見出し画像

-books-好日日記

「花も見ずに、なんのために生きる。」


読書をしていて、活字の海を漂っていた時の衝撃。

目の覚める文章。この一文に出会うために本を読んでいたのかもしれない、と言うと大げさかもしれないけれど、まさに運命の出会いと称したくなることばとの出会いが、❝本を読む❞このデジタルな情報社会で、わざわざ紙をめくる楽しみの1つではないでしょうか。

冒頭の一文は、森下典子さん著「好日日記」から。

前作「日日是好日」に続く、森下さんのお茶の世界を中心にした日記です。

「花も見ずに、なんのために生きる」

何回でも言いたい。季節は巡ると言うけれど、二度と戻らない「今年」。

「来年にすればいいか…」の一言で済ませられることなんて何一つない。

色づく自然、変わる空気の香り、空模様の移ろい、夕暮れの時刻…

これらの変化に気が付けないほど、何かに忙殺されるなんて、本当になんのために生きているのか。もう少し方の力を抜いて、少し雨のにおいの混じる春の空気の中で深呼吸から初めてみませんか、と。

忘れてはいけないものを忘れている、単純なようで一番大切な心を取り戻してくれる1冊です。

画像1


春になれば、至る所で草が芽吹き、草木にいっせいに花が咲く。そんなこと、誰もが幼い頃から当たり前だと思って暮らしている。
だけど、ある日、まぶしい若葉を見て、卒然として気づくのだ。私たちはものすごく不思議なことに囲まれ、それを不思議とも思わず暮らしているのだということに…

「冬の章」から「ふたたび冬の章」まで。
不思議で美しい、なんてことないけどあたたかな日常が描かれています。

時間が流れる、とか季節が変わるとか、
もう当たり前すぎて、夏が暑くても驚かないし、冬に雪が降っても理由を求めたりしないけれど、この変化に気をやれないほど、私を追い詰めるものは一体なんだろう。
生きるー暮らすことに精一杯で、気が付けないといけないこと、
何か大切なものを忘れていた気がする。


最近、ある方のWEBエッセイを読み、
「私は私の頑張りを、私をごまかすために使い続けてしまったのだ」
という文章に出会いました。
「あ、私だ…」と。

その場をしのぐためにだけに、お金と時間を使い、ある一点を超えられただけで、長い目で見ると無駄使い、なんてことが沢山あります。
疲れて帰り、コンビニ飯で済ませる。節約にも健康にもならない、もちろん四季の移ろいなんてスマートフォンのカレンダーの数字だけ。
褒められたい、役に立ちたい、稼ぎたい、楽をしたい、癒されたい、
なんのために動き続ける…自分のため?
その労力はどこからきている…私から?

「消費」について。これほどまでに雑な消費があろうか、と。


「花も見ずに、なんのために生きる」
生きるために自らを支え続けるのではなく、もっと気づくべきものがあるのではないか。

画像2

日記に綴られる日常に合わせて、森下さんがお稽古の際に出会う掛け軸にまつわるエピソードも多く紹介されます。
これらは森下さんのお茶の先生、武田先生が日替わりでかけられる言葉です。


「柳緑花紅」

「花は赤く咲けばいい、柳は緑に茂ればいい」
他人が輝いて見えたり、過剰に持てないものを持とうとしたり、
でも私は私。無理にほかの色に染まろうとせず、変わらないものを変えようとしなくていい。

その日に合わせて選ばれる掛け軸の言葉に、はっとさせられることが多くあります。

画像3

そして描かれている日常のほとんどがお茶のお稽古の日のお話です。
このお茶の世界の中にも先人たちが残した、美しい技術が多く紹介されています。
その中の1つがお茶菓子です。

例えば「下萌」と名付けられたしぐれ饅頭。
「下萌」とは冬の大地から芽吹き始めた草、黒土色の蒸し皮のてっぺんがひび割れ、中の若草色のこし餡が少し見えている和菓子です。
まるで、大地をつくしの先が押し上げて、こんもりと地面が膨れ上がっているような。

また、お茶のルールも美しい。

大きな食籠に人数分のお茶菓子が詰められ、順番に回ってくる籠から1つずついただき、次の方へ回すそうなのですが、そのお茶菓子の取り方が、「端のものから取る」。
そうすることで、最後に取る人が真ん中のお茶菓子をいただくことになり、食籠の真ん中にお茶菓子があると「残り物」という印象を受けないからだそうです。

季節感を取り入れる和菓子の技術も、お茶を楽しむ作法も
日本人的なユーモアと気遣いの結晶。

画像4
どこかへ行こうとしなくても、日本は季節をめぐっているのだ。(中略)私たちは、季節を追い抜いて先へ進むことも、逆らって同じ季節にとどまることもできない。

どうしようもないことに、どうしようもない感情を抱く前に、目の前のことに向き合う時間は十分にあるのではないか、と
改めて、考えさせられます。
先人たちは知っている。当たり前のこと。
季節は移ろい、環境は変わり、自分が自分であることは変わらず、確実に年はとり、同じ時間は二度と戻らない。
これらを大切にせず、生きられるなんて、あまりにも寂しいではないか。
寂しさを埋めるために、自分を削るなんてもってのほか、


寂しさの溝を浅くしてくれる、そんな1冊です。


photo by yoru_matsu_

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?