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失敗の許されないこの世界で

この世界では失敗は許されない。結果が全てであり、どれだけ努力しようと、失敗すれば評価されない。1点差だろうと、負けは負け。

誰も失敗した者の意見には耳を傾けない。失敗者が何を言おうと、負け犬の遠吠えだと言われる。成功者こそが絶対的な正義であるかのように。

だが、本当にそんな世界でいいのか?

失敗が許されない世界では、皆が失敗を恐れ、チャレンジをしなくなる。でもそれでは、全く成長がなく、新しいものも生まれない。いつまでも同じままだ。

結果がどうであろうと、チャレンジすること自体に意味がある
。たとえ失敗しようと、一歩踏み出した分だけ成長できるのだ。その一歩は必ず無駄にはならない。

母はいつだって私のチャレンジを応援してくれた。おかげで私は、沢山のことに挑戦し、多くの事を学んだ。色んな経験をし、広い世界を知った。

もちろん、上手くいくことだけではなかった。どちらかというと失敗ばかりだった気がする。

それでも母は応援してくれた。失敗した私を責め立てはしなかった。それどころか、どうやったら上手くいくかを一緒に考えてくれた。

今回、私がカナダへ旅立つ時も、「あなたの帰る場所はある」と言ってくれた。その一言にどれだけ勇気づけられたことか。この言葉のおかげで、「上手くいくかはわからないけど、できるところまでやってみよう」と思えた。

失敗しても帰れる場所があれば、安心して一歩を踏み出せる。
失敗して傷ついたとしても、立ち上がり、再び挑戦しようと思えるのだ。

けれど今の世界は、失敗すれば居場所を失うようにできている。そんな世界では、思う存分チャレンジできない。何にも挑戦しなければ、人生から輝きが失われてしまう。

私はそんな世界はごめんだ。そんな世界より、たとえ結果を出せなくても、チャレンジしたこと自体が評価される世界の方がいいと思う。

結果が重要でないとは言わない。けれど、それよりも大事なことがあると思うのだ。結果だけに囚われていては見えない何かが必ずある。

そういう世界の実現には、他者の欠点を見つけ、糾弾する減点法ではなく、長所を見つけ、賞賛する加点法が必要だ。加点法で人々が評価されれば、失敗を咎められることは無くなる。そうなれば、他人の目など気にせず、のびのびと挑戦できるようになるのではないだろうか。

きっとすぐにはそんな社会は訪れない。私がこんな事を言ったところで、何も変わりはしないだろう。それでも、何もしなければ、現状が変わることはあり得ない。

わずかな揺らぎの積み重ねが、大きな変化となる。これもまた一つのチャレンジだ。行動すること自体に意味がある。たとえ失敗に終わるとしても。

だから私はこれからも抗い続けたい。

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