ニューヨークでも活動している僕らが、日本の拠点を下北沢にした理由
かこうかこうと思って、なかなか手が回ってなかったが、ついに書き終える事ができたテーマ
きっかけはこれ。いつもお世話になっているロバート下北沢さんにインタビューしてもらった時の記事を見てたら、もう少し深堀してもいいかなと。
そもそもなぜ日本に?
これに関しては、コロちゃんですね。コロちゃんの影響で当時のニューヨークにいたコアメンバーの内、大半が日本への帰国を決定した。もともと日本に帰ることを予定していた者、本当は残りたいけど仕方なく帰ることを決断した者、理由は違えど結果として多数が日本へ帰国した。
今ではニューヨークでも4月末からオープンマイクイベントを再開できているものの、ロックダウンも始まっていた2020年3月からは全く活動ができていなかった。
そんな中、多くのメンバーが日本に帰国する中で、せっかくなら日本でも同じような活動を始めてみようと思ったのがきっかけだ。
中でも発起人の一人である響が、日本の代表という立ち位置で(yosemicとしては副代表)、動いてくれるようになったことが大きい。
場所を選ぶことの重要性
今のこの状況下において、生の表現が持つ価値が再定義され、より重要性が増していることは言うまでもないが、僕らの活動にとっても、リアルの活動拠点を持つということは非常に重要な意味を持つと思っている。
僕自身、文化というのは歴史から生まれ、その歴史が作られるという過程には必ず”場所”というものが存在していると思っている。言い換えるならば、その場所には建物、慣習、人柄をはじめ、至る隅々のところまで、その場所に根強いた文化が存在している。
”どういった経緯でのその文化が生まれたのか、そしてそこに根付いている文化というのはどいったものなのか”を考えるにあたっては、文化的な活動をしている僕らにとってリアルな活動拠点を持つということはすごく重要な意味があった。
さあらに表現者の街ニューヨークで培ってきた経験というのは、僕らにとって宝であるし、その経験を生かせるような拠点を日本でも作りたいと思っていた。
ニューヨークとの親和性が決め手の理由
ちょっとここでニューヨークタイムズの記事を紹介したい。
そしてのこの記事の中に、
Shimokitazawa is Tokyo’s answer to Greenwich Village
とある。
Greenwich Village とは、ニューヨーク・マンハッタンにある一部のエリアだ。19世紀末から多様な芸術家が集い、その後多くのミュージシャンやアーティストがここを拠点に活動し、都市が新しい文化を醸成する代表的事例であった。あの有名なブルーノートやヴィレッジ・ヴァンガードもこのエリアに属する。
またアメリカの同性愛者運動発祥の地ともされていて、表現者の街といっても過言ではないエリアだ。
ニューヨークタイムズにて、そのGreenwich Village と並び称されるのが下北沢と言うのは、うなづける部分も多い。
下北沢は本多劇場をはじめとした劇場、ライブハウス、車も通れないほどの細道、そこある個人経営のアットホームで小さな飲食店、最近では新しい環境・サステイナブル志向の店など、表現を中心にありとあらゆる事柄がまとまっている街だ。
そんな下北沢とニューヨークに近しい風を感じたから、下北沢に進出を決定したのであった。
ニューヨークでのイベント様子(2021年5月末)
by Shotaro
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