽しく、中学では部活ではなくクラブチームに入りました。所属していたチームではミスをする度に監督やコーチ、チームメイトから怒られることが多かったように思います。そのせいか、ボールを受けるのが怖くなり、パスを如何に受けないかを考えるようになりました。さらに、パスが来ても怒られる恐怖心からミスをするようになり、怒られるという悪循環に陥り、3年間で数カ月しかスタメンになることができませんでした。「小学生の時に自分から指示されている人はこのように感じていたのではないか」と思うようになりました。

高校時代。私はバレーボール同好会に入会しました。3年生にはキャプテンになりました。勝つことにこだわる過去の厳しい自分がそこにはいました。キャプテンとして、一番努力し、指示を出していました。それなりにチームメイトはついて来てくれました。もちろんお互いの意見がぶつかることはありました。今では言葉が強くなってしまったことにとても反省しています。蓋を開けると、昨年度よりはるかに良い結果を出すことができました。さらに、学校生活と同好会活動が認められ部活動に昇格することができました。「お前のおかげだ」と言われたのを今でも覚えています。昇格した部活動は今でも残っており、嬉しく思います。「一人では勝つことができない、そして、喜びは得られない」と思うようになりました。チームメイトに感謝です。本当に楽しかった、ありがとう。

大学時代。サークルに入ることなく、勉強とアルバイトを頑張りました。勉強では、学部か学科内どちらかは忘れましたが、成績優秀者にしか与えられない給付型の奨学金をもらえるだけ頑張りました。アルバイトでは訪問営業を始め、当時の最高契約件数を達成しました。「自分はなんでもできる」という思いがかなり強くなりました。

大学院1年目時代。大学院では教授が問題解決のアプローチを研究を通じて教えて下さりました。簡単に言えば「目的」、「問題」、「現状」というフレームワークです。「あるべき姿(目的)」を描くことで、「現状」から見えてくるものが変化し、「問題」が明確になります。私はこのフレームワークが体に染みわたりました。このフレームワークを用いて、研究を進めることで論理的な提案が多くできるようになりました。「あるべき姿に紐づかない提案は意味がない」と思うようになりました。

大学院2年目時代。教授からなんと言われたか明確になんと言われたか覚えていませんが、「研究室の為に動いてみよう」みたいなことを言われたのを覚えています。大学院1年生までは研究成果にこだわる自分がおり、周りからは近寄りがたい存在になっていたかもしれません。教授からの言葉を受けて、自分の成果の為だけに動くのをやめてみようと、なぜか素直に受け入れることができました。ここからは、積極的に後輩と関わり、どうやったら主体的に楽しくメンバーが進めることができるかをひたすらに考え、行動しました。気づくと、後輩から〇〇さんと呼ばれることが多くなり、慕ってくれる後輩ばかりになっていました。卒業する時は大号泣です。たかが大学院の卒業式なのに泣いてしまいました。「一人で成果を出す感じる幸せとは異なる幸せがあるのではないか」と思うようになりました。めちゃめちゃ楽しかった。ありがとう。

社会人1年目時代。大学院で学んだフレームワークを人生に当てはめるようになりました。つまり、「究極のあるべき姿」とはなんであろうか?ということです。上の理論で行けば、「あるべき姿」を描ければ、今何をすれば良いかわかると思ったのです。さらに、社会人になったら人生をかけてやることを見つけようと考えていました。ここから、「究極のあるべき姿」→「幸せ」について考える日々が始まりました。隙間時間があれば、「哲学」、「自己啓発」、「宗教」、「偉人の名言」など「幸せ」とは何かを必死に探していました(動画を聞き流しながら気になったところをメモしてました)。会社に着くまでに疲れてしまったみたいなことも多々ありました。色々探求していくと「自分の幸せだけを実現するだけでは幸せになれない」ことが見えてきました(出家しようと思ったときもありました笑)。論理的かつこれまでの経験からかなりしっくりきました。よし、じゃあ「相手の為になること」→「相手に優しくする」をやってみました。結果は、心がかなり疲弊しました。相手の感じていることを考え、相手が気持ち良くなることを言ったり、助けたりするのです。自分の心を殺すように相手に与えていました。自分を大切にしていなかったのです。その為、相手に与える余裕がなくなり、幸せになるはずが苦しくなっていきました。さらに自分を追い詰めました。そしたら頭がパンクし始めました、気を遣うって相手の為になっているの?、いらいらしたらその気持ちを認知し相手を許す?。意味がわからなくなりました。頭で理解しているのにできない自分がいました。「このままではやばい、けどどうしたら良いのか」と思っていました。

ここまでの想い箇条書き
・「一人がどんなに上手くても勝つことができないのではないか」
・「小学生の時に自分から指示されている人はこのように感じていたのではないか」
・「一人では勝つことができない、そして、喜びは得られない」
・「自分はなんでもできる」
・「あるべき姿に紐づかない提案は意味がない」
・「このままではやばい、けどどうしたら良いのか」

「人類の幸せをずっと考えて、行動している」
これまでの経験と知識から出た言葉だった。

社会人2年目時代。このような意味不明な状態が続き、迷える子羊となっていました。ここで、このままではまずいと思い、中澤慎太郎(SHINTARO - YouTube)に連絡を取りました。彼とは小学校と中学校が一緒でした。動画を見ていく中でヒントをもらえそうと思い連絡したのを覚えています。Zoomで自分の状態を説明すると、「コーチングを受けてみたら?」と言われました。コーチングの存在自体は知っていたのですが、最初は断りました。しかし、慎太郎は食事に誘ってくれました(これがなかったら今の自分はいないと思います)。2回目に会った時には、自分の悩みを包み隠さず話しました。真摯に聞いてくれました。理由はわからないですが、慎太郎が言うならコーチングを受けてみようと受講の決断をしました。慎太郎、ありがとう。

「人類の幸せをずっと考えて、行動している」については、これからも考え続けたい、「全人類を熱狂させる」道中でわかるかもしれない。とにかくやるべきことをやる。

今回の投稿はこれまでとさせていただきます。

ここまで読んで下さりありがとうございます!
皆さんの幸せを願っています!
では次回の投稿でお会いしましょう!

Yoshi



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