-books-ままならないから私とあなた
「ままならない」
………十分ではないこと・思い通りではない
といった意味。
思い通りにいくことが、
不足がない事が、良い事なのか。
ここの「私とあなた」にとって、ままならないらしい。
とっても簡単に言うと
アナログ__人であることをスキルとする雪子と
デジタル__可能性を最大限に広げたい薫の幼馴染の女性2人。
本の説明には「すれ違う友情と人生の行方を描く」とありますが、私の中ではそんなに軽くは済ませられない。
やっぱり朝井リョウさん、「ここを突くのか」と、人として生きる、フィクションだけれども、果てしなく現実で、蓋をしてしまいそうな部分を遠慮なく描いてくる。
本を読むことに「消費」という行為があるとすれば、どろりと重たく、中々吸い込まれてくれなくてズシンと胃に溜まる
そんな1冊。
朝井リョウさんの世界はそういった現実を多く描かれていると思う。
現実よりも現実で、等身大の世界。
「好きな人がいるとか、恋をするとかって、どんな気持ち?」
替えの利かないモノ__好きな人のぬくもり、人から生み出されるピアノの音色、偶然目についた店、そこでしか体験できない感動。
「あの人みたいになりたい」
その夢をかなえるために必要なのは近づくための努力か、コピーを生み出す研究か。
替えの利かない何かを、「替えが利かない」と決めるのは自分か他人か。
人には、何事も「100%」とか「確実」とかそういった約束を守り切ることは難しいから、それをサポートするのがデジタルの世界なのか。
「ままならない」でおらずにすむ為に。
人ならではの「ままならなさ」を楽しみたいとも思う。
すべてが完璧に築きあげられる世界に生きる方が、少し息苦しくなる気がする。
デジタルだから偉いとか
アナログだから手が込んでるとか、
どっちがいいっていう話でもない。
でも私が手をかけているのは、どちらかというと、アナログに振り分けられる事。
紙をめくって本を読み、実物・リアルを観るために足を運び、顔を合わすために約束を作る。
私の満足を支えてくれているのはデジタル社会だということを忘れて。
デジタルの便利さを踏み台に、手の込んだアナログを楽しんでいる。
結局私は、この2人の主張に、どちらが正しいとか、決めれない。
多くの人がそうだと思う。
一歩引いたところで、ただ言い合いを眺めている。
入れないから、入っても何を言ったらいいのかわからないから、一歩引いてるしかない。
このシーンを朝井さんに突き付けられている。
省きたいところは省く__助けてもらう、
私だと、歩かずに電車に乗って、しかも切符も買わずにピっと改札で音を鳴らすだけ。
出かけたくない日は、欲しいモノが家まで届くようにネットの波をふわふわさまよい、CDショップなんて最後に行ったのは何年も前、もう覚えてない。
スマホ一台で聴きたい曲、見たい映画にたどり着く。
やはり、私が生きているのは薫の世界なんだ…
どれだけ薫に対して、「どうして相手のことを思いやった結果がこうなの」と思っても、私もデジタルの恩恵を受けている1人で、それを当たり前として認識しすぎているから、攻める気持ちを持てるんだ。
「あんただって!!」と言われると何も言えない。
それでも雪子のピアノの指は奪って欲しくない。
雪子を守るのか、自分自身を守っているのか。
___「便利だと思うんですけどね」
それが苦手なんだ。
先日、ふと耳に入ってきた言葉。
私の愛する時間を取らないで、と。
消費は美しくありたい。
手をかけてあげたい部分を単調に扱いたくない。
「便利」な一言で失われるかもしれない、それを愛してしまうんだ。
だから人のままならなさが愛おしいんだ。
手がかかるということ、
それが分かるから、お手紙が嬉しくて、手がかけられた背景の分るものが好き。
それはマイノリティでいることの孤高のイメージかもしれないけど、憧れに似た、「素敵」を見つけてしまう。
「時間」が、手をかけるという行為の代償なのかどうかは分からないけど、人それぞれ。誰かの好きを邪険に扱うことはできない。
私は今、眠らなくても動けるのなら、そうありたいとも思うかも。
睡眠時間を好きなことに充てられるなら。
この2人も根底には友情があって、それは人間ならではのままならない、曖昧なもので、この曖昧さに、逃げたくなる心地良さもあるかな。
photo by yoru_matsu_
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