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“unlimited”と“infinite”

名付けるとは、世界を分節し形を与えるということ。つまり、それまでひとまとめだった物事を分けるということである。「言語の違い」=「分節の仕方の違い」なので、新しい言語を学ぶことは、時として新たな世界の見方を教えてくれる。そのおかげで、母語だけでは見えなかった景色が見えてくるのだ。今回はそんな事例を一つ。

私にとって、生き生きと人生を送る上で大切な考え方として次の二つがある。

考え方①「私たちは無意識に自分自身を制限している。だから、その制限を取り除き、一人一人が潜在能力を最大限に発揮できるようになることが重要だ。」

考え方②「私たちは自らの限界を受け入れなければならない。高すぎる理想は時として己の無力さを思い知らせ、私たちを苦しめる。」

これらの考え方は、一見矛盾しているように見える。しかし、どちらも実体験に基づいた気づきで、少なくとも私にとっては両方とも真実だ。この矛盾を一体どう説明すべきか?そんなことを考えていた時、「ublimited」と「infinite」という二つの英単語に出会った。

「unlimited」と「infinite」、日本語ではどちらも「無限の」という意味だ。しかし、実は両者の間には明確な違いがあり、この違いこそが矛盾を説明する鍵だった。

両者の違いを理解するために、人間の“自由“について考えてみよう。通常、“自由“は「法律や倫理に反しない限りなんでもしてよい」という意味で用いられる。法律や倫理という制限が前提とされ、その範囲内における自由という意味である。一方で、「一切の制限なしに、どんなことでもしていい」という文脈で“自由“が言及されることもある。この場合の自由は、あらゆる制限を前提としない。

前者のように、何かしらの制限を前提とした概念が「unlimited」であり、後者のように、どんな制限も持たないより抽象的な概念が「infinite」である。

この区別を元に、先の矛盾について考えてみる。

考え方①の無限が表すのは「unlimited」だ。私たちはそれぞれ自身に固有の能力を備えている。その範囲内でならどんなことでもできる。しかし、無意識のメンタルブロックにより、その持てる力の全てを使えていない。本来できるはずのことまで、自分でできなく(あるいは、やらないように)してしまっているのだ。

対して、考え方②の無限は「infinite」を意味している。己の限界を受け入れるのは辛い。だから、私たちは自分の弱さから目を背けるべく、時として非現実的な目標を掲げる。最初は、高い目標を目指している自分がカッコよく思えるかもしれない。けれど、次第に自分の無力さばかり目につくようになる。ゴールまでが遠すぎて、どれだけ努力しても、ゴールに近づいているという実感がないのだから。

こう考えてみると、先の二つの考え方は何も矛盾していない。同じ「無限」について語っているように見えて、実は全く別の状況を表していたのだ。

私たちは普段、抽象的な概念の意味をじっくり考えることはない。そのため、「自分らしさ」とか「本当にやりたいこと」とか、字面だけが独り歩きしてしまい、沢山の誤解や勘違いが生まれる。その意味するところは文脈によって様々なはずなのに。だからこそ、新たな言語を学び新たな視点を獲得すること、すなわち、これまで曖昧にしていた事柄を区別できるようになることが大切なのではないだろうか。それは、私たちを立ち止まらせ、常識だと見過ごしていたことに対し、改めて考える機会を与えてくれるのである。

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