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どうしてこんなにも虚しいのだろう?

やりたいからやったはずで、実際、やっている最中は楽しい。なのに、終わった後には、どういうわけか虚しさに襲われる。そんな体験をしたことはないだろうか?

例えば、Youtubeで動画を見たとしよう。動画を見たいから見ていたはずで、確かに動画は面白かった。けど、最後には正体不明の虚しさだけが残る。時間を無駄にしてしまったという気持ちもあるだろう。だけど、それだけではない。それ以外のもっと大きな、ぼんやりとした何かが、虚しさの原因だということだけは直感的にわかる。そんな体験だ。

一方で、同じ体験をしていたとしても、ものすごく満たされた気持ちになることもある。先の例で言うと、面白い動画を見て、心の底から笑って、「ああ楽しい時間が過ごせたな」と思える。あるいは、誰かと一緒に動画を見て、暖かな気持ちになる。そういう時もあるだろう。

一体この違いはどこから来るのだろうか?
私たちを虚しくさせるものの正体は何なのか?

そのヒントは幸福の種類にある。樺沢紫苑の『the three happiness』によると、幸福は大きく3種類に分けられる。ドーパミン的幸福、オキシトシン的幸福、セロトニン的幸福だ。

ドーパミン的幸福とは、お金、成功、達成、地位、名誉などを手に入れた時の幸福。
オキシトシン的幸福とは、人や動植物とのつながりや愛情を感じる時の幸福。
セロトニン的幸福とは、心身の健康である時の幸福。

彼によると、大切なのはこれらのバランスだ。そして、先の虚しさの正体は、まさにこのバランスの崩壊にあるではないだろうか。

上の定義によると、多くの人が求める“幸福“とはドーパミン的幸福にあたる。ドーパミン的幸福には中毒性があり、その幸福は持続しない。そのため、私たちはつい他の幸福を疎かにして、ドーパミン的幸福を求めすぎてしまうのだ。

しかし本来、セロトニン的幸福が基礎にあり、その上にオキシトシン的幸福、ついでドーパミン的幸福がある。だから、まずはセロトニン的幸福、オキシトシン的幸福を盤石にし、その後でドーパミン的幸福を求めなければならない。なのに、私たちは心身の健康や、他者との繋がりをおざなりにし、何かを手に入れることに一生懸命になる。

最初の例に戻ろう。ドーパミンに導かれるまま動画を見る。だから、その時は楽しく、気分は高揚している。だけど、その幸福は長続きしない。冷静になった後で、もっと大切なものを蔑ろにしていることに、無意識に気づく。このバランスの崩壊、そしてそのことへの無意識の気づきこそが、虚しさの正体なのだと私は思う。

では、私たちは一体どうすべきなのか?もちろん、適切な順序、バランスで幸福を求める他ない。ドーパミン的幸福自体は悪者ではない。ドーパミンは私たちのやる気の源になってくれる。注意すべきは、こればかりを過剰に求めてしまうことだ。

加えて大切なのは、ドーパミン的幸福と、その他2つの幸福を掛け合わせること。ドーパミン的幸福だけでは、幸せは長続きしないが、掛け合わせれば長続きさせることができる。それに、他二つがドーパミンを抑制するので、ドーパミンに頭を乗っ取られなくて済む。

それぞれの幸福を手に入れるためのより具体的な方法が知りたい方は、『the three happiness』を一読してみるといい。

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