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邪馬台国のアノ人がいなかった話

みなさま、こんばんは
歴史ミステリー担当の₫(どん)です。

また、ちょっと興味深いお話を聞いたので、いろいろ調べてみました。

邪馬台国といえば、卑弥呼という名前が出てくると思います。
歴史上、もっとも古い日本人の名前で知られてますね。
今回、卑弥呼という人は、いなかったのでは?というお話です。

卑弥呼は日本の文献に載っていない

歴史の教科書にも載っている卑弥呼ですが、実は古事記や日本書紀など、日本の文献に卑弥呼という記述がないんです。

卑弥呼は、古代中国の史書『魏志倭人伝』に登場します。
『魏志倭人伝』を見て、邪馬台国や卑弥呼の事を日本の歴史書に書くことは出来るはずだったが、何故か一切出てこない。

ではなぜ、日本の文献に載っていないのか?

卑弥呼という名前

『魏志倭人伝』が書かれた頃、日本には文字がありませんでした。
当然、『卑弥呼』という漢字は、当て字ということになります。

卑弥呼は占い師や祈祷師として、大乱の倭国を治めた人として知られていますよね。
祈祷により、神の言葉を聞き、神の言葉を伝えるお仕事をしていた『巫女』。しかも、ただの巫女ではなく『日の巫女』→『太陽の巫女』です。
日本の太陽の神といえば、『天照大御神』です。

つまり『卑弥呼』を、今の日本の漢字に置き換えると『日巫女』。

そう考えると、『ヒミコ』は特定の個人名ではなく、『天照大御神』の言葉を伝える役職名ではないか?ということです。

それでもなぜ、日本の文献に役職としての『日巫女』も載っていないのか?

卑弥呼は女王ではなかった

倭国の認識としては、国のトップ(女王)ではなく、国政の相談役、『天照大御神』との窓口という役職だったのでは?

古事記や日本書紀に『天照大御神』が、たびたび登場します。

これは、『天照大御神』が実際に現れたわけではなく、巫女があくまで『天照大御神』の言葉として伝えていたため、言葉を伝えた巫女のことを書く必要がなく、『天照大御神』として記述していた。

結果、日巫女という役職は存在していたが、卑弥呼という人物はいなかった。

諸説ありますが、自分が一番腹落ちしたお話をご紹介させていただきました。
卑弥呼や邪馬台国については、謎が多く、色々な考察を楽しめます。
機会があったら調べてみてください。

ではまた、次回の歴史ミステリーでお会いしましょう。
_____₫

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