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土に触れることはストーリーに触れるということ


「ハサミムシだー!」

「なんの幼虫?これ!!」

「次はぼくが掘りたい!!!」

子どもたちのにぎやかな声に包まれながら、ぼくは畑に立っている。

前回の記事を読んでくださった方から「また畑にいるの?」という声が聞こえてくるけど、そうなんです。またいます。たまたまです。

わいわいと色のついたような声が、響き渡ってしまうようなほど澄み渡った空。それを眺めながら「子どもたちが土に触れるのって何で大切なのかなぁ」と考える、ある1日のできごと。


🚶‍♂️


ぼくの住んでいる地域には、小学生を対象とした教育コミュニティがある。月に1度ほど集まり、みんなで民話の練習をしたり、地域の歴史や文化について話を聴いたりする。学校も違えば学年も違う子どもたちが、いろんな垣根を越えてすくすくと育っている。

今回の活動は野外学習ということで、農業体験が行われた。その活動のボランティアとして、ぼくも参加した。ボランティアといっても、小学生たちと一緒にわーきゃー言って遊んでただけだけど。

今回体験させてもらったのは、里芋ほり。じゃがいもやさつまいもは掘ったことあるけど、里芋は初めてだ。

まず、土から生えている葉っぱの背の高さにビックリした。デカい。大人の身長くらいある。それをまずは、バッサバッサと鎌で切り落とす。

子どもたちがその葉っぱを持ちながら、傘みたいに持って遊んでいた。まるでトトロがバス停で待っていたときくらい、ぴったりと傘の役割を果たしていた。

そして、スコップを土に差し込んで、根っこを丸ごと掘り出していく。土をすみかにしていた虫さんたちが、こんにちは。子どもたち大賑わい。やたら虫に詳しい昆虫博士が話し出す。クラスに1人はいたなぁ、こんな子。

がんばれ。がんばれ。

子どもたちが里芋と格闘しているのをみると、「手伝うのか」「見守るのか」の絶妙なバランスに迷う。教育のお仕事をしている方は、そのさじ加減がうまいんだろうなぁ。

さて、そんな里芋とのスキンシップを終えたあとはお昼ごはん。築120年の古民家で、おにぎりやけんちん汁をご馳走になった。

「サマーウォーズ」に出てくる、夏希の実家か。

(転勤でこの土地に来なければ、こんな経験しなかったよなぁ)と思いながら、おにぎりをもぐもぐ。あっ、味噌が塗ってあるおにぎりもある。もう1個食べる。

お腹がパンパンの状態で古民家を後にして、集合した場所へみんなで歩いて帰った。普段小学生とおしゃべりをすることなんてないから、こぼれる言葉が新鮮なものばかりで楽しい。

小学生ってどんな話したらいいんかなぁ、と思いつつ(これは鉄板でしょ)と思いついた話題を投げかけてみたりもした。

「みんなはさぁ、1番好きな給食ってなに?」

「う〜ん、カレー!!」
「あのね、クリスマスのときにね、ケーキが出たの!」
「ガリガリ君でたこともあるんだよ!!」

熱量がすごい。こっちがゆるい球投げても、みんなフルスイングで打ち返してくるの。お兄さん、球拾いきれない。

好きなものに、感情100%で話せるって素敵だね。「わたしはね!わたしはね!これが好き!」って声を大にして言えるみんなの素直さと感性が、宝物だと思うよ。…急に小学校の先生みたいなコメントになったね。

とにもかくにも、真っ直ぐで、混じり気のない時間を経験させてもらえた。そして、「子どもたちにとって、土に触れさせる経験って大事だなぁ」としみじみ思う。

とはいえ、そんなことは誰でもなんとなく知っている。「8×12って、96だよなぁ」と同じくらい当たり前のことを思っている。となると、なんで土に触れさせるのって大事なんだろう。

もしかしたら、土に触れるという行為は、「野菜のストーリーに触れること」なのかもしれない。

人は、他人のストーリーに触れることで、優しさや感謝の気持ちを持ちやすくなる。その人の生い立ちや故郷、挫折経験や努力の源を知り、その人に寄り添えることができる。

土に触れるということは、まさに野菜の故郷を訪ねるようなものだ。そして、野菜をより愛おしく感じたり、ありがたみが生まれたりする。

ぼくたちがその日経験したのは、里芋を掘って洗うという、里芋人生の1ページしか見ていない。けれども、これから里芋と出会ったときに抱く感情はきっと変わる。

苗から植えたり、水をやったり、収穫後の配送をしたりして、より多くのストーリーに携われば、もっと感謝の気持ちを持つことができるんだろうな。

そんなストーリーに触れるということを、子供のうちに経験することで、感謝や物事の背景を考えられる「心のかたち」が形成されやすくなるのかもしれない。

特に、現代はネット通販など「完成されたもの」がすぐに届くサービスが多い。そうなると、途中のストーリーがほぼ見えない。自分でストーリーを見に行く経験を子供のときから積まないと、感謝の気持ちが生まれにくくなってしまうかもしれない。


でも、今からでも遅くないかな。

大人のぼくでも、間に合うかな。何かのストーリーに触れること。

よし、次はどこの畑に行こうかな。

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