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毒親育ちは失敗が怖い


私は失敗が怖い。

大きな失敗はもちろん、
とても小さな失敗でさえ、
「失敗」というものはそのまま自分の存在を否定するものであるからだ。


なぜそうなってしまうのか。
冷静に見れば、失敗はただの出来事であって、
その人の人格や存在を否定するものではない。

失敗しない人などいない。
失敗しない人生などない。


失敗を極度に恐れるようになったのは、
やはりそのような環境にあったからだと思う。


親が敷いたレールを歩むというのは、
本当は無数にある道を自分で選ぶことができず、
歩めるのはこの道しか無いのだと思わされること
である。

その子供の前に道は一本しか存在しない。

そして親は言う。

『この道から外れては生きていけない。』
『絶対にこの道から落ちてはならない。』

他に道など無いのだから、と。


その子は一本道の上で、生きるか死ぬかの緊張感の中にいる。
他に道は無いのだから、少しの失敗でも命取りになる。

ちゃんと、その道を歩けるように、
その道を歩いている周りの人みたいに、平気な顔をして、
心臓を恐怖でバクバクさせながら、
汗まみれの拳を固く握りしめながら、
落っこちないように歩く。
普通のふりをして。


失敗がとても怖い。
失敗は命取りであるから。
失敗したら一本しか無い道から落っこちてしまう。
そうしたら私は生きてはいけない。

一本しか無い道を歩いて行くのが「正解」で、
みんなそうしてる。
それが「普通」である。
だからそうしなければいけない。

そういう洗脳状態にある。
0か100しかない。


ただでさえ歩みたくない道を歩かされている上に、
生きるか死ぬかの過緊張の中、
その子は失敗を繰り返す。
小さな失敗をするたびに、自分を責める。
「なんでこんなことも出来ないの、次はもっとうまくやらなくちゃ」
頑張っても頑張っても失敗を繰り返す。
歩みたくない道を歩かされ、
やりたくないことをやらされているのだから、当然である。

その子の中に、自己否定が刻まれていく。
そしてその子はある時、滑落する。
親から刻まれた恐怖が現実のものとなる。

その子は深い絶望の中で生きることになるが、
その絶望の中で、
【道は一つではなく無限にある】
という事実を見つけることができれば、そこから自分の人生を生きていける。


失敗しない人などいない。
失敗のない人生などない。
失敗は日常の中に散りばめられている。
その度に自分を否定していたら、やがては息を吸うことすら苦しく感じてしまう。
毒親育ちは無意識にこれをやっている。
まるで息を吸うように自然に自己否定を繰り返す。

私はこのことに気付き、今は自分の歩みたい道を歩んでいる。

それでも私は失敗が怖い。


それは、
「失敗の成功体験」を積み重ねていないからではないだろうか。

言い換えれば、
「人生において必要な失敗」である。

人から強制された中で起こる失敗と、
自分のやりたいことの中で起こる失敗とでは、
その質が違う。

前者はネガティブなものしか生まれないが、
自分が生きたい人生の中で起こる失敗は、それ自体をポジティブに捉えることができる。
失敗がその時の自分にとって必要なもので、それによって自分が成長することが出来ると、ポジティブな力に変換することが出来る。

最近になってようやく、失敗は自分の存在を否定するものではなく、
ただの出来事であると捉えることができるようになってきた。

最近ようやく、である。
これまではとても長く、必要のない苦しみを背負ってきたように思う。

子どもたちにはそのような不要な苦しみを背負わせたくはない。

だから自分の望む道を歩んで欲しいと思う。
その道の上で起こる失敗は、人生を輝かせるものになるだろうから。



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